追想X【Side:Haruka】少年Aの独白

 昔から、下を向いて歩く子どもだった。

 嵐のように頭上を通り過ぎていく現実を、俯いたままでやり過ごし、無為な日々を重ねる。一生それが続くのだと諦めたのはいつだったか、もう忘れた。

 満開の桜ではなく、不揃いに生えた路傍ろぼうのシロツメグサに、春を見た。

 蒼穹に広がる入道雲ではなく、水着を入れたビニールバッグの透きとおった影に、夏を見た。

 燃えるような色の紅葉ではなく、踏みしめられてアスファルトに貼り付く枯葉に、秋を見た。

 雪の舞い落ちる空ではなく、霜でぬかるむ地面に、冬を見た。

 哀しくはなかった。

 誰にも望まれないこの手では、尊いものに触ることなどできないと分かっていたから。上を見なければいい。自分のつま先だけを見ていれば、それでいい。



 一度だけ、気まぐれに顔を上げたことがある。そのとき、美しいものをひとつだけ見つけた。否、一人だけ。

 心を深い水底のような場所に沈め、誰にも触れられないようにした僕を、引き揚げようとしてくれた人。

 声をかけ、手を差し伸べ、踏み込んで――僕の心をいつの間にかすくい上げていたことを、彼女は今も知らないだろう。そして、代わりのように沈んでしまった。

 彼女の優しさを受け取っておきながら、その幸福を壊したのは僕だ。傷つけることを分かっていて暴くことを選んだ。見て見ぬふりは出来なかった。

 その結果、起こったことを鑑みても、それが間違っていたとは思いたくない。



 あの日、呆然と立ち尽くす彼女を前にして、迷わずにその手を取った。

 自分たちを取り巻く環境を直視すれば、自然と覚悟はできていた。どう足掻いても皆が幸せになれないならば、彼女だけは太陽の下へ返すと。どんな手段を使っても。たとえ、二度と会うことが叶わずとも。


 免罪符は、要らない。


 そんな風に考えていたはずなのに、いつの間にか僕の口は、未練がましい一言を落としてしまっていた。

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