十八、目と頭

 前回調査のままなら危険度丙くらいになるが、健一と香織は完全に全身を覆う作業服を来ている。そのせいで、停めた車から現場に着く頃には季節にかかわらず背中と腰のベルト周りに汗をかき始めた。マントはまったく発熱していない。

 遺跡は前の通り囲まれていたが、隙間が多く、外からでも中の様子が簡単に分かった。増幅器はそのままだったが、前とは少し様子が変わっている。数と方向が違うようだった。


「魔法はまったく検出されない。止まってる」

 健一がコンパスを香織に見せながら言う。

「前、東京の方を向いてるって言ったけど、偶然かな」

 香織は方向をざっと測り、タブレットを操作する。魔法の向きと影響範囲は以前と変わっていた。どうやら様々な方向に向けていたらしい。前回の調査を思い出しながら魔法の性質を探った。検討だけでもつけたい。

「呪い、なのは確か。頭の働きが鈍くなる。物事を決めにくくなる。あの様子だと」

 香織はデータを貯めずに生のまま即送信している。費用はかかるが社長の了承は得ていた。


 遺跡の周囲を大きく回って測定する健一は、奇妙な形の花をつけた草花をたくさん踏みつけた。それでも、花は冷たく湿り気のない冬の空を見上げている。

「それが鳥の季節外れのさえずりや、このたんぽぽの原因になったんだ」


 車に戻り、作業服を脱いでその場でデータの整理を始めた。その結果追加測定が生じたらすぐやり直す予定だった。

「人の心を混乱させる呪い。まともな判断が困難になる。その呪いを狙った目標にだけ当てるための魔法も含まれてる」

 香織が画面を指差しながら続ける。

「でも、今は機能していない。実験終わったのかも」

「それが、鳥や植物には別の異常を引き起こした」

「そうみたい。鳥は人間とは違うとはいえ似た神経があるから混乱の影響を受けて季節外れのさえずりになった。植物は『判断する』わけじゃないけど、季節外れは同じ」

「後、成長点に異常が出た。帯化はそうして起きるんだって」

 健一は駐車場の脇のたんぽぽを見ながら言った。心に引っかかるぼやけたものがあるが、まだ形にならない。


 自転車が駐車場に入ってきた。二人は乗っている者を見ると作業服の密閉ファスナーを締め、マントを身に着けた。顔は出しておく。

 健一はあらかじめ決めておいた信号を送ったが遅かった。通信エラーが表示される。しかし、今度は通信の不具合が非常事態を伝えることになる。一定時間ごとに自動的に信号が送られる仕組みになっているからだ。父の提案だった。


 マントがかすかに暖かくなり、不快な汗が出てくる。しかし、発汗は温度のせいだけではない。


「今度は警報機もちゃんと仕事をしたようですね。見覚えのある人だ。で、また私有地に入ったのですか。危険だと言ったでしょう。工事中ですよ」

 魔法使いは自転車に乗ったまま、車から十メートルくらいの所で静止した。地面に足はつけていない。

「承知の上です。それでも調査の必要がありましたので。このずさんで迷惑な計画について」

 香織はその曲芸を無視し、『ずさんで迷惑』を強調して発音した。魔法使いは腕を組む。


 香織は、今度は黙っていろという仕草をしない。健一は通常の通信のエラーと、定時信号の送信もエラーとなったのを確認した。


「色々とご存知のようですね。しかし、子供が国防に関する重大な計画に首を突っ込もうとしているのを見逃すわけにはいきません。責任ある大人としては」

「国防って、こんなの何になるのさ。世界中どの軍でも今僕らが着けているマント以上の性能の抗魔法装備は持ってるし、実際の力を叩きつけなきゃ何の役にも立たない」

 健一は思っていたままを口に出した。

「ほう、今日はその子も口をきくのですね。お姉さんの後ろで小さくなってるだけじゃない。ご立派です」

 小さく拍手するような手振りをする。

「で、抗魔法装備について教えてくれてありがとう。でも、だからこその実験なのですよ。暴力的な実力を使わなくてもいい兵器。装備を着けていても侵略者の戦闘行為だけを不可能にする兵器です。ご両親には賢明にも秘密保持を約束して頂いたはずなのですが」


「無駄話はやめて。どうしたいのですか。あたしたちを止める権利はありませんよ」

 香織が事務的に言い放った。

「止める権利、ですか。権利、権利と主張するばかり。義務について考えたことはありませんか。社会の一員としての」

「何をおっしゃりたいのかわかりません」


「日本人として、日本社会に育ち、その恩恵を受けて平和に過ごしてきた。それを同じように次の世代にも引き継がねばならないということです」

「季節はずれのさえずりと、歪んだ花をですか」

「実験ですから。少々のことはあります。だから今は遺物の機能を止めています。原因がはっきりし、取り除けたら再開します」


 二回目のエラーが表示された。健一は小さく首を傾げ、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にした。


「停止したのはいつですか」

「一週間ほど前」

 魔法使いは不意に普通の口調で尋ねられた質問につい答えてしまった。さっきまでの気どったような感じではなく、日常的な会話口調だった。


「でも、さえずりは今でもずっと続いています。実験の悪影響は収まっていないのではないですか」

 考えろ、考え続けろ。自分で自分にそう言い聞かせる。これにはもう一枚下の層がある。あいつの反応をよく観察しよう。目と頭だ。目と頭を鋭く保つんだ。


「それについてはわかりません。我々は鳥類学者ではありませんから。でも、なんの害もないでしょう」

「魔法が止まっているのに、影響は残っている。それでも害はないと言い切れるのですか」

「それはこちらで調べます」


 香織が割り込む。

「さっきの質問に答えてもらっていません。どうしたいのですか。それともなにも言うことがなければわたしたちはもう帰ります」

「我々に敵対するのですか。協会を相手に何ができます?」

「もう分かっています。あなた達は協会すべてを代表するわけじゃない。協会もいくつかの勢力に分かれている。普通の社会と同じ」

 香織がそう言うと、男は足をつけた。こちらをじっと睨んでいるようだったが、細かい表情は分からない。

「サーカスは終わりですか」

 姉はわざと挑発している。健一は観察を続ける。


「なるほど。そこまで分かっているなら、どの勢力につくのが得かも判断できるでしょう」

「それはもちろん。では、わたしたちはこの事実をわたしたちのやり方で処理します。ただの人間のやり方で」

 香織は前に言われたことを使って言い返した。

「それがどういう結果を生むか分かって言っているのですか。社会に亀裂を作るつもりですか」

「そっちは亀裂どころか、段差を作るつもりでしょう。自分たちが上に立てるような」


 健一は迷っている。そろそろ消火すべきかどうか。でも、どちらかと言えば燃料を注ぎたかった。

 そして、そうした。


「話戻すけど、この遺跡について、環境影響も含めて公表しますよ。止めてからも影響が続いているなら、場合によっては遺伝子検査も必要かもしれないし」

 さえずりの異常、植物の帯化について調べたことから少しはったりをかけてみた。遺伝子にまで作用しているかどうか確証はないが、環境汚染から連想されたので混ぜた。

「穏やかに済ませるのがあなた達のやり方ではないのですか。前にそうおっしゃられたように記憶していますが」

 焦っている。健一にもそれが分かった。


 通信エラーはもう何度目だろうか。画面が埋まりつつある。


 魔法使いは言葉を続ける。

「この件に関しては軍も絡みます。公表には慎重さが求められます。あなた方にそれが理解できるとは思っていません。我々に任せるのが最善とは思いませんか」

「では、いつ公表するかはっきりした日時を」

 香織が間髪を容れずに言い返した。返事をしない魔法使いに更に畳み掛ける。

「わたしどもは、最善を狙って遅すぎるよりも、次善でも素早く、という方針です。引き伸ばされるのはごめんですよ」


「今は何も約束できません。しかし、この実験こそ日本人の、というか、人類全体の幸福に寄与するものです。わたしはそういう信念を持ってこの仕事を行っています。信じていただけませんか」

 ただの兵器実験じゃないのか、と健一は思った。魔法使いは腕を組むと、そのまま諦めたように去っていった。


 しばらくすると通信エラーが復旧し、両親からの連絡が入ってきた。二人はあらましを話しながら車を出し、帰路についた。

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