ダークアウト・シンドローム
橋咲愛理
1-1: 初日ノ話
雨の降る夜。積み上げられた廃墟の中で男が悲痛な叫びを上げた。
「テメェ、よくも・・・ ぐあッ!」
ずぶ濡れのみすぼらしい男は油の混じった泥を掴み、背後に迫る襲撃者へ投げる。
瓦礫に躓き、頭を地面に打ち付け一つ、また一つと投げ続けた。
だが、泥礫が襲撃者の体を汚すことはない。
――――それは体をすり抜けていた。
襲撃者の体は霞の様に無抵抗で実体がない。そのまま怯む様子もなく男に迫る。
霞の襲撃者は男の首を掴み持げ上げ、スクラップの壁に叩きつける。
「クソ……が、離しやがれ! ――――うがぁ!!」
暴れる男の腹に拳が深々とめり込んだ。
「この電子ファイル。どこで手に入れた」
銀色の目が光り、襲撃者の手――何もない空間から一冊の紙束が現れる。
水溜りに波紋が立つ。
「か、買った…… スラムの闇市場で…………」
「誰が売っていた……」
男は顔をゆがませ許しを請う。
「頼む!助けてくれ。お前も同業者なんだろ!」
「………時間がない。悪いが直接読み取らせてもらう」
「よせ! やめろッ………ッ………―――」
男の顔を鷲掴む。すると、男は糸が切れたように大人しくなった。
―――放心する男の体に、青く光る紋様が浮き上がる。
それは葉脈の様に規則正しく、皮膚の中に埋め込まれ、全身を巡っていた。
光の筋は脈動し、手の中に吸い取られていく。
全ての情報を読み取り終えると霞の襲撃者は崩れ落ちる男に目もくれず、踵を返してその場を去る。
「第3地区…… 区立
◆◆◆
4畳程の部屋、薄暗い天井裏で目覚ましが鳴る。
「―――………ん」
埃の溜まった小窓から光が差し込む。薄暗い部屋には机で眠る少女が一人。
「寝ちゃった………のか………」
彼女は机に伏したまま、古惚けた機械の塊の前で目を覚ました。
壁一面にそびえるコンピューターの排気音と熱が彼女と部屋を包んでゆっくりと流れている。
「………ヤッば、もう、こんな時間」
コンピューターの電源を落とし、少女は天井裏の隠し部屋を出た。
「ッッ………首、痛った………」
―――寝違えたのか酷く首筋が痛む。
いつから眠っていたのか分からないが、凝り固まった肩から、熟睡だったという事は想像に難くない。
梯子を下ると、家の中は静まり返っていた。
母も妹も朝に弱い、まだ眠っているはずだ。父はいつも通り泊まりの仕事で居ない。
自室で寝間着を脱ぎ捨て着替えると、固まる背筋を伸ばし一階のキッチンに向かった。
エプロン姿になり、パンをトースターに入れ、朝食の準備を始める。
「〈ハウスキーパー〉
少女が呟く。するとキッチンカウンターにメイド服を着た立体映像モデルが出現した。
10センチほどの小さなハウスメイドは手を可愛らしく揃えてお辞儀をする。
『おはようございます、穂乃歌サマ』
「うん、おはようハッピー。早速だけどママと鈴音、起こしてきて」
『かしこまりました~』
空中に漂う立体映像のハウスメイドは甲斐甲斐しくお辞儀してその場から消えた。
朝食の準備も終わり、暫くすると妹の鈴音がハッピーに連れられ目をこすりながら降りてきた。
「オハヨ〜。お姉ちゃん、今日も早いねー」
「おはよ、朝ごはん出来てるから。………ママは?」
「知らなーい、まだ寝てると思うよ」
「そっか。じゃあ、いただきます」
「あーあ、私もまだ夏休みでいたいよ」
そう言いながら穂乃歌は食卓に座り、鈴音はバターを冷蔵庫から取り出す。
『穂乃歌様、鈴音様。今日から新学期の始まりですね』
「そーだよハッピー。今日から早起きしなきゃならないんだよー」
『かしこまりました、アラームの設定を変更します』
「――せんでいいわ!」
鈴音はフワフワと浮くハッピーの頬をつっつく。
ハッピーはこの家の高性能AIアシスタント、
このアプリケーションは自宅のコンピュータに搭載されたAIがセンサーを通じ、入居者の年齢性別、家具や家電の種類や使用状況、家計簿の歳入歳出いたるまで、その家庭の詳細なデータをリアルタイムで収集する。
そうして集めたデータをAIの分散処理ネットワークが解析し、宅配の受け取りから電気設備の操作などを自動で管理、運用してくれる。
―――簡単に言えばAI
空中に立体投映されるオペレーターに話しかければ先程の様に誰かを呼びに行かせたりもできる。
ハッピーは母と妹の趣味でフリルのついた巫女風メイドにカスタマイズした。
デフォルトの立体モデルが釣り竿と魚を抱えた恰幅の良い老人だったそうで気に入らなかったようだ。なんでも旧世界の神様がモデルらしい。
「ねぇねぇ、なにしてんのお姉ちゃん?」
パンを頬張る鈴音が後ろから本を持つ穂乃歌を覗き込む。
「………ああ、うん。ちょっとね。生徒会の仕事」
彼女が持つ本は紙のものでは無い。可接触量子波技術
「新学期早々大変だね~。―――おぉ、転校生のリストとかもあるじゃん。中等部のないの?」
「勝手に見ない。てか、入学してまだ半年でしょ」
「新しい出会いを求めて何が悪い……… あっ、髪に埃ついてる」
鈴音が髪の毛に付いた綿埃をすき取るとあきれ顔で眉をひそめる。
「屋根裏部屋でしょ? 父さんのコンピューター勝手に使ってイケないんだー」
「あー、あれね………前から捨てようとしてたし大丈夫。 ………たぶんね」
穂乃果は歯切れ悪く誤魔化す。勉強の為だと申し開きをすれば大丈夫だと。
「でも、最近ハマちゃって。旧世界の
「うわぁ、マジにアナクロだよ。―――って、あのデカでっかいのにそんな機能が」
「あーあー。ハイこの話終わり。―――あっ、ママ起きて来たよ」
話を逸らすために寝ぐせだらけのだらしない格好で降りてくる母親を利用する。
鈴音は怒られても知らないよと肩をすくめた。
「ふぁ~……… 二人とも早いわね~」
「ママおはよ~、ってまた徹夜?」
「う~……そうなの。なんでか知らないけど最近、仕事が増えててね~」
母、月輪久留巳は警察官だ。主にネットワークの世界で発生する事件を追跡する所謂サイバーポリス。しかし、穂乃歌の聞き及ぶ所、彼女の担当は実質的な追跡や調査ではなく資料の整理が主な担当なのだそうだ。
「ぁ!そうそう、穂乃歌ちゃん。昨日やけに騒いでたわね~」
「………え、ほんと? いつ?」
穂乃歌は身に覚えのないことと不意に聞かれ驚く。
「ああ、私もそれ気になった。―――夜中の2時くらいかな。騒がしかったの」
「えぇ……… 机で寝てたから……… かな? なんか寝違えてるし」
「いやいや、寝相が悪いにも程があるっしょ……… と、なればお姉ちゃん『蒼眼の魔女』に合っちゃった⁉」
「蒼眼の魔女? 何それ?」
「知らないの? 結構メジャーなオカルト話だよ」
「ちょ、やめてよ怖い話すんの………」
妹の怪談話に突き合わされると後悔する思い出しかない。
妹のオカルトホラー好きにも困ったものだと、穂乃歌は呆れる。
「蒼眼の魔女……… ケータイの電話機能で、生年月日を入力し、通話ボタンを押さず枕元に置く……… そうして眠ると、その人の夢の世界に現れて幾つかのお願いをしてくる」
「ふ、ふん………ば、バカみたい」
「お願いはとっても簡単、手を叩けとか耳を塞いで欲しいとか。でもでも~、そのお願いは絶対に叶えちゃいけないんだって。だけど、怪人はあの手この手でお願いを聞かせようとする」
「叶えたら………どうなるのよ………」
怖がりの穂乃歌はクッションを抱え込んだ。
「……――叶えたらダメだよ。そう、絶対に……ね!」
後ろに忍び寄った鈴音が穂乃果を驚かす。
そんな娘二人のじゃれあいを母、久留巳は寝ぼけ眼で楽しそうに聞いている。
ふくれる穂乃果はクッションを放り、からかわれた鬱憤を鈴音に投げ返す。
「あーもう! 朝から変な話聞かせないでよ!」
「まーまー、どうよ。これに懲りたらお父さんのコンピューター勝手にイジっちゃだめだよ。」
鈴音は穂乃歌をイジリ終えると満足そうにソファーに座る。
「だ、だいたいその話、怖い夢見せられて終わりじゃん!」
「そーなんだけどさ。ッまあ、この続きはバリエーションがいろいろあってね。夢から覚めなくなるとか、あと―――」
ハッピーのアラームが二人の会話を遮る。
『お
「あら、義理姉さんからだわ。―――拝殿の
「また、二日酔い?」
「おそらく。もう、奉納にお酒をいただくのは暫くやめにしようかしら」
「ほんとにね。………それと、もう学校行くけど後はお願い」
『かしこまりました。お二人ともいってらっしゃいませ』
「がんばってね~」
穂乃果は上着に袖を通す。すると、彼女の視界に、透明なディスプレイが静かに浮かび上がる。しばらく浮び、影もなく消えた。
鈴音も急いでジュースを飲み干し、制服のスカーフを手に取る。
「っと、私も行かなくちゃ。ハッピー、結びかたのガイド出して」
玄関先。彼女の持つスカーフの表面をオレンジ色の矢印が表面をなぞるように進んでいる。矢印の指示に従って手を動かすとあっという間に綺麗な結び目が付いた。
「ナノクロのガイド無しでもちゃんと結べるようになりなよ」
「え~、この方が楽なんだけどな~。それに、これつける機会なんて入学式ぐらいしかないっしょ」
彼女たちの視界に表示された立体映像。それは本人にしか見えていないものだ。
彼らの身の回りにあるもので特に衣服に関しては、そのすべてに極小サイズのナノマシンコンピューターが埋め込まれている。一本の繊維に組み込まれたナノマシンの数は約2000個超。それが一枚の布となり、彼女たちの服に縫製されている。
現実と電脳空間を
ウェアラブル端末全盛期を象徴する製品だ。
しかし、正式名称で呼ばれることはほとんどない。
ナノマシンが織り込まれた
「そう。―――ああ、今日って始業式終わったら健康診断あるからね」
「うそ! まさか更新の日!?」
「高等部はないけど、中等部は今日だよ」
「う~わっサイアク! 今日ケータイ使えないじゃん!」
額に手をあて天を仰ぐ鈴音をよそに穂乃果は家を出る。
「そーだよ、だから今日はICカード持ってけ。改札に手をかざしても開かないから」
「夏休みで使い過ぎでお小遣いない……… 悪い!お姉ちゃん貸して!」
「はいはい、だと思った」
穂乃歌はカバンからカードケースを取り出して、投げ渡す。
「サンキュー。さすが生徒会役員。準備がいいね」
「はいはい。じゃあさっさと鍵閉めて学校いこ」
「ああ……… それね………」
二人は顔を見合わせ、上を見上げる。二人の視線の先には長く続いた石段がずらりと伸びる。
「毎度のことだけど何でこんなとこに家があるかな~」
「しょうがないよ。宮司の家に生まれた宿命だ」
二人の―――父方の家系は神社勤めの宮司だ。そのため月輪家は山に建てられた神社の麓にある。
9月と言ってもまだ暑さの残る朝。姉妹二人で石段を息を吐いて登っていく。
「月輪神社名物『魔の800階段』んッ! 正直これさえあれば運動部に入らなくても大丈夫な気がする」
「分かる。死んだじいちゃんとか毎年市内マラソンに参加してたし」
「大体、何でこんな高いところにあるの~」
「まあ、ウチの神社の施設はメイン電波塔としての役割があるし………ある程度高さがないと………―――はぁ、到着~」
ヘトヘトになりながら鳥居をくぐって石段の上りきる。木造づくりの神社がたつ境内は火照る二人とは対照的に涼しげな静けさを帯びていた。
中央に建てられた拝殿。その後ろの本殿からは空へと延びる大きな鉄塔が建つ。
その見た目は巨大な鳥居だ。彼女たちがくぐった鳥居とはくらべものにならないほど長い足で実に危なげなく立っている。
足はしめ縄のごとく中腹でねじれ、その表面を青や緑の光の筋が上に昇っては消え昇っては消えを繰り返していた。
「ほら鈴音。ダッシュで終わらそ」
「了・解!」
鈴音は手首の捻って準備体操をすると袖を捲った。
姿勢を正し、腰に重心を据えて腕を突き上げる。
ゆっくりと開いた彼女の瞳に光が溜まると、線香花火の様に光を散らす。
鈴音の視界にたくさんの文字が浮かび、空中を泳ぐ。
「―――わ、ちょ、スズ!」
「だいじょーぶ。こっちの方が早いから」
片手を引き、頬の方に近づけた。―――和弓だ。徒手であることに疑いはないが彼女の手には間違いなく引き絞った弓がある。
「―――はッ!!」
後ろに引いた手をパッと開くと弦が弾け、境内を反響する。
「神に弓引くとは……… 恐ろしいヤツ」
「いーの、この方が手っ取り早いんだから。叔母さんもよくやってるよ」
「マネしちゃダメだって! 中のコンピューターが壊れたらヤバよ」
二人から遠く、本殿の中から音が続く。
木と木が当たる音は襖が閉じる音。細かな機械がひとりでに動いて扉に電子ロックがかかる。
最後に拝殿の大扉がぴしゃりと閉じた。
「はい、これでおーしまい!」
鈴音が手を叩くと白無地の垂れ幕が紫に染まる。月輪神社の神文が浮かび上がり風になびく。
「バチが当たっても知らんぞ私は~」
「いーじゃん。どーっせ明日まで使えなくなるんだから。馴染んだナノマシンとのお別れも兼て断捨離、断捨離」
穂乃果は手水舎に置かれた杓子を整理して並べ直す。彼女が使ったのは魔法ではない。
彼女たち―――この世界を生きる人々は皆、老若男女問わず体内にナノマシンを内蔵インプラントしている。
機械でありながら生物の肉体に完全適合する『生体ナノマシン』の開発、発展によって人間の感覚は飛躍的に拡張した。
視覚をつかさどる部位に作用し、視界内にディスプレイを投影することも、コントローラーを使わずジェスチャー1つで機械を手足の様に操作することが可能だ。
また、体内に住まう機械共生生物には宿主の個人データが全て納められている。生年月日からゲームのセーブデータまで全ての電子情報をつかさどる。
鈴音が行ったのはナノマシンを通じて機械を操作する簡単なプログラムだ。体内のナノマシンを使って境内のメインコンピューターにアクセスし扉もモーターや電子ロックを遠隔操作した。
「あ!そうだ!」
鈴音は声を上げ、拝殿に向かって手を叩く。
「神様。新学期も頑張りますので、素敵な出会いがありますようによろしくお願い申し上げます!」
穂乃果は手に残る水を振り落としながら二拍一礼でお願いをする鈴音に歩み寄った。
「勝手だなぁ。大体、神様は願いを叶えるんじゃなくて、日々の感謝とこれからの抱負を言うのが正しい―――」
「………? どうしたの、お姉ちゃん?」
「え? い、いや鈴音。あれ………」
―――あれは、何?
穂乃歌は咄嗟に口をつぐんだ。
空へと伸びる電波塔の上。光を巻く鳥居に立つ、一つの人影。
柱の光が白一色の袴姿に淡く反射し、輪郭を隠しているが確かに人の姿をしていた。周囲を見渡し何かを探している様子だ。
咄嗟に、視線を逸らす。
顔を見合わせてきた穂乃歌に鈴音は、どうかしたのかと首をかしげて見返す。
「あー、えっと。さっき言ってたナントカの魔女とかって………」
「? 蒼眼の魔女のこと?」
「それってどんな格好してるとか知ってるとか……?」
「えー、なになに急に」
「すず。あ、あれ見て―――」
穂乃果は鉄塔を指し、視線を空に戻す。
―――いない。
確かに、さっきまでいたはずと目を凝らすも影も形もなく消え去っていた。
「おっかしいなぁ……… あそこに誰か立ってたような気がして………」
「ふぅ。お姉ちゃんやっぱり怖がりだなぁ―――てりゃ!」
「―――ッ、ひゃっ!!」
背後に忍び寄った鈴音が穂乃果の首筋に、濡ぬれたハンカチを突っ込んだ。
何時の間にやら目を盗んで濡らしておいたそれは鳥肌が立つほど冷たい。
「どう?これで夢から覚めましたかな?」
鈴音は悪戯っ子な笑みを浮かべた。
「………もー、襟が濡れちゃったじゃん」
「おっとっと。なんか首庇ってたから痛むのかと思って。ごめんごめん」
不満を含んだ顔で穂乃歌はハンカチを当てなおし、再び鉄塔を見上げる。
やはり、何もなかった。今日の空は青く透き通っていて雲の形がはっきり分かる。
寝心地の悪い場所で起きて知らずに体が疲れていたのだろう。穂乃歌はそう納得した。
「やっぱ何でもない。………もしかしたら、ここの神様が怒ったからかも?」
「ふっふっふっ。私には効かないよ、その程度の怖がらせは。先にバチが当たるとすれば叔母さんの方がもっとだもんね――― って、時間ヤバッ! 電車に遅れる!」
二人は慌てて駆け出し、猛スピードで階段を下っていく。
彼女たちががいなくなった境内は、静かな風を纏い始める。
その様子を本殿の中央―――暗い部屋。機械配線の密林に覆いつくされた冷たく唸る重たい鉄箱が、二人をじっと、静かに黙視していた。
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