第107話 エピローグ
三苫前原市の気温は夏日で外を歩けば汗が全身を滴る陽気だった。私の学生生活は何一つ変わる事無く進み続けていた。
あの日、アンドロイドと人間の関わり方を大きく変えた人間の一人である事など、誰も知らない。私はひっそりと森部と馬鹿な話をしながら、日々を過ごしていた。
『アンドロイド・ディベロップメント社が解体され、今日で一年が経ちます。私たちの生活は何が変わってきたのでしょうか──』
街中のデジタルサイネージでは、変な特集をやっていた。そうか、今日で一年経つのか。正直早いのか遅いのか全く分からなかった。
アンドロイド・ディベロップメント社は、アンドロイド分社化法によって完全解体され、アンドロイド・ディベロップメント社の本社ビルは五つのアンドロイド製造会社が入る雑居ビルへと変化していた。
私が意識を失った中央制御室は人工知能省の管理下へ入り、民間が立ち入る事は無くなったとか。そして、その人工知能省自体も腐敗した組織体制が浮き彫りとなり、組織改革が行われた。それ以外の人たちがどうなったか、私は知ることは無かった。
「なーに一人で歩いてんだ? 今日もカラオケ行くぞ、直人」
後ろから飛び込んでくるように来たのは森部だった。もう、あの時一緒に大冒険をした事なんて、過去に置いてきたような森部の屈託のない笑顔は私を前へと前進させてくれていた。
「なになに? 今からカラオケ? ──私も行きたいんですけどー」
次に来たのは香織だった。良く覚えていないが私が瀕死だった時、駆けつけてくれたらしい。正直、病室の記憶は殆ど無い。
「悪いな。今日明日稽古の台本覚えなきゃだからさ。また今度」
「ちぇっ。何だよそれー」
私は今日は明日の向けて台本を覚えなければならなかった。そう、私は今波星劇団に所属している。あの日を境に芝居をする事に興味を持った私は団長の相川さんに頼み込んで、劇団に入る事になったのだ。
「誘ってもらって悪いな。今度カラオケ代は全額奢るから許してくれな」
「仕方ないな。それでショボい芝居だったらマジで許さないからな! じゃあな!」
森部と香織はそういうと手を振りながら走っていった。私は大きく深呼吸をすると、再び歩いた。
台本を覚えるために行くのはいつもの喫茶店。忘れもしないコーヒーの味が待っているお店だ。
座る場所は決まっている。嘗て、初めてデートで座って緊張して何も言えなかったあの席だ。
「さぁ。始めよう」
独り言を言いながら私は台本を捲った。昨日覚えた箇所ももう一度確認する。あの日、未来を共に紡いだ彼女に怒られないように、丁寧に。
「珈琲が冷めてしまいますよ」
そんな声がした気がした。私ははっとして前を向いた。そこには居ないはずの彼女が座っているような気がした。きっと彼女は見守ってくれている。きっとだ。
「珈琲、飲めるようになったさ」
私はそう言いながら、少し珈琲を飲んだ。
【完】
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