まずは、専務の津田つだという人物からだ。

 中大路がメールでこの人物について触れており、しかも「分かってくれている」と明言する以上、昨夜のうちにこの人物にも中大路からの連絡が入っていることが期待された。たとえそうでなかったにせよ、今回の事態に至るまでの事情をいくらかは知っているはずで、とにかくそれを聞き出す必要がある。

 そのためには婚約者の真澄が出て行くしかない。中大路の仕事に関しては彼女はまだ今は無関係の立場なのだろうが、昨日の出来事においては当事者であると言って良いからだ。

 ただ、メールで中大路が「麗子(≒警察)には知らせるな」と強く主張していたことを思うと、津田の警戒は予想できた。たとえ真澄が相手でも、どこまで正直に話してくれるかはあまり楽観視できない。そこへもってきて、いくら身分を隠したとしても、鍋島や芹沢が同行したのでは、おそらくぶち壊しだ。

 そこで、相手の警戒心をより解き易くするために、従姉の麗子と、真澄の親友を装った一条の女性三人で津田のもとに出向くことにした。ただし、疲れ切った真澄をもう少し休ませてからだ。皆の心情的には一刻を争ったが、ここは真澄の体調の方を重視した。


 一方の鍋島と芹沢は、昨日の“現場”である、中大路と真澄の新居のマンションに行ってみることにした。

 目撃者の一人でも見つかれば御の字だが、そうでなくても、何か分かるかも知れない。そんな甘い期待にすがるわけではなかったが、バッジがあろうとなかろうと“刑事”である以上、まずは現場に足を運ぶことは彼らにとって至極当たり前のことだった。

 女性三人を三上邸に残して、二人は一足先に京都へ向かった。阪急はんきゅう電車神戸線の夙川しゅくがわ駅から特急電車に乗り、十三じゅうそう駅で京都線の特急に乗り換えた。

 今日は平日だ。年末商戦も大詰めを迎え、街は隅々まで賑わっていた。電車の中も、朝の九時過ぎにしては比較的混んでいたが、それでも乗客同士の適度な距離はなんとか保てていた。

 乗降ドア脇のスペースに立ち、手すりに肩を預けた芹沢は、正面のつり革につかまってぼんやりと車内を見渡している鍋島に言った。

「なあ」

「うん」

「正直、俺は納得してねえんだからな」

「分かってるよ」と鍋島は俯いた。「引きずり込んで悪かった」

「そんなんじゃねえ。それはもう割り切った」

「一条のことか」

「それもいいんだ。あいつは自分で決めたんだし、それでもどっちにしたってとことんってわけにはいかねえからな。あいつの場合はどっかで引き返すことになる」

「じゃあ何や」

「おまえが、こういうやり方を選んだってことさ」

「……見捨てることなんてできひんやろ」

「そりゃそうさ。でも、本当はそうするべきだった」

「そんなことしたら──」

「てめえの立場がねえってか?」

 芹沢は言って、顔を上げた鍋島を見据えるとふんと笑った。

「……そんなこと思うわけないやろ」

「じゃあ何で背負しょい込んだ」

「なんべんも言わせるな。放っとけるわけがない」

「それだけの理由で、うまくやれると思ってんのか」

 突き放すように言った芹沢を、鍋島は睨み付けた。

「京都に任せた方が良かったって言うのか。麗子──つまり俺には知らせるなって言う、五日後には亭主になる男の強い意向を無視してまで、そのくらい必死の思いですがってきたんやぞ。真夜中にタクシー飛ばして、折れた心をふらふらの身体で何とか支えながら、寒空の下で震える手でチャイムを鳴らし続けたんや。そんな人間に、頼む相手を間違ってるでって、そっちへ行ってんかって、そんなこと言えるわけ──」

「じゃあ訊くが、自分たちだけでカタがつくって、その自信はどっから来てる?」

「やり切る自信があるなんて言うてない。でもやれることは全部やる。自信があるとしたら、そこだけや」

「……アホらしい」と芹沢は顔を背けた。「しかも青くせぇ」

「何とでも言うてくれ」

「開き直るな」芹沢はカチンと来て言った。「中途半端もいいとこだぜ。それでもし最悪の結果になったらどうする? バッジも持たねえ、仕事も休まねえ、やり方も手ぬるい──」

「手ぬるい? どこがや」

「……自覚もねえのか。涙が出るぜ」

 芹沢は舌打ちした。「芦屋あしやを出て来るのに、お嬢さんのマンションの鍵を預かってこなかったろ。確かに彼女は眠ってはいたけど、三上サンに事後承諾を頼んで、鞄から持ち出してくることだってできたのに。つまりおまえは、彼女のいないところで、まだ新婚生活のスタートすら切ってない新居の中を勝手に調べてまわるようなことはしたくなかったんだ。お嬢さんに気を遣ったのさ。必要ならまたあとで彼女の立ち会いの下に調べればいいって、そう思ってるんだろうけど、そういうとこが手ぬるいって言ってんだ。おまけにそう、青くせえ」

 鍋島は黙っていた。芹沢は続けた。

「そのくせ、みちるがおまえの覚悟を訊いたとき、おまえはとことん追いつめるって言った。だけどこんな生半可さで、どうやって追いつめるんだ? 何も言わなかったけど、みちるはがっかりしてたぜ。それだったら、たとえ婚約者が罪を犯してるって分かっても、見つけるだけでそれ以上は深追いしないって方を選択した方がまだマシだって思ってるさ」

「がっかりさせて悪かったな。二人とも、降りたかったら、早いうちに降りてくれ」

 鍋島は自棄気味に言った。

「今さら降りれっかよ。降りてえけど」

 芹沢は溜め息と共に言った。「何の罪滅ぼしのつもりか知らねえけど、やると決めた以上はきっちり腹くくって、シビアに行けよ。これなら京都に任せた方が良かったって、後で言うわけにはいかねえんだからな」

「……分かってるよ」

「だといいけどよ」

 芹沢は言って、諦めたように小さく首を振った。

 それからしばらくの間、二人は黙っていた。

 やがて停車駅を三つ過ぎ、電車が京都と大阪の府境にさしかかった頃、鍋島が我慢できないという感じで口を開いた。

「ほな訊くけど」

「何だよ」

 目を閉じていた芹沢は片目だけを薄く開けた。

「おまえは、何で引き受けた」

 そう言って真面目くさった顔で見上げてくる鍋島を、芹沢は今さら何を、という表情でしばらく見つめ返したあと、ひょいと肩をすくめて答えた。

「女の頼みは聞くもんだ」


 こうして、夙川から一時間ほどで烏丸からすま駅に着くと、今度は京都市営地下鉄烏丸線で市内の中心部を北上し、マンションの最寄り駅である鞍馬口くらまぐちを目指した。

「──うわ、寒みぃ」

 地下鉄の駅から地上に出ると、芹沢は小さく叫んで肩をすくめた。鍋島も一瞬立ち止まり、澄んだ青空を恨めしそうに見上げると、腕を組んで歩き出した。 

「……ずいぶん来てなかったから、この寒さを忘れてた」

 ジャケットのポケットに両手を突っ込み、身体を縮ませて鍋島の後を追いながら、芹沢が言った。

「ああ。油断してたら、すぐに風邪ひくぞ」

「ここ、市内のどの辺になるんだ」

「市の中心部で言うと、東西のほぼ真ん中、北寄りや。京都御所の北一キロ弱ってとこやろな」

「御所の北側って言やぁ、おまえの通ってた大学のあったとこらへんか」

「それはここから南。今乗ってきた電車の、一つ前の駅」

「ふうん」

 芹沢は相づちを打つと辺りを見回した。「ここを新居に選んだのは、なんでだろ」

「実際はここからまだもうちょっと北東のはずやけど」

 鍋島は言った。「市の中心部のわりに環境がええのかな。文教地区とまでは言わへんのかも知れんけど、周りには学校が多いはずや。もっと静かで高級な地区もあるけど、三十前の新婚所帯には向かへん感じやし。真澄の実家もそういうとこにある」

「きっと婚約者の実家もだ」

「せやな」と鍋島は頷いた。 


 十分ほど歩き回って、二人は目指すマンションを見つけた。紫明しめい通りを賀茂川かもがわから百メートルほど西南に入ったあたりに、その新築マンションは建っていた。

「──なかなかどうして、きっちりセレブじゃねえの」

 マンションの玄関前に立ち、芹沢は上階の窓を見上げて言った。

「……うん」鍋島も頷いた。

「ここに較べりゃ、俺んなんか学生アパートだな」

「俺んとこに至っては、建築模型や」

 二人は溜め息をついて、エントランスへと続く階段を上った。

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