アカデミーで学ぶべきもの

「『世間一般』ってモンを学んで来い、って言われたんだよなー」


 アカデミーへの入学理由、その問い掛けに対する答えがそれだった。


「……世間一般?」

「そー。何てーか、こー……常識? っての学んで来い、って」


 ナナイに放り出されたんだよなー、とルーフェがあっけらかんと言った。

 ナナイ、というのが誰なのかは知らないし興味もないが、常識……それはわざわざアカデミーに来てまで学ぶものだったか、とレーヴは無表情の裏で考える。普通、それらは家庭内で育っていくうちに自然と身に付いていくものかと思うのだが……、


「家庭内に常識はないのか?」

「あの人たちの常識を世間一般の常識だと思うのだけはやめておいた方がいい、ってすげー真面目なカオして言われたことがある」


 この場合、それを訊く方も訊く方だが、さらっと答えてしまう方も相当である。


「それで、アカデミー入り、ね……」

「おー。オレの歳でここに来るのって、ちょっと遅いぐらいなんだってな?」

「そうだな。早ければ五歳前後で門戸をくぐる。まぁ、この時期に送り出されるのは完全に親側のエゴだが」


 子供が、自分で自らの行く先を決めるのに、五歳という年齢はどうあっても様々なものが足りない。それでもその年齢の子供がアカデミーにやって来たというのなら、そこには確実に親の意志が介在している。

 そもそもアカデミーで学ぶ、ということ自体、結構なお金が掛かる。奨学金の制度はあるが、それもまた一握りの人間にだけ許された特権だ。

 実際、自らの意志でアカデミーにやって来る人間というのは、思うよりも存外少ないものなのである。


 頓着無く言ってのけたレーヴに、ルーフェが少しだけ目を丸くした。


「わー、言い切ったー」

「事実のみを言っただけだが。―――― こっちだ」


 頭の後ろで手を組んで歩いていたルーフェの襟首を引っ張って、レーヴは方向転換を促した。

 多少よろめいたものの、特に転ぶこともなくすぐにルーフェが体勢を立て直したのを見て、身体能力も悪くなさそうだ、と何とはなしにそう思う。


「ここが、寮。道順は覚えたな」

「おー、完璧」

「それが正面玄関で、左手側にぐるっと建物を回れば裏口がある」

「裏口って使えんの?」

「寮の厨房に直通だが」

「あー、はいはい。使用人のヒトが使うのな。生徒用じゃないってかー」


 察しも悪くない。

 肩をすくめて、レーヴは先に正面玄関の扉をくぐる。


「門限は八時」

「げー、門限とかあんのー?」

「普通、寮にはあるだろう。その後点呼はないが、門限と共に扉は閉ざされるからな。どこかの窓から入るにしても、適当に経路は確保しておけ」

「わー、何かさりげなく門限破り推奨されてる気がすんだけどー?」

「推奨はしてない。自分の面倒は自分で見ろ、と言っている」


 というか、そうしてくれないと困るのだ。何せ、何の嫌がらせなのだか寮の部屋が同室に設定されている。

 そう告げれば、へ? と間の抜けた声を上げて、ルーフェが頭の後ろで組んでいた手を解いた。


「あれ? 同室? そーなの?」

「ああ。だからついでのように案内役も任されている」


 いい迷惑だ、と隠しもせずにずばりとレーヴは言い放った。

 言われたルーフェの方はというと、特に堪えた様子もなくぽりぽりとこめかみを掻きながら「あー…、ごめん?」と謝った。限りなく疑問形のそれに、誠意はない。


「それから、えーっと……『ご愁傷様』」


 先程の謝罪よりも、何故だか余程感情がこもっていた。

 どう考えても、逆にそれが嫌だと思える単語に、レーヴは正直に眉を顰めた。


「……何だ、それは」

「や、なんつーか、寮の同室のヤツに最初に言っとけって言われた台詞……?」


 何故そこでまた疑問形か。


「誰がそんなことを」

「オレの養い親ー」


 そういえば、家庭内に常識らしきものがなかったんだったな、とレーヴは納得して諦めた。主に理解を。


「…………右手奥が食堂。利用時間については、また後で説明する」

「んー。なー、ここのメシって美味い?」

「別に。普通だろう」

「そっかー。オレ無駄に口が肥えてるらしーんだよなー。だいじょぶかな」

「知らん」


 段々とまともに会話をするのが馬鹿らしくなってきた。

 さっさと部屋まで案内して後は放っておこう、と決意を固めたレーヴは、不意にその相手が後ろを付いて来ていないことに気付いて歩みを止めた。


「? おい……」


 何をしている、と声を掛けた先、ルーフェは玄関扉の真正面に飾ってあるタペストリーを見上げていた。


「んー……、や、めずらしーモン飾ってんな、と思って」

「珍しいか?」

「モチーフ自体はそうめずらしくもねーけどなー。『刻印戦争』だろ、これ」

「ああ」


 おおよそ百年と少し前に、大国デュバルと隣国のツェルニーとの間に起こった戦争、それが俗に『刻印戦争』と呼ばれているのは周知の事実だ。

 戦は大方の予想を覆しツェルニー側が勝利し、デュバルは併合された。

 その際、ツェルニーの軍を率いていたのが、まだ若干十六歳の女王であったというのだから、『刻印戦争』は歴史的書物としても子供向けの絵本としても、英雄譚として人気が高い。

 加えて、アカデミーはツェルニーの領地内にある。その認知度は推して知るべしである。だから、確かにルーフェの言う通りモチーフ自体はそう珍しいものではない。むしろありふれている。


「何が珍しい、と?」

「このタペストリーそのものが」


 あっさりきっぱりと声が返って来て、咄嗟にその意味を捉えかねたレーヴは瞳を瞬かせた。次いで、ルーフェに倣って飾ってあるタペストリーを見上げる。……これが?


「……珍しい?」

「っつーか、希少価値だとおもーよ? だってこれ多分『刻印戦争』当時か、それに近い時代のもんだぜ?」

「……は?」


 続けられた言葉に、レーヴは思わずルーフェを振り返った。ルーフェの視線は相変わらずタペストリーへと向けられたままだ。


「綴れ織りのなー、織り方が古い。百年ぐらい前に廃れたヤツ。っつか、今はもう使われてねーんじゃねーの? これを再現できる職人もいなさそーだし」

「そう、なのか……?」

「うん。織り方が超難解。だから廃れてったんだと思うけどー」


 あの織り方でこのサイズのタペストリーって結構正気じゃない、と。

 ルーフェは訳の判らない評し方をした。レーヴには理解できない部位を、ルーフェは見ている。


「好事家に売りつけたら、けっこー良い値がつくと思うぜー?」

「そんな、ものを……」


 どうして寮の玄関なんかに飾る、とレーヴはもっともなツッコミを入れた。

 おそらくは、自分と同じようにこのタペストリーに価値などを見出せなかったからであろうが、だがしかし。


「あとなー、一緒に織られてる文字が……」

「文字?」

「んー、『女王、リノ。希望の刻印を手に最後の戦いに挑む』って……いやもうばっさり本名書いてあるから、こーれは相当古いモンだなー、と」

「…………」


 今度こそ、レーヴは絶句した。

 最早、何に驚けばいいのかも判らない。

 女王の本名、という単語にも盛大に引っ掛かるものを感じるのだが、それよりも先に。


「……読めるのか?」


 その文字が、とやや掠れた声でレーヴは問い掛けた。


 タペストリーに織られたその文字は、今現在この国で使われているものではない。

もっと古い時代 ―――― おそらくは、今の文明が確立するよりも以前に栄えていた前文明の文字、一般に『古代文字』と呼ばれているのがそれだ。遺跡などから出土される品にはこの文字が刻まれている場合も多いし、古い書物などは全文この文字で書かれているものも珍しくはない。

 また、新しいものでも、装飾品の類などにはお守り代わりのような扱いで、この文字が刻まれていることがある。このタペストリーもそういう類のものだと思っていた。


 『古代文字』そのものに、馴染みがないわけではない。

 けれど。


「え? 読めねーの?」


 きょとん、と。

 心底不思議そうな表情で、首を傾げながらそう訊いてくる相手に、レーヴは瞬間的に悟った。

 この子供が、何故世間一般を学んで来いとアカデミーに放り込まれたのか、その理由を。


「…………ひとつ、言っておく」

「へ?」


 再びきょとんと瞳を瞬かせる相手を前に、ため息をひとつ。

 深々と、それはもうふかぶかーと吐き出して、レーヴは言った。


「『古代文字』なんて、普通の人間には読めない」

「え……」

「それこそ、専門の学者でもなければ無理だ」

「…………まじで?」


 本気で初めてそのことを知った、というのがありありと判る表情で問い掛ける子供に、頷きを返して肯定してやる。


 ああ、これは確かに必要だ、『常識』。


 学ぶ必要が大有りだ ――――― と、はからずしもレーヴは納得した。

 嬉しくもなんともなかった。

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