第106話 アラート

 その時、中央処理サーバーを管理する親コンピュータとより、自動音声が流れた。それは社内中のスピーカーに通じていて、外にも聞こえる音声で通達された。

『リセットJ終了まで、後五分となりました。中央処理サーバーの再起動準備に入ります』

 俺は台本の進み具合が気になった。後五分で台本が終わらなければ、修正パッチは水の泡となってしまう。俺はガラス越しに青年に訊いた。

「おい青年! 五分以内に台本は終わるか? 終わらなければ、修正パッチが意味をなさなくなるぞ!」


 江口社長の声が届いたとき、私はぞっとした。先ほどの冷却問題のせいで、台本はまだ半分以上残っている。これでは絶対に五分以内に芝居を終える事は難しい。美沙子さんも何も言わなかったが、五分でやりきるのは不可能だと考えているだろう。どうする。

 私はもう、プレッシャーで押しつぶされそうになっていた。幾度となく起こる危機に心は何故か興奮し、半ば楽しんでいた。そして、制限時間という所謂どうにもならない問題が立ちはだかっている。

「あぁもう! こうなったらアドリブでやってやる!」

 私の口からは思いもよらぬ言葉が出ていた。だが、もう台本通りに進める事など無意味な状況で、後出来る事としたらアドリブぐらいだと思った。

「私は美沙子さんが好きになり、付き合った。その正体が何であれ、私にとって美沙子さんはこの世界に一人しかいない大切な人だった!」

 自分でも想像していなかった声量が出た。突然のアドリブセリフで美沙子さんは驚いたような表情をしていたが、すぐに合わせてくれた。

「この物語はノンフィクション。アンドロイドと人間が紡いだ未来の恋愛の形を提示しました。世界中を統括しているAIに問います! この新しい人間とアンドロイドとの関わり方を取り入れてください」

「人間の不完全さとアンドロイドの完全さが生んだ複雑性は今後の人類を豊かにするものだと私たちは確信しています。私は不完全、美沙子さんは完全。でも、人間の不完全さがあるから、アンドロイドである美沙子さんは複雑な動きをする事が可能になっている。思いもよらぬ偶然恋愛を誘発できる」

「だから、AIは今後の方針を変更してください。このまま人間を排除する方向に世界の基準を変更してはいけません。人間の不完全さには、我々アンドロイドにはない輝かしいものがあります」

「そう、人間は不完全で美しいんです!」

 私は最後の力を振りしぼるようにして、美沙子さんの元へ駆け寄った。美沙子さんはこちらを見てゆっくり笑った。あぁ、これで最後なんだ。私を覚えている美沙子さんはこれで最後なんだ。それは芝居をする前に分かっていた事だったのに、泣けてきてしまった。

 私は涙をぐっと堪えて美沙子さんとキスをした。

 

 青年がセリフを言い切った瞬間にAIの再起動が始まった。間違いなく中央処理サーバーは今の言葉が聞こえているはずだ。後ろにいるアンドロイドたちはバッテリーが尽き、倒れている。反アンドロイド集団は神妙な面持ちでホログラムを見ている。


【審議中】


 ホログラムの文字は暫くこの三文字でフリーズした。辺りはしんと静まり返る。まるで時間が止まったかのように誰も動かない。誰も言葉を発しなかった。認可するんだ。認可しろ。俺はひたすらに願った。社長を、会社を退く最後の役目を果たさなければならない。その一心だった。

 その時、アナウンスと同時ホログラムの表示が変わった。


【認可されました】


 その瞬間、私は地面に倒れこんだ。ガラス越しの世界では大人たちが大声をあげて歓声を上げている。横に見える世界はなんだかおかしな感じがした。美沙子さんの二度と開くことのない目を横で見るのは不思議な感じがした。

「青年! 大丈夫か! やったぞ! やってやったんだ! お前最高だ!」

 次から次へとガラス扉を開けてこちらに向かってくる人の波を薄目で見ながら私はそこで意識を失った。

 美沙子さん、ありがとう。楽しかったよ。

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