第6話 おでん鍋

 十二月第三週の週末、俺はまた海岸掃除に出かけた。寒風ふきすさぶ冬の浜辺は、海水浴客でいっぱいになる夏と違って、ゴミも少ない。せいぜい、流れ着いてくる海からのものだけだ。


 今日も、先週の日曜日も、幸いなことに茉奈をここで見ていない。茉奈が倒れていたのは先々週の日曜だったから、あくまで俺が見ている日は、海に来るのをやめたのかもしれない。俺が海に来ない日に、他の誰かにまた保護されていようが、知ったこっちゃない。



 もうすぐ、雪の季節になる。そう思いながら、俺は目を細めた。今日も北風で海に白い泡が立ち、沖のほうは荒れて見えた。



 浜辺を往復して、もうあらかたゴミがないことを確認すると、俺は「さぶ」と一言つぶやいて、海を後にした。



 二週間ぶりに日の出湯に寄ろうと思ったのは、身体がかなり冷えたからだ。昼飯は風呂のあと、家でありあわせのものを食べよう、と思い、日の出湯ののれんをくぐった。入口カウンターには文乃がいて、ぱっと笑顔をこちらに見せた。



「順! ちょうどいいところに。茉奈ちゃん来てるよ」

「え」



 まさか、と思って、くつをぬいで鍵付きミニロッカーにしまい、自販機の前にある共有スペースに行ってみると、茉奈は俺をちらっと見てバツの悪そうな顔で、漫画を読んでいた。



「あのあと週に一度くらい、うちに来てくれるようになったんだよ」

「――こんにちは」



 まだびっくりしながら俺が声をかけると、茉奈も小さい声で、


「こんにちは」と言った。



 今日は自前の私服らしい、セーターにチノパンという高校生相応の恰好をしている。文乃がカウンターを出て、共有スペースのほうへ来ると、茉奈は文乃をつかまえて、耳打ちした。



 文乃は、笑顔になって、ああ、いいよ、とうなずいている。茉奈も笑顔になった。



 すっかり打ち解けている二人に、蚊帳の外にされた気分になりながら突っ立っていると、文乃が説明してくれた。



「茉奈ちゃん、日曜日はご両親の都合で、うちに居づらいみたいなんだよ。だから、日曜はここにいさせてくれないか、って聞かれたから、銭湯の仕事を簡単に手伝うならいいよ、って。いまは休憩中なんだよね」



 そうなの、と茉奈がうなずく。俺は文乃が茉奈を手なずけた様子に、呆れ半分、感心半分といった調子でぽかんとしていた。



「順、風呂に入ったあと、もしよければ、二階で、茉奈ちゃんとおでん食べて行かない? 昨日の晩つくりすぎちゃってね。あんた、どうせ家でもろくなもの食べないでしょう。二階の台所に鍋があるから、勝手に温めて茉奈ちゃんと食べて」


「おお、ありがと」



 文乃のぎりぎりおせっかいにも思える親切は、相変わらずだった。俺は、ありがたくひとっ風呂浴びさせてもらったあと、日の出湯の二階――普段文乃と孝太郎夫妻が暮らしている離れ――へと、茉奈を連れて階段を上った。



 文乃のうちの台所は、小さい頃から何度もメシを食わせてもらった、俺にとってはかなり馴染んでいる場所で、どこに何があるかなども、俺は知り尽くしている。



 おでん鍋をあたため、茉奈に盛りつけてやる。

 


「嫌いなものないか?」と聞くと、

「ない」と簡潔に答えてきた。



 少々気まずい空気を感じながらも、茉奈と向かい合っておでんをつつく。この後に及んで、家庭のことを俺から聞いたほうがいいのか、よくないのか、迷っていると、茉奈が先に口を開いた。



「――うち、日曜だけ、お父さんとお母さんと、揃う日なの。お父さんは日曜だけ、会社が休みで。お母さんは主婦で、家にいるんだけど、いつも勉強勉強って、すごく厳しくて。お父さんも、怒るとこわい人で。日曜は、家にいると、いつも二人に揃って勉強できないことを責められるから、なるべくもう、友達と勉強するからって嘘ついて、家から逃げることにした。友達なんか、ほんとはいないけど」



 そこで言葉を切ると、茉奈はうつむいて、おでんの卵を割って食べ始めた。

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