Ⅴ.辛辣な友情


 賀茂川沿いのバス停からバスを乗り継ぎ、鍋島と芹沢は左京区吉田よしだにある京都大学吉田キャンパスに着いた。

 図書館はすぐに分かった。正門を入ってからさほど距離がなかったせいもあるが、玄関のゆったりとした広さといい、周りを囲む木々の佇まいといい、外観からでも推し量れる内部の静けさといい、大学の図書館というものはどこも似ているもんだなと鍋島は思った。


「──で、お嬢さん方はどこだ」

 図書館正面玄関の階段前に来ると、芹沢はあたりを見渡して言った。

「一条は図書館のどこらへんって言うてた?」

「そのまま。図書館前とだけ」

 芹沢の答えに、鍋島は肩をすくめた。「俺らの方が早かったんかな。距離的にはたいして変わらんやろけど、あっちは車なんやし、早いはずやけど」

「……やれやれ」と芹沢は溜め息をついた。「電話一本で呼びつけといて、平気で待たせるってか」

「女ってのはたいていがそうや」

「そう。その上、三者三様にお嬢さんときてる」

 芹沢は携帯電話を取り出してボタンを押し、耳に当てながら言った。

「正統派箱入り娘。国際派インテリ。それから……武闘派エリートってとこか」

「言えてる」と鍋島は苦笑した。

「──あ、俺。着いたけど」

 芹沢は電話に向かって話し、相手の一条の言葉を聞いた。

「おまえがここって言ったんだろ……ふうん。で、今どこにいるんだよ。え? すぐ脇の道の奥?」

 芹沢がもう一度周囲を見回し、鍋島は玄関前から離れると図書館のすぐ南側を通る道路に出た。

「──あ、あれと違うかな」

 鍋島は道路を少し西に入ったところに停まっているBMWを見つけ、芹沢に振り返った。

「見つけた。そっち行くよ」

 芹沢は電話を切り、鍋島のもとに早足で近づきながら言った。

「来てみたら、図書館前がやたら見晴らしが良かったから、約束した相手がどっかから監視してるとまずいってんで脇に隠れて待ってたんだってよ」

「ハードボイルドやなぁ。一条は」

「だから。武闘派なんだって」と芹沢は眉をひそめた。

 車の前まで来ると、後部座席から一条が降りてきてあたりをぐるりと見回し、素早く手招きをして言った。

「早く。さっさと乗る」

「……連行される気分」

 芹沢は鍋島に囁いた。


 車に乗り込むなり、早速一条が話し出した。

「状況説明ね。相手は浅野あさの智宏ともひろ、三十一歳。経済学部経済経営学科講師。専務の津田から、何らかの情報を得られる可能性のある人物として出てきた名前よ。津田によると、浅野は中大路さんとは四年間を通して最も親しかったらしいわ。卒業後もそれなりに付き合いは続いてて、中大路さんが商社時代にイギリスに赴任してた頃には、浅野が旅行がてら訪ねて行ったこともあるそうよ。もちろん披露宴にも招待されてるわ」

「仲のいいのは分かったけど、ただ同級生ってだけで、そいつが今回のことに関して知ってるってのもな。特に、最近の状況をどこまで知ってたか分からねえんだし、期待値低めで行こうぜ」

 芹沢が言った。そこで一条は、津田から聞き出した話を二人に説明した。

「──同窓会か……」芹沢は呟いた。

「ええ。その同窓会が今回のこととどうやら時期の上でリンクしてるとなると、浅野に会う価値はあるでしょ」

 一条は言うと鍋島と芹沢を見た。「迷ってる時間は無いはずよ」

「分かった」

 芹沢は頷き、車内の全員を見渡した。「それで、誰が会いに行くんだ? 中大路さんからのメールで名前が上がった津田の場合とは違うんだし、野々村さんには外れてもらうしかないぜ」

「どうして?」と真澄が訊いた。

「浅野は今回のことは知らない──もちろん、彼が“敵”じゃなかったと仮定しての話だけど──その場合、野々村さんがいると遠慮して口が重くなる恐れがあるのよ」

「そうね。だってまさに、真澄の耳に入れたくないような話を聞き出そうとしてるんだもの」 

 麗子と一条の説明に、真澄は諦め気味に頷いた。

「麗子、それはおまえの場合にも言えることや」と鍋島が口を開いた。

「あたしも身内だから?」

「ああ」

「ってことは、この三人しかないか」

 芹沢は自分の両側の二人を見た。

「頼もしいけど……ある意味不安」

 麗子は言うと申し訳なさそうな眼差しで後部座席の三人を眺めた。

きな臭すぎない?」

「悪かったな」と鍋島は口元を曲げた。

 一条は苦笑した。「そこでね、披露宴での野々村さん側の招待客として会いに行ったらどうかと思うわけ」

「と言うと?」

「スピーチを頼まれてるんだけど、できるだけご夫妻にとってサプライズな内容にしたいから、野々村さんには内緒で中大路さんの素顔が知りたい、とか言って話を訊くのよ。そうすれば、少しは込み入ったことも話してくれるかも知れないでしょ。そこから何とか切り崩せないかしら」

「そういうことなら、まずおまえは外せねえな」芹沢が言った。

「分かってる。あとは二人のどちらかでいいと思うの」

「それやったら──」

 鍋島が自分に向かって言いかけたのを、芹沢は遮った。

「おまえが行けよ」

「俺が?」

「ああ。俺とみちるじゃ、中大路さんや野々村さんの情報があまりにも不足してる。何か突っ込んだ話を振られたとき、自然な受け答えができねえようじゃまずいだろ」

「……そうやな」

「わたしは野々村さんの高校の後輩ってことになってるわ。鍋島くんは……」

 そう言うと言葉を詰まらせた一条に、真澄が笑顔で答えた。

「初恋の人」

 真澄以外の全員が一瞬、視線を落とした。

 やがて麗子がふくれっ面で真澄の肩をつついて言った。

「会話が止まるようなこと言わないの」

「ごめーん」と真澄は片目をつぶった。

「……じゃあまあ、わたしの大学の先輩ってことにしましょう。鍋島くん、それでお願いね」 

「俺、東大卒ってこと?」鍋島は顔の前で手を振った。「ムリ」

「……いちいちそこに引っかからないでくれる? どっちだっていいのよ。分かったわ、あなたの大学で行きましょう」

「ならええねん」

「めんどくさいなぁ、もう」

 一条は眉間に皺を寄せ、口をへの字に結んだ。

「で、どこで会うんや?」

「時計台記念館の中に、フレンチレストランがあるのよ。そこで一時に予約を入れておくって──やだ、もう時間がないわ」

 一条は腕時計を覗くと、鍋島に言った。「行きましょう」

「自分らはどうする?」

 鍋島は残りの三人に訊いた。

「正門脇にカフェがあったの、気づいてた? そこで待ってるわ。あたしたちだってお昼はまだだし」

 麗子が答えた。


 鍋島と一条が車を降りたあと、残った三人は正門を入ってすぐ左側にあるカフェに向かった。

 一番奥の窓際の席に着き、三人はウィークリー・ランチを注文した。一年も残り少なくなったとあって、店内に学生らしき姿はほとんど見あたらず、教職員や観光客などがいくつかのテーブルで談笑している様子が目立っていた。

「──一条さんには、ホントに力になってもらってるわ。彼女がいてくれて、ラッキーだったと思う」

 向かいの席で外を眺めている芹沢に麗子が言った。

「せっかくの休暇を台無しにしたのは心底申し訳ないけど」

「休みが取れたのは急だったみたいだし、いいんじゃねえか。俺のこともあてにしないで来たみたいだぜ。実際、俺の休みは今日だけだし」

「そうか……明日からはあなたと勝也は仕事なのよね」

「あいにくな」

「ますます、一条さんには悪いことしたね。芹沢さんとは今朝からずっと別行動やし。今だって」真澄が言った。

「大丈夫。そういうことの切り替えは早えみたいだから」

 芹沢は小さく首を振った。「それに俺は、とにかく鍋島が行くべきだと思ったんだ」

「勝也が?」

「ああ。車の中でも話したように、俺とみちるじゃあまりにも情報が足りねえってこともあるけど、それより、俺はあいつにちゃんと腹をくくらせたかったんだ」

「腹を括る……」麗子が呟いた。

「誤解を恐れずに言うと」

 芹沢はそこで言葉を切ると、あえて、という態度を主張するように向かいに座った女性二人を真正面から見つめた。

「──一年前、あいつは野々村さんじゃなくて三上サンを選んだ。だけどそれは、この先ずっと三上サンと野々村さんの二人を引き受けるってことなんだって、あいつはちゃんと分かってたんだと思う」

「引き受ける?」真澄は微かに首を傾げた。

「そう。関わっていく、でもなく、付き合っていく、でもなく、引き受ける……。言い方が良くねえかも知れないけど、それが一番ぴったりくると思うんだ」

 芹沢は真澄に言った。「野々村さんの気持ちに応えてたら、そうはならなかったと思う。だけどあいつは自分の気持ちが三上サンにあると気づいて、それを貫こうと決めた。つまりそれは、野々村さんのことを、どんな形にしろこれからずっと見守っていくことでもあるんだって、あいつはそのときに胸に刻んだんじゃねえかって、俺は考えてるんだけど」

「……分かるような気がする」麗子が呟いた。

「あいつはそういうこと、ちゃんと決心できるやつさ。だけど器用じゃないし、正直者だから、その都度周りに気を遣って、自分も迷って、いつまで経っても毅然とした態度に出られない」

「だから勝也に行かせて、ちゃんと度胸を据えさせようとしたのね」

「俺もみちるも、一応はそっちの方でメシ食ってんだし、巻き込まれたなんていつまでも思っちゃいねえけど、やっぱあいつにフラフラしてられるとな。そりゃないぜ、って」

「呆れちゃうわよね」

「って言うか、歯痒いんだよな」

 そこへスタッフがやってきて、テーブルにカトラリーを並べていった。

「──とにかく、今日を入れて五日間しか猶予はないんだろ。ホントのとこ、しみったれた感情論なんか脇へおいといて、さっさと探しだして元通りに収めようぜって、俺は思ってる。冷てえようだけど」

「いいえ、その通りよ」

 と麗子は神妙な顔つきで頷いた。しかしそのあとすぐに満面の笑顔になり、嬉しそうに言った。

「──良かった。芹沢くんって、外見だけじゃなくて中身もちゃんといい男なのね」

「自覚してます」

 芹沢は軽い調子で答えた。

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