第19話 海掃除
お彼岸の直前、茉奈と文乃と三人で、雪がとけた海の清掃に行った。冬が終わってから初めての清掃ボランティア作業だ。
春の海は、水面にやわらかな光が反射して美しい。すべての痛みも、すべてのつらさも、洗い流してくれるような優しい波だ。
三人で手分けして、海藻や漂着物を拾った。まだ少しだけ冷たい風が、気持ち良かった。
茉奈はあたたかそうなブルゾンに、デニムのミニスカートを履いて、もこもこしたタイツにブーツを履いている。
浜辺じゅうをまわり、一通り掃除を終えると、日の出湯まで少しある距離を、車ではなく三人で歩いて帰った。
帰りの道すがら、茉奈がぽつぽつと話す。
「あたしね、どんなことを大学で勉強しようか、考えてみて、決めたんだ。心理学をやりたい。カウンセラーの資格を取れる大学で。もちろん、私は自分自身のことをなんとかするのが先で、たとえ資格がとれたとしても、カウンセラーになるかどうかは、まだわかんないんだけど。私、自分の心が知りたい。自分の気持ちを、分析できるようになりたいんだ」
「うん、いいんじゃないか」
「父と母に話したら、進路が彼らの予想通りではなかったことを、少し言われたけれど、でも、なるべく良い大学目指すっていったら、喜んでくれた。受験がんばって、家を出ていく。――この街には、帰ってこない」
そう言うと茉奈は、少しだけまぶしそうな顔をすると、俺と文乃を見た。
「私、きっと遠くの街に行くけれど、そうしても順さんと文乃さんに会いに、ときどきこの銭湯に来てもいい?」
俺と文乃は顔を見合わせ「もちろん」とうなずく。
「いつでも、待ってるから」
文乃が、歌うように言う。
「今日は、トマトシチューを仕込んであるから、茉奈ちゃんも順も、食べていきなよ。海ですっかり冷えてしまったから、あったかいものを食べなくちゃ」
「文乃さんのごはん、美味しくて、いつも楽しみなんだ。そう、大学入って一人暮らしをしたら、自炊をしなくちゃだけど、上手にできるのかな。ねえ、文乃さん」
「料理なら、いっくらでも教えてあげるよ。勉強はあたし、からきし駄目だけど、そこは順に頼んだほうがいいね」
「おお」
急に話題をふられて、俺は口ごもる。
「そういえば、こんなことを聞いていいのかわかんないけど」
茉奈が不意に言った。
「順さんは、亡くなった恋人さんとどこで初めて出会ったの?」
無邪気な恋バナをしてくる茉奈に、俺はそっと目を細める。
「個人病院の、待合室。海掃除をしているときに、拾ったガラスで手を切ってしまって、病院に行ったら、腕に包帯巻いた彼女と出会った。少し話をするうちに、うちとけて、そのまま付き合った」
「へえ。でもいいなあ、私にも、そんな出会いが来るかなあ」
「きっといつか出会うよ、茉奈を大切にしてくれる人と」
「ねえ、文乃さんは、どこでご主人と出会ったのー?」
俺の話を最後まで聞かず、こんどは文乃に話題を振る茉奈に、苦笑してしまう。孝太郎とのなれそめを語る文乃もまた、楽しそうだ。
冬が終わりかけている、と俺は突然思った。季節の冬ももちろんだが、光希が死んでから、ずっと氷と暴風雪に閉ざされていたようだった、俺の心の冬も。
人生の春が、まためぐってくるのかはわからない。ただ、ようやく、長い長い光希の喪が明けたような、そんな気分だった。
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