十六、土曜日の予定
秋が終わろうとしている。人々の服はできるだけぬくもりを逃さず蓄えている。朝早いうちは息が白い。
「寒いね。毎日言ってるけど」
「寒い」
打ち上げが終わった時、一緒に帰ろうと誘ってきたのは木島からだった。久しぶりだった。
ポスター展示が終わり、片付けた後にクラスで反省会をかねた打ち上げを行ったのだった。特別にお菓子の持ち込みが許され、皆で楽しくあれこれ話をした。その瞬間だけ、どんな心配事もよそへ置いておくことができた。
「会社、売れた。引っ越すの」
「いつ?」
「今年の末か来年頭」
「そっか。急だね」
街路樹は枝だけになった上に剪定され、見た感じは憐れなものだったが、ガードレールに食いついている幹にはたくましさを感じた。
「いつでも連絡できるじゃない」
「まあ、そうだけど」
「だけど?」
また、言葉尻を取られた。風が枯葉を吹き散らし、どこからかさえずりが聞こえてくる。
「電話とかメールはなんか違うから、映像があっても。直接話してるのとは」
「そうなんだ」
「木島さんは違う?」
「あたしもそうなんだけどね。でも引っ越すの」
吹き散らされているのは枯れ葉ばかりではない。不心得者が捨てたごみも混じっている。白い袋がどこへ行こうか迷っていた。
引っ越し先を聞くと関西だった。母方の親戚がいるから準備とか色々手伝ってもらってる、と、言わなくてもいい情報を付け加えた。
健一は足を止め、他人のじゃまにならないよう歩道の端に寄った。
「どうしたの?」
「ちょっと、ごめん」
スマートフォンを取り出すと、辺りを見回したが声の主は見つけられなかった。とりあえず周囲の風景を入れて録画を始める。
なにか聞きたそうな木島さんにちょっと黙っててという仕草をした。
「もういいよ。いきなり悪かった」
「何?」
「さえずり。この季節に」
「何の鳥? 珍しいの?」
「メジロかな。冬にさえずることも絶対ないわけじゃないし、暖かい日が続くと勘違いするのもいるけど、変わってるから」
「そうなんだ。ほんと、鳥マニアだね」
「僕なんかまだまだ。上には上がいるし、趣味でやってる人と研究者の境目が曖昧な分野だし」
もう分かれ道にきた。いつものようにさよならを言ったが、引っかかる感じだった。永遠に分かれるさよならじゃないのに。また明日というさよならなのに。
健一はもっと別のことを言ってあげなきゃならないんじゃないかと気づいてはいたが、それでもさよならとしか言わなかった。
さえずりはネットに上げた。こんなことがありましたよ、という程度のつもりだったし、皆もそう受け止めた。変わった出来事だがたまにあるさ、と評価された。
それから数日後、ローカルニュースにも、季節外れのさえずりが取り上げられた。専門家は今回については原因は不明だとしながらも、災害などと結びつくものではないとしていた。
また、季節外れは植物にも及び、大川の土手でたんぽぽがいっせいに咲いた。しかもその一割ほどが奇妙な形をしていたので付近の人々は不安がったが、区の調査では汚染物質などは発見できなかった。その近所では帯化という言葉が一時的に流行って消えた。
「おかえり。さっそくで悪いけど会社の方に回ってきて」
香織が帰宅早々呼ぶ。健一はさっさと着替えて行った。
「これ、このままで行くから。できるようになってきたね」
笑顔で画面を指差している。そこには健一が初めて一人で作った浄化計画が映っていた。丙遺物で単純な構造だったが、とにかく一人で計画全部仕上げてみろと言われたもので、仕上がりをチェックしてもらっていた。
「合格?」
「合格。社長も喜んでるよ」
母も笑っている。すでに全員の決済印が押されていた。
「じゃ、次の土曜は現場だね。よろしく」
健一は姉の方を向いて言い、香織は頷いた。
「ところでさ、話変わるけど、キジマさん売れたって」
「業界ニュースに出てた。お前は娘さんからか」
父が言った。健一は、そう、と返事する。
「年末か来年頭に引っ越すって、関西の方」
木島さんが話したことをそのまま言うと、皆静かに聞いた。父は腕を組む。
「いずれとは思ってたけど、こんなに早いとはな」
「キジマさん買ったのって、モリさんとこでしょ」
香織が最新の記事を大画面に流す。モリグループはこの業界では大手だった。民間による浄化委託制度ができた当初から活動している古株でもある。
「うん、だからまあ安心だな。とにかくお隣さんとして無茶はしないだろうし」
父がそう言い、母に向かって、報道があった以上はすぐにでも挨拶に来るぞ、と言った。
「いま来た」
ご都合伺いのメールを皆に見せる。四人で候補日時からいい日を選んで返信した。
健一は承認された計画に基づく予定を組み、会社の予定表に上げた。もう考えることはなく、手を動かすだけだったのでキーを叩きながら他のことで頭を満たした。
例のさえずりは出歩いていると時々聞こえてくる。メジロ以外にもこの季節にさえずるはずのない種類が報告されている。しかも、調査がまとまってくると、そういった報告はこのあたりの地区からが多く、その傾向は無視できないものになっていた。
鳥は移動するが、植物はよりいっそうそれがはっきりしていた。季節外れの開花や異常な形態は東西区に多く見られ、だいたい扇型に広がっていた。
試しに地図に線を引き、扇の線が交差するところ、つまり要はないかと探ってみたが、そんなものはなかった。しかし、こじつければこじつけられる程度の位置に、あの嫌な経験をした遺物があった。
「ちょっと無理ありすぎ。こんなの線の引き方のさじ加減でどうにでもなりそうじゃない」
香織が言い、実際に線を引いて別の場所を要にした。
「そう言われるとそうなんだけど」
口ごもってしまう。自分でもそう思うのだから仕方がない。しかし、ふと両親を見ると真剣に健一の図を見ていた。
「そういや前に聞いたけど、この遺物、結局何? まだ言えない?」
この機会だと思って健一は強めに聞いた。父と母は目を合わせ、二人とも頷いた。
「お前たちを巻き込みたくないけど、これはまずいと思う。可能性があるってだけにせよ、きちんと調べなきゃ」
父が言い、健一と香織は黙って聞く。
「この遺物、兵器開発の実験に転用されてたんだ。増幅器もそのためだった」
母がそれに付け足すように言う。
「黙っててごめん。国防のためだからって言われたし、お前たちは知らないほうがいいと思ったから」
その後、二人の求めに応じ、父と母が詳細を説明してくれた。
協会の一部のグループが国防軍と協力関係を結び、兵器開発を行うこととなった。経費をかけずに最大限の効果を発揮する防衛兵器の開発が目的だった。
そのためにすでに存在する有害遺物を強化して用いようという実験が始まった。なお、協会内の対立はこれが主原因らしく、兵器開発グループは実験に使用する遺物の調達に干渉され、足踏み状態だったという。あの贈収賄事件は横から遺物をさらっていくのに好都合だったのだろうと父が推測した。
兵器は殺害する機能は持たず、目標が兵士であれば任務遂行を困難にするほどの肉体的、精神的不快感を与え、機器であれば正常な動作を不可能にすることを目的としていた。
健一の頭の中で疑問が渦巻いたが、今は父の話の腰を折らずに聞く。
「だから、その一部の魔法使いたちは協力した。殺さないで国防のお役に立てるならって」
父が言葉を続ける。
「で、わたしたちも秘密を守ると約束した。近いうちに適切な機会を見て公開し、この計画に対して人々の信を問う、それまでは中止するからってことだった」
香織が言葉をかぶせる。
「でも、中止されてなかった。健ちゃんの調べだと」
母が頷く。
「そう。その可能性がある。なにか予想もつかない影響が現れたんじゃないかって」
「ちょっと待って。かも知れないってだけでこんな告発できないよ。もし間違ってたらうちは終わりだよ」
「どういうこと? これ見つけたの健ちゃんでしょ。さっさと公開しなきゃまずいでしょ。これはさすがに」
驚いたように香織が言い、父と母も健一の顔を見た。
「さっき無理ありすぎって言ったじゃない。もっと慎重に。証拠集めなきゃ」
「健一、どうするつもりだ」
もう分かったというように父が言う。
「調べに行く。中止されたかどうか。後、出来たら性質をもっと細かく」
「だめだ。一度危ない目にあってるだろ」
「大丈夫だよ。動作してるかどうか確かめるんだから。精密コンパス持っていけばそれほど近寄らなくていい」
「健ちゃん、わたしたち相手にごまかそうとしても無駄。ちゃんと証拠になるような調査するんならそれじゃだめだってことくらい皆知ってる」
きつめの口調で母も反対した。
「俺が行く」
机を叩いて父が言う。
「だめ。これは僕が見つけたんだ。僕がやるから」
父の言葉を大声で拒否する健一に、三人とも驚いた。
「そういう問題じゃないだろ。なに意地になってる」
咳き込みながら健一以上の大声で父が言い返した。健一は自分でもわからない感情に突き動かされて反抗する。
「意地ぐらい張らせろよ」
感情的な言い合いを続ける健一と父から取り残されたようになった二人は黙って聞いているだけだった。
少しして言い合いが谷間にたどり着き、腕を組んで黙り込んだのを見て母が口を開いた。
「久しぶりね。怒鳴り合いなんて。しかも健ちゃんがね。どう、言う通りにやらせてあげたら。危ないって言っても大怪我とかするようなものじゃないでしょ。ここは日本よ」
まだ納得していない顔の父に香織もなだめるように言う。
「じゃ、あたしもついていくから。これ、けりつけるのは健ちゃんにやらせてあげようよ」
父は頭を振り、ついていくなら自分が、と主張したが、母がだめだと言った。体調と、最近は甲遺物の現場から離れている点を理由にした。
それでも言い続けたが、やがて諦め、母の言い分を受け入れた。
さっきとは打って変わった静かな口調で言う。
「分かった、分かりました。土曜の仕事は俺が代わるから、二人で行ってこい。でも、危ないことは無し。これは絶対だからな」
健一はそれを聞くと、秒の速さで予定表を組み替えた。土曜日が青色に染まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます