第1話 全ての始まり

 西の空に少し日が傾いて、オレンジ色の光が僕たちの影を作っている。僕らの靴がコンクリートを叩く。

「なあみなと、山本のやつが変な噂流しやがってよ。咲良さくらが新しい男作って、浮気してるとかふざけたこと言いやがって」

「山本くんは一回フラれてるからね。悔しいんだよ」

「咲良は浮気なんかしねえっての。あいつはそんな女じゃねえ!」

「僕の前でのろけとかやめてよ。僕、彼女いないんだから」

 朝から続いた学校生活に疲れているが、この時間は欠かせない。

 隣を歩くのは、同じクラスの河北かわきた真雪まゆき。小学校からの付き合いで、中学、高校と同じ学校に通ってきたし、三年生の今は同じクラスだ。中学校で同じ部活に入って仲良くなって、今でも一緒にいることが非常に多い。

 そんな彼と過ごす帰り道は楽しい。たった十五分の道のりだけど、毎日確実にやってくる時間。特に変わったことをやるわけではないけれど、絶対に楽しい時間――。

「お前がモテないのってなんでだろうな。俺より頭良くて、顔もいいのに」

「うるさいなあ。からかうなよ」

「まあ、お前は真面目すぎるからな。勉強一直線って感じがする。部活もやってないだろ」

「部活ねえ……。僕は体動かすの苦手だし、集団生活って疲れちゃうし」

「今度咲良に女の子紹介してもらおうぜ」

「いや、いいよ」

「なんでだよ。今、ちょっと彼女欲しそうだったじゃん」

「欲しいのは山々だけどさ、受験もあるし。恋に現を抜かすほどの余裕はないんだよ……って、君の方はどうなんだよ。この前の定期テスト、赤点三つもあったじゃないか。大学入試より卒業が危ないんじゃないの」

「俺、推薦だぜ」

「え、そうなの」

「スポーツ推薦だ」

「そっか、毎年インターハイ出てるもんね、レギュラーで」

「でも、一応勉強もしてるぜ。オフの日に咲良に教えてもらってる」

「咲良ちゃんの成績ってクラス三位なんだっけ」

「おう、あいつはすごいんだぜ。この前のテストなんか、数学で満点取ったんだぜ!」

 そう語る真雪の横顔はとても嬉しそうだ。

「そういえば俺らのクラスって、頭いいやつ多いよな。佐藤だろ、鈴木だろ、咲良だろ。あとお前もまあまあいいよな」

「まあまあって、微妙だな」

「それになんといっても、あいつだよな。学級委員長の神崎(かんざき)」

「学年一位の特待生だからね。あ、僕、主要五教科全部満点だったって噂聞いたよ」

「マジか。やっぱり脳みその作りが違うんだろうな」

「真雪はどっちかっていうと考えるより先に行動しちゃうタイプだよね」

「なんだよ、それ」

 今度は困ったように笑う。

「咲良ちゃんに告白したときも、なんの前触れもなく言ったもんね。いつ、どこでやろうとか考えずに」

「それ、俺がバカだって言いたいのか?」

「あれ、そう聞こえない?」

「てめえ!」

 今度は怒る。

 本当によく表情が変わる人だ。

 しかし、僕はそれがいいのだ。ずっといても飽きない。話していられる。そして、気を遣わないから疲れない。ありきたりな言葉だけど、すごく楽しい。

 

 満たされている時間ほど早く過ぎてしまうことを、僕は知っている。

 しかし、そんなものほど長続きしないことを、僕は忘れていた。

 そして、楽しい日々は突然終わることもあるのだと、齢十八の僕は知らなかった。


 歩いていくと住宅街のど真ん中にある十字路に来た。僕らの家はこの辺りなのだ。右に行けば真雪の家、左に行けば僕の家だ。

「じゃあな、湊」

「うん、また明日」

 僕らは短い別れの挨拶をして、それぞれの道に分かれて歩いた。

 一人になった僕はなんとなく予定帳を取り出して、ペラペラとめくりながら歩いた。明日は漢字テスト、明後日は何もなくて、明々後日は英語の単語のテスト。高校三年生にもなると、毎日テスト三昧だ。受験生として仕方のないことだが。そんなことを考えながら、翌月のページに見た。

 三日の欄に、『真雪の誕生日』の文字があった。真雪の誕生日には毎年パーティーを開いて、プレゼントを渡す。集まるのは真雪の友人をはじめ、真雪の両親や姉の知り合いが呼ばれる。もちろん僕も呼ばれる。あと二週間くらい先だが、そろそろパーティーの準備やプレゼントを選ばなければいけない。去年は練習着をあげたが、今年はいっそボールとかあげてみようか。

 呑気にそんなことを考えていた――そのときだった。

 キィーーーーッ!

 耳に鋭いブレーキの音が聞こえた。それに続くように鈍くて重い音が聞こえた。あまりに突然のことに、僕は反射的に後ろを――真雪が帰って行った方向を向いた。とても嫌な予感がした。

 振り返った僕の目に映ったのは、ボンネットが少しへこんだ車と、その目の前に倒れる制服の男の子――

「真雪!」

 僕は名前を叫びながらも、彼があいつでないことを祈って駆け寄った。

 腕にあざがあって、体は動いていない。そして顔を見る――

「真雪――」

 残念なことに、やっぱりあいつだった。

 生きているのか、死んでいるのか。

 腕から血が! 足からも! 顔からも!

「真雪……真雪、真雪! 真雪! 目を覚ましてよ! どうしちゃったんだよ! 目を開けて!」

 きっとこういうときは一一○番通報したり、一一九番をかけたりしなければいけないのだろうが、携帯電話を取り出すほど冷静ではなかった。

 しばらくして、車の衝突した音を聞いたのか、僕の声を聞いたのか、多くの人がやってきた。そしてどこからか、サイレンの音がして救急車が到着した。何人もの人が車から出てきて、真雪をあっという間に連れて行く。

「関係者の方ですか? 一緒にお乗りください」

 僕は何が何だか分からないまま救急車に乗せられて、しばらく揺られることになった。



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