終章
第59話 さすらいの王子
――親父もおふくろも兄貴たちも、みんな元気か? なかなか帰れなくてごめん。くわしいことは省くけど、おれいまリーゼル王国にいるんだ。あの西の海っぺりの。
アングレーシアでできた友達がそこで王子やってて、しばらくそいつの世話になってたんだけど、ずっと頼りっぱなしってわけにもいかないし、あと金も稼ぎたくて、いろいろやってるうちにすっかり夏が過ぎちまってさ。
新種のリンゴ栽培とか、お菓子の家つくって売り出したりとか、最初はうまくいってたんだけど、どっかの中年野郎のせいでどエライことに……って、このへんは長くなるから帰ってから話すわ。
ところであの縁談、ちゃんと断ってくれた? そんでさ、ものは相談なんだけど、ひとまず金貨八百四十枚で手え打ってくんないかな。いま手元にはないんだけど、いったんそっち帰ったらすぐ持ってくるから。ほんとすぐ!
できれば先にトラヴェニア寄ってジーク(こいつも新しい友達。ちょっとすかしたとこあるけど、いいやつ)返して、金貨も回収してきたかったんだけど、リーゼルからだったらうちのほうが近いし、それにもうじき収穫祭だろ? あれは絶対はずせないからさ。あとバルザック爺さんは……
「……とまあ、こういうわけで」
エリノアールの前で、手紙の差出人の父親はつるりとした頭をなでた。
「まったく面目ない。あの馬鹿息子ときたら、いつまでふらふらしとるんだか。せっかく嬢ちゃんが会いに来てくれたというのに」
「べつに彼に会いに来たわけじゃありませんから!」
かっと頬が熱くなるのを感じながら、エリノアールは手紙をぐしゃりと握りつぶした。
「お父様の代理で金貨を届けに来ただけです!」
「うん、よう来たよう来た。感心な嬢ちゃんだ」
えらいえらい、と子どものお遣いをほめるように相好を崩す小男に、父帝のような威厳はかけらも感じられず、このひと本当に国王なのかしらと、エリノアールは内心あきれていた。だいたい、皇女に向かって「嬢ちゃん」とは何事だ。ただ、そのざっくばらんな応対は、けっして不快なものではなかったが。
「本当はお父様から直接渡す約束だったようですけど、なかなか彼がもどってこないものですから、仕方なくわたしが」
語った内容は事実とだいぶ違っていたが、かまうものかとエリノアールは心の中で舌を出した。実際は、なかば父帝を脅迫して飛びだしてきたのだが、それこそ仕方のないことだと思う。遠征から帰ってきた姉姫と、その副官の姿を見ていたくなかったのだから。
あの二人の間の空気が出征前とは微妙に異なっていることに気づいたとき、エリノアールは胸がざっくり切られたような心持ちになった。ひと晩泣いて、部屋中のクッションを壁に投げつけたところで、ふと思い立ったのだ。そうだ、あの王子に文句を言ってやらなければ、と。
「でも、この手紙の様子ではいつ帰ってくるかわかりませんわね」
「なに、心配はいらんよ。収穫祭は明後日だ。それまでには帰ってこよう。嬢ちゃんもしばらくは居られるのだろう? うん、ゆっくりしていきなさい。祭りの日はあれに案内させるから」
祭りという言葉に、エリノアールの胸のうちでぱっと明かりがともる。にぎやかに笑いさざめく人々。甘い菓子の香り。陽気な音楽。手拍子と花火。
「では、まず家族を紹介しようかの。王妃は客用布団を干しているからあとにするとして……ああ、エドガーも狩りに出とるんだった。なら先にフランか」
そこで国王は、なぜかわくわく顔で手をこすり合わせた。
「ふふ、じつは嬢ちゃんを見たときから、うちの次男と並べてみたくてうずうずしとってな。今夜の蝋燭は半分ですむかも……」
「なんですって?」
「ああいや、こっちの話。さて、あれはどこで寝とるか……」
立ち上がって窓を閉めようとした国王は「ほう」と声をあげた。
「鳥か。それにしては大きい……」
エリノアールははっとして窓辺に駆け寄った。国王を押しのける勢いで窓から身を乗りだし、空の彼方に目をこらす。澄んだ空にたなびく雲の向こう、ぐんぐん近づいてくる二つの影、あれは――
ざっと強い風が吹き、エリノアールの黄金の髪をなぶった。とっさに髪をおさえた手から紙片が舞いあがったが、それをつかまえる必要はないとわかっていた。
手紙の続きは、あの王子から聞けばいい。きっとすぐに会えるのだから。
追伸 収穫祭にひとり連れてきていいかな。そいつ、昔うちの親戚? みたいな人にも誘われてたんだって。まあ口は悪いし性格はそれに輪をかけて悪い上に、たいして役にも立たない無職だけど、火おこしくらいはできるから。
でも、友達枠で招待してやるよって言ったら、そいつすげえ不機嫌になってさ。おれに借りをつくるみたいでおもしろくないんだと。だったらまず金返せってんだ。ほんと性悪。
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