Ⅳ.ベランダ越しの生存確認


 中大路が昨年父親から譲り受け、代表取締役社長を務める輸入家具会社『ナカオオジ・インポート・ファニチャー』は、京都の家具の街として栄えた夷川えびすがわ通りを柳馬場やなぎのばんば通りとの交差地点から南に入ってすぐの東側にあった。付近には教会や老舗の菓子屋があり、裁判所や御所にもほど近く、ここもまた市内では利便性と環境面の両方で人気の高い地区だった。


 真澄たち一行が一階ショールームの自動ドアをくぐると、待ちかまえていたように奥から一人の男が現れた。

「あのすいません、わたし──」

「野々村さんですね。社長から聞いています」

 真澄が名乗るよりも先に、男は言って会釈をした。そしてすぐに当初現れた方向に身体の向きを変えると、そちらに手を差し伸べて三人を見て言った。

「どうぞ、中へ」

 真澄たちはそれぞれに顔を見合わせながらも、男に従った。


 通されたのは二階の応接室だった。一階にも応接スペースはあったのだが、客が出入りするショールームの一画ということもあって、そこは空けておく必要があったのだろう。それはまた、男が三人の用件を重々承知の上であることの証明でもあった。

 応接室は奥の一面が腰から上のガラス張りで、明るく、広々としていた。中央には楕円形のテーブルに革張りのソファ、左側の側面には大きな油絵が架かっていた。冷やかし客や一見の客とは違って、大きな買い物をしてくれる上得意先や取引先との落ち着いた話をするための部屋なのだろう。敷き詰められた絨毯や壁、ドアの重厚さも、話が決して外に漏れない機密性と安心感を物語っていた。

 三人を案内した男が一旦退室し、再び現れるのを待つ間、油絵の前に並んで座った三人はごく自然に小声で話した。

「……今のが津田さんかな」

 中央に座った真澄が言った。

「たぶんね。思ったより若かった」と真澄の右側の麗子が答えた。

「わたしたちのこと、どうやら待ちかまえてた感じだったわ。それはゆうべのうちに、もしくは事前に中大路さんから何らかの知らせを受けていて、いずれ来るだろうと予想していたのか、彼自身の予測なのか──」と一条。

「あるいは、“敵側”ってことも考えられなくはないけど」

「その可能性は低いと思う。そういう場合は、最初はまず知らん顔を装うだろうし──」

 一条は言ったが、すぐにかぶりを振った。「ダメダメ。簡単に決めてかからない方がいいわ。どんな可能性だって、全部視野に入れておかなくちゃ」

「そのへんの判断は一条さんが頼りよ。お願いするわ」

「分かりました」


 そのとき、ドアがノックされ、すぐに開いてさっきの男が入ってきた。コーヒーの入ったカップを四つ乗せたトレーを両手で持ち、入口脇にある電話台の上に一旦置くと、ドアをしっかりと閉め、再びトレーを持って近づいてきた。

「長いことお待たせしました」

 三十代半ばか、その少し上の年齢と推察される男は柔らかな笑みを浮かべ、真澄たちの向かい側に立つとコーヒーをそれぞれの前に置き、空になったトレーをテーブルの隅に寄せた。

「どうぞお気遣いなく」真澄が言った。

「いいえ、本当なら僕の方からご連絡差し上げるべきところでしたのに──」

 そこまで言うと、男はあっという感じで肩をすくめ、慌ててスーツの内ポケットから名刺入れを取り出した。

 男が三人それぞれに配った名刺には、社名の次に『専務取締役 津田真一郎しんいちろう』と印字されていた。

 三人は名刺を受け取り、真澄に続いて残りの二人がそれぞれ自己紹介した。

「三上麗子です。野々村さんの従姉に当たります」

「一条みちるです。野々村さんの友人です」

「友人の方……?」

 津田は僅かに訝しげな表情を浮かべ、一条を見た。中大路が真澄に堅く口止めしたことを知ってか知らずか、どちらにせよ麗子の登場はある程度彼の予測の範疇だったのかも知れないが、さすがに一条はまったくの想定外なのだろう。

「はい。野々村さんの高校時代の一年後輩で、部活動が一緒でした。仕事の関係で現在は横浜に住んでおりますが、卒業以来、ずっと親しくさせてもらっているんです。今回はたまたま出張で昨日から大阪入りしておりまして、当初から今日は野々村さんと会う予定だったもので」

「そうですか」

 真正面から自分を見据え、一点の曇りもない表情と口調で流れるように説明されて、津田は一応、納得したようだった。

「早速ですが、ここへ来られたのは……やはり、社長のことですか」

「そうです。昨夜のことです。津田さんは何かご存じなんですか?」

 真澄が訊いた。

「昨日のこと、とおっしゃいますと?」

「津田さん、無駄な手間は省かせてくださいね」

 一条がすかさず言った。津田はいささか驚いて彼女に振り返った。一条はにっこりと微笑んで続けた。

「意味のない焦らし行為は、時間の無駄だと言っているんです。お分かりでしょう?」

 ただの後輩ではない、と津田は思った。

 早速警察のお出ましか。社長が口止めしているはずなのに、結局は従姉が同行して来たところを見ると、この従姉から例の刑事に伝わり、同僚の女刑事が差し向けられたのかも知れない。仮にそうではなくて、本当に後輩だったとしても、かなりの切れ者だ。失礼だが、婚約者の野々村からはあまり想像のしにくい友人だと津田は思った。

 しかし同時に津田は、それで少しほっとしたのも事実だった。

 わけの分からないことで年末の多忙な時期の貴重な時間を無駄にするより、誰でもいいから代わりに引き受けてくれた方が気が楽だと思ったのだ。

「昨日、具体的にどういうことがあったのかは知りません。ただ、短いメールが来ましたから。しばらく会社には顔を出せなくなった、後のことは頼むと。それから──」

 津田は言うと顔を上げた。そして彼から見て真澄の左側に座っている麗子を見つめた。

「それから、何ですか」その麗子が訊いた。

「警察には知らせるなと。野々村さんにもそのように伝えてあると」

「……なるほど」と麗子は溜め息をついた。

「そのメール、確認させて頂いてもよろしいかしら」

 一条が言った。相変わらず口元に微かな笑みをたたえ、射抜くような視線で津田をじっと見つめていた。

「え、まあ……構いませんけど」

 一条に気圧けおされたのか、津田は曖昧に頷いて懐からスマートフォンを取り出した。

 津田に見せられたメールは、事実、ごく短いものだった。



 【件名】 津田さんへ


  やっぱり、しばらく会社にはかおを出せなくなりました。

  会社のもろもろの件、よろしくおねがいします。

  警察には知らせないでください。

  野々村さんにもそのようにつたえてあります。


                         中大路



「──この、『やっぱり』というのは?」

 スマートフォンを津田に返しながら、一条が訊いた。

「それは……その、社長が以前から、そう言ったようなことを口にされていましたので」

 津田の言葉に、真澄が顔を上げた。自分は知らなかった、といういささかのショックが表情に表れていた。その様子を見逃さなかった麗子と一条は、真澄の心境を思って少し切なくなった。

 だが、そんな気分を自ら払拭するかのように、麗子が訊いた。

「具体的に、どんなことをおっしゃってたんですか」

「いえ、さほど具体的ではなかったんです。そうですね……ひと月ほど前からでしょうか。ときどき、仕事の合間に……『津田さん、実はちょっと厄介なことがあってね』って、ぽつりとおっしゃって。僕が、どういったことなんですか、って訊くと、すぐに我に返ったように、何でもないんだ、気にしないでくれって、そう言って言葉を濁されるんです。僕もそれ以上は訊きようがなくて、結局それで終わってしまうというようなことが、このひと月の間に三、四回ありました」

 津田は短く溜め息をついた。年の瀬に、意味も分からず仕事を丸投げされて途方に暮れている様子がありありと見て取れた。そして彼はコーヒーを口に含むと続けた。

「一度だけ、その呟きのついでに……こんなことをおっしゃったことがあります。『過去を懐かしむようになったのは、もう若くないって証拠なのかな』って」

「過去を懐かしむ?」

「ええ。僕はその時はあまり気にしませんでしたが、今にして思えば、社長が口にしていたその厄介ごとと、何か関係した言葉なのかな、とも」

「ひと月前に、過去に関連した何かがあったのかしら」

 麗子が言った。 

「さあ。僕には見当が──」

「ひと月前なら」

 俯いたままの真澄がぽつりと言った。津田と麗子と一条は彼女を見た。

「──大学の同窓会があったはず」

 真澄は言うと顔を上げ、三人を見回した。

「ああ……そう、そうでしたね。僕も聞きましたよ。あれは確か、ゼミか何かの同窓会だったんじゃないかな」

 津田が頷きながら言った。

「そう、ゼミって言ってた」真澄も頷いた。

「社長はその日、仕事を午前中で切り上げられましたから、覚えていますよ。えっと……十一月最初の金曜日でした」

 そう言うと津田は立ち上がって電話台の前に行き、置いてあった卓上カレンダーを手に取った。

「十一月四日ですね。文化の日の翌日」

「中大路さんが心配事を口にするようになったのは、確かにその後のことなんですね?」

「ええ、詳しい日にちはもちろん覚えていませんが、そこまで前のことではありませんでした。十一月も半ば──この街が観光客でいよいよごった返す時期だったと思います」

「どう思う?」と麗子が真澄と一条に言った。「今回のことと、津田さんの言う中大路さんの呟き、その前にあった同窓会。これがみんな繋がっているのかしら」

 麗子の言葉に、一条は腕組みをし、真澄は僅かに首を傾げて俯いた。向かいの津田もコーヒーの前で両手を組み、じっと押し黙っている。その答えは、当然のことだが誰にも分かるはずがなかった。

 ──同窓会の出席者を当たるのか。捜査ではよくある展開だけど、その連中がノスタルジックな仲間意識なんかを持っていようもんなら、まったく面倒なことだなと一条は思った。

 やがて一条は腕を解き、小さな溜め息と共に言った。

「考えてもしょうがないみたい」


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