第24話 帰路

 私たちは居酒屋を出た後、各自解散となった。二次会に行く人たちや、明日予定があって早く帰る人たち。ばらばらになって静かな夜道の暗闇に消えていった。

 私は居酒屋の前で暫くいた劇団員たちと一緒にいた。美沙子さんもその中にいた。また暫くすると、その集団も疎らになっていき、気がつけば美沙子さんと私二人になっていた。

 二人になったと気づいた途端に私は心拍数の上昇を感じた。美沙子さんもこちらを見た。そよ風が吹いて彼女の髪の毛が横へふわりと揺れた。

「結局二人残りましたね」

「直人さんは、この後どうされますか?」

「うーん、酔いが覚めるまで散歩でもしようかなと」

 私は頭を掻いて目をそらした。酔っているせいか、彼女の瞳は透き通った青色をしている様に見えた。

「この近くに夜景と桜が見える穴場スポットがあるのですが、見に行きませんか?」

「え?」

「中ノ森公園のお返しですよ」

 折角お酒で時間がゆっくりと進んでいるのだから、夜景を見て時間を忘れるのもありだと思った。そして何より、美沙子さんと居れる時間も長くなる。

「こっちですよ。少し上り坂ではありますが、丘の頂上に綺麗な一本桜があるんです」

 美沙子さんは楽しそうに言いながら上り坂をぐいぐいと進んでいった。私は彼女の背中を追いながら進んだ。

 何分ぐらい経っただろうか。気がつくと、丘の頂上に鮮やかな桃色をした桜が堂々と立っていた。更に近づいていくと、桜の花びらが私の顔の周りを舞った。

「着きましたよ。振り返ってみてください」

 先に桜の木の下に立っていた美沙子さんは嬉しそうに言った。私は登ってきた坂道を振り返ると、私は言葉を失った。

 ――そこには一面のが溢れていた。

 先ほどまで歩いてきた坂道の終わりはすっかり見えなくなっていて、遠くには高層ビル群が見える。近くには古い街並みが残り、ネオンや錆びた看板が照らされていた。

「これは。――綺麗ですね。言葉が見つかりません」

「ここは私の秘密基地です」

 ニコッと笑った美沙子さんは子供のように陽気に言った。彼女は私をどれだけ惚れさせるのだろうか。

 私は彼女の近くへ行って同じ場所から夜景を眺めた。今私は、彼女と同じ景色を見ている。そう思うだけで、嬉しかった。

「向こうの高層ビル群がある辺りが私が住んでいる所です」

「直人さんは随分と都会に住んでいるのですね。――何だか羨ましいです」

「いえ。いつも騒がしいばかりですよ。それに、あそこはアンドロイドの会社が沢山あるだけで後はなにもありませんし」

 いつもの様に会話しているだけなのに、こんなにも特別に感じてしまうのはきっと桜と夜景のせいだろう。――私の心の中で何かが溢れそうになった。

 ――今こそ、告白するべきではないだろうか。

 そう思った途端に心臓が高鳴り、足がガクガクと震えそうになった。私は何をやっているのだ。まだ何もしていないというのに。

 私はまず、どのように切り出すべきか考えた。彼女は私が暫く黙りこんでしまったせいか、不思議そうにこちらを見てくる。

 告白して、手を繋いだらいいだろうか。――いや、そもそも向こうは私の告白を受け入れてくれるだろうか。

 ごたごたと考えていると沈黙の時間がどんどんと長くなっていった。このままではいけないと、私は腹部に力を入れて声を出した。

「あの――」

「どうされましたか?」

 何度も言うのを躊躇った。だが、ここで言うのを止めてしまえばもう、言うタイミングが無いかもしれない。こんな環境で言えることなんて無いかもしれない。

「あの! 手を繋ぎませんか?」

 私は馬鹿だ。大馬鹿だ。緊張しすぎて、告白した後に言うことを喋ってしまった。そんなことあるかと、言われそうだが、人間緊張すると辻褄の合わない事をしてしまう。

 恐ろしくて美沙子さんの顔を見ることが出来なかったが、息を止めて美沙子さんの顔をゆっくりと見た。美沙子さんは驚いたような顔をしてこちらを見ていた。それはそうだ。私みたいな人から手を繋ぎたいなどと言われれば、気持ち悪いだろう。

 ――だが、美沙子さんの行動は私の予想を遥かに越えていた。

 気がつけば美沙子さんは、私の左手を両手で、優しく握っていた。彼女の体温がゆっくりと伝わってくる。

 ――心臓が止まるかと思った

 更に彼女は静かに涙を流していた。悲しい顔ではなく、いつもの優しい笑みを浮かべながら。彼女の瞳は涙を反射して透き通っていた。

 状況が理解できなくなった私は取り敢えず夜景に目を向け直した。

「夜景、綺麗ですね」

「はい」

 私の下手な会話に彼女は応えてくれる。私たちの後ろにそびえている桜が風に揺らされ、花が夜景の前を落ちていく。とても幻想的な光景だった。

 私は気を取り直して告白を試みる事にした。今の状況が何を意味しているのかなんて、分かる気がしない。だが、彼女の表情は嘘をついていないはずだ。

 ――私は美沙子さんを信じた。

 私は再び、美沙子さんの顔を見た。

「私は美沙子さんの事がもっと知りたいと思いました。その気持ちは、恐らく恋なのだと気づきました――」

 美沙子さんは黙って聞いている。

「私は。――私は美沙子さんが好きです! 私と、付き合ってはくれませんか」

 私は言い切った。もう悔いはないと思った。恥ずかし過ぎて、下を向いてしまった。

 暫くの沈黙が流れた。春の夜はとても静かだった。たまに木々が揺れる音がするだけだった。

 美沙子さんは私の手を離すと、涙を拭った。

「よろしくお願いします、直人さん。私は直人さんの様な優しい人に、初めて出会ったような気がします」

 美沙子さんは再び笑いながら涙を流していた。気がつけば、私は美沙子さんと付き合っていた。記憶が所々飛んでいて、何が起こったか分からないような感覚だ。きっとお酒のせいだろう。

 だが、徐々に嬉しさが込み上げてきて身体の中心が熱くなるのを感じた。同時に緊張が解れて足の力が抜けそうになった。

 私は拳を突き上げて喜んでいた。

――忘れられない春の夜だった。

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