鍋島は言った。

「この期に及んで、冗談は許さんぞ」

「冗談なんか言わへんよ」

 琉斗は真顔だった。鍋島はそんな琉斗を見つめたまま、額に手を当てて溜め息をついた。「……なるほどな」

「呆れてるんか? 茜のことを好きなくせに、何やそれはって」

 琉斗の質問に鍋島は一度だけ首を振った。「今どきそんな正論、通用するとは思てない」

「……刑事やもんな。いろいろ見てるんや」

 そう言うと琉斗は何故か、穏やかに微笑んだ。

「彼女の方からか?」

「そんなことあんたに言う必要はない」

 琉斗は表情を一変させ、厳しい口調で言い放った。しかし、鍋島もここで怯むわけにはいかなかった。

「死んだ人間に遠慮か。カッコつけんな」

「そんなんやない」

 琉斗は唇を噛んだ。そして鍋島を睨み付けた。

「……あんたらは、どこまでも腐ってるんやな」

「どう思おうが勝手や。おまえも言うように、俺は仕事をするだけや」

 そう言うと鍋島は口の端から息を吐き、広がった紫煙に目を細めて言った。

「洗いざらい喋ってもらうで。ええ加減おまえらにはうんざりや」

「勝手にうんざりしといたらええやんか。喋るかどうかはオレの勝手や。オレは何も悪いことしてないんやから」

「おまえはそうやとしても、深見茜はどうなんや」

「茜……?」

「芹沢が彼女を連れ出したんやろ。つまり、彼女の疑いは晴れてないってことや」鍋島は言った。「それでおまえも、何とかせないかんと思たんやないんか? ここへ来たのもそのためなんやろ?」

 琉斗は黙り込んだ。

「おまえ、芹沢をうまく丸め込もうとしたそうやないか」

「えっ──」

「どういう意図か知らんけど、あいつにそんな小細工は通用せえへんで」

 鍋島はベンチから立ち上がり、数メートル離れた場所に立つ、コンクリートで出来た筒状の灰皿のところへ行って吸い殻を捨て、戻ってきた。

「深見茜が親父さんの一件に関わってないと分かったら、俺らは一切彼女を煩わすようなことはせえへん。直ちに手を引くよ」

「ほんまか」

「当たり前や。相手は中学生や」と鍋島は肩をすくめた。「警察もそんなアホやない」

「あの刑事もか」

「あいつ、ああ見えて紳士やで」と鍋島は笑った。「まぁ、あんな顔してたらどうしても男の嫉妬を買うのはしゃあないけど」

 琉斗は面白くなさそうに俯いた。そしてそのまましばらく考え込んでいたが、やがて諦めたように顔を上げ、言った。

「……茜のこと、助けてくれるんやな」

 鍋島は頷いた。「結果はどうあれな」

「もしも茜がやったんやとしたら、捕まえるってことか」

「見逃すことが助けることやとは思てへんからな」鍋島は琉斗を見つめた。「それが警察おれらの正義や」

「……分かった」

 琉斗は小さく頷いた。そして話し始めた。

「……昨日、オレと茜は夕方に会う約束をしてた。オレの中学ん時の同級生で、高校へは行かんとバンドやってるやつがいて──ライヴやるって聞いたから、茜と一緒に行く予定やった」

「引きこもりでも、おまえとやったら出掛けるんやな」

 琉斗は首を振った。「滅多にないよ。だいぶ前から話を持ちかけてたんや。茜は音楽が好きやし、ライヴとか行ってみたいって言うてたことあったから。初めは行かへんって言うてたけど、三日前、やっとOKの返事が来たんや」

「場所は?」

扇町おうぎまち。小さいライヴハウス。五時に茜のマンションの前で落ち合う約束やった」

「ところが彼女の両親がああいうことになったから、ボツになったんやな」

「いや、違う。補習が終わってケータイ見たら、茜からメールが入ってたんや。『行けんようになった』って」

 琉斗は表情を曇らせた。「そのちょっと前、オレが補習に行くときにマンションのベランダ越しに茜と話したんやけど、そのときは何も言うてなかったのに」

「理由は?」

「何も書いてなかった。それでオレ、やっぱりいきなりライヴハウスは無理があるんかなって思たんや。せやけどそのあとすぐ、茜が出かけるって言うてたのを思い出したんや」

「どこへ行くのか、言うてたか」

「訊いてない。オフクロさんが酒飲んで寝てしもてて、たぶんもうすぐ親父さんが帰ってくるって言うてたから、また喧嘩になって、それを部屋で聞いてるのも嫌なんやろなと思たから、どっかコンビニとかにでも行くんかなって」

「出先で何かあったんかな」

「……分からへん。でも多分そうなんやと思う。オレはとにかくがっかりして、そんでヤケになって、あの人に電話したんや」

「本田佐津紀」

 琉斗は頷いた。「そしたらあの人も、ちょうど連絡しようと思ってたって言うから──部屋に行ったんや」

「何時から何時まで一緒にいた?」

「補習がちょっと早めに終わって、学校から直接行ったから──二時頃から四時半頃までやったと思う」

 鍋島は溜め息をついた。「ということは、彼女が深見を刺したんやないな」

「そうやろ、やっぱり」と琉斗も安堵したような溜め息をついた。「まさか、オレが帰ってすぐに車飛ばして茜んちに行ったんかと思ったけど」

「でけんことないやろけど、かなり無理があるな。目を覚ました深見春子がダンナの姿にびっくりして、救急車を呼んだんは五時前やったから」

「ほな犯人はやっぱオフクロさんか?」琉斗は肩をすくめた。「自分でやっといて、救急車呼んだってことになるんか」

「まだそうとは断定はされてない」

「そうやんな。目が覚めたら自分が包丁握ってたくせに、その証拠隠滅をせんと咄嗟に救急車が呼べるってことは、犯人ではないんかも知れん」

 琉斗は言ってすぐに首を傾げた。「いや、やっぱり、刺したことは刺したけど、殺すつもりまではなかったとか。死んでしもたら殺人犯になるやんか」

「そう、それもある。せやしまだ断定が出来ひんのや」と鍋島は琉斗に振り返った。「結構頭回るやんか」

「お世辞はええよ」と琉斗はふて腐れた。

「で? 今日も本田佐津紀に会うてどうするつもりやったんや?」

 鍋島は目を細めて琉斗を見た。「まさかまた憂さ晴らしか?」

「……違うよ」琉斗は不満げに言うと俯いた。「訊きたいことがあったんや」

「何や」

「昨日、あの人が言うてたんや。茜のオヤジさん、人と会う予定があるみたいやって」

「何やて?」鍋島は琉斗に振り返った。「そんな話、知らんで」

「オレもさっき思い出したんや」

「相手は誰や」

「それはあの人もはっきり言うてなかった。でもオヤジさんにとっては気が乗らん相手らしくて──仕事の相手やそうやけど」

「昨日のいつ会うって言うてた?」

「それも分からへん。せやけど、たぶん午後やったんやと思う。あの人、俺と会ってるときに『深見さんは人と会ってるから』って、進行形……で言うてたし」

「それをちゃんと確かめようと思ってここへ来たんやな」

「そうや。オレ、あの人がオヤジさんの話をするのが面白くなくてええ加減に聞き流してたから、もう一回しっかり訊き直そうと思たんや」

「その相手があるいは、って思てるんやな」

「うん。もしもその相手がオヤジさんの事件に何か関わってるんやったら、茜の疑いも晴れるんやないか?」

「場合によってはな」

 そう言いながら、鍋島は深見家のマンションの防犯カメラの映像を早急に精査する必要があるなと思った。

「──ところでおまえ、昨日は真面目に補習行っといて、今日はサボリか」

「思い出したみたいに説教か」と琉斗は白けた目をして笑った。

「まあな。一応は」と鍋島も自嘲気味に笑った。

「どうでもええやんか。どうせ義務教育やあらへんのやし」

「せやな。最後は自己責任や」

「……あの人も言うてた」

「えっ?」

「『オレの勝手や』って言うても、いずれ自分に返ってくるのよって」

「ふうん」

「……オレに言うてるようで、自分のことやったんやろな」

 琉斗は呟くと、俯いて溜め息をついた。「……病気で死ぬよりも先に、自分で死のうと決めてたんかな」

「たぶんそうやろな」

「昨日オレに会うてた間も、これで最後やと思てたんか」

 琉斗は苦悩の表情を浮かべた。「……そんな風には見えへんかったのに」

「それは……どうかな」と鍋島は言った。「深見が刺されたのを知って、それで踏ん切りがついたんかも知れん」

「どっちにしても、オレはとんだピエロやったわ」

「最初から分かってたことやろ?」

「うん。あ、いや──うん」

 琉斗は頷くと、がっかりしたように肩を落とした。「分かってる……つもりやった。せやけど──」

「いつの間にか気持ちが変わってたか?」

「分からへん。単純に重い病気ってことに同情してただけかも知れん」

 琉斗は鍋島に振り返った。「けどそれって、ただ身体が欲しかったっていう最初の気持ちとどう違う? 非道ひどさは同じやろ」

 鍋島は穏やかな表情で琉斗を見た。

「そう思うのは、おまえが純粋ってことや」




 一通り話し終わった来島真優は、これでいいんだろうという顔をして芹沢と茜の両方を見た。

「嘘は言うてないからね」

 椅子の背にもたれ、腕組みをして真優の話を聞いていた芹沢はしばらくのあいだ口を開かなかった。困惑しているというより、考えを整理しているようだった。

 途中、芹沢は上目遣いでちらりと茜を見た。茜はまったくの無表情で、落ち着き払っている。真優が話した内容が自分の期待通りだったことに満足している様子すら窺えた。

 芹沢はようやく言った。

「──つまり、君たちが昨日会ったのは夕方の五時半頃が最初で、それまではメールで連絡を取り合ってただけだって言うんだな」

「そう」真優は頷くと彼女もまたちらりと茜を見た。「のあと、うちらは報酬の分配のためにミナミのゲーセンで落ち合った。それが昨日の最初で最後」

「しかも、メールでの連絡が途切れた時間帯もあった」

「当然やんか」と真優は言った。「あたしは茜のピンチヒッターで頑張ってたんやから」

 芹沢は頷いた。「二時半から五時前までだっけ」

「そんくらい。お互い、ヤバい内容のメールは全部消したから、記録は残ってへんけど」

「……慎重なのはいいこった」と芹沢は呆れ気味に頷いた。

「相手のオッサンに確かめるのは勝手やけど、たぶん口は割らへんと思うよ。用心深いオッサンやったし」

 真優は思い出したように顔をしかめた。「エッチもセコかったわ」

「分かった」と芹沢は今度は苦笑した。

「真優、ありがとう」茜が言った。

「お礼なんて要らんし」真優は肩をすくめた。「だって結局、あんたの疑いは晴れへんのでしょ?」

「それは、この刑事さんが決めることよ」

 そう言って茜は芹沢をじっと見た。芹沢は茜の視線を受け止め、それでもなお黙っていた。

 これが狙いだったんだな、と芹沢は思った。

 確かに、今朝からの発言や行動に一貫性はない。それがいかにも両親と自分に降りかかった災難に驚き、困惑し、その結果必要以上の事後防衛に走っているかのように見えるが、はたしてそうなのか。実は彼女なりの意図があってのことだったんじゃないかと芹沢は考えていた。その意図とは何か──。

 つまりこの状況だ。

 自分への疑いを、最初はぼんやりと、そして徐々に確実にしていくこと。最初からまともに怪しいより、そっちの方が信憑性が高くなる。

 次はいよいよ自供するんだなと芹沢は確信した。


 ──誰を庇ってる? 母親か──まさか琉斗か?


 芹沢は言った。「深見さん、きみ──」

「あたしがパパを刺したのよ。ママがアル中になっても、平気で愛人と逢ってるあいつに罰を与えてやろうと思って、帰ってくるのを待ち伏せて刺したの」

「茜──」真優は驚いて茜を見た。「……ほんまやの?」

「嘘だね」

 頷きかけた茜を制するように、芹沢が言った。茜と真優が振り返った。

「高ぇケーキを四つも奢らされて、そんな戯れ言に付き合う気はねえからな」


 ──どうして女はこんなに面倒臭いんだ。芹沢は二人の女子中学生の前に並んだ空のケーキ皿を眺めて、身体から一気に疲れが溢れ出るのを感じた。


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