第48話 押してだめなら壊してみる

「それで、どうやって逃げる気だ?」


 アレンはギルロイに尋ねた。


 扉に錠がかかっているだけならアレンの出番だが、鍵穴が見当たらない。かといって扉を押してみてもびくともしない。おそらく外側からかんぬきがかけられているか、あるいは重い物でふさがれているのだろう。こういう原始的な閉じこめられ方は逆に厄介である。


「まあ見ておれ」


 ギルロイが得意げな顔で小さく口笛を吹くと、天井からぱたぱたと一羽の小鳥が舞い降りてきた。ギルロイがさしのべた手のなかにすっぽりおさまるほどの大きさで、頭は黒く、背は灰色で腹だけが白い。


 夜に鳥? と首をかしげるアレンの前で、老人と小鳥はじいっと互いを見つめた。鳥は――鳥だけは可愛いとアレンが観察していると、ギルロイはふんふんとうなずき、懐から黒い丸薬のようなものをとりだして小鳥のくちばしにくわえさせた。


 ギルロイが手をふると小鳥はぱっと飛び立ち、ふたたび天井の暗がりに消えていった。


「いまのなに? ギル爺」

「わしの使い魔じゃ。わしは師匠のように大型の獣は使役できんからの、あの程度が精一杯じゃが、なかなかよう働いてくれる。おぬしの故郷の偵察に行ってくれたのも、あのピーちゃ……ピエトロじゃ」

「そうなんだ」


 働き者の使い魔に、アレンは心のなかで礼を言った。遠いところありがとね、ピーちゃん。


姿なりはあのとおり小さいが、速さはドラゴンにもひけをとらぬ。おぬしは気づいておらんかったろうが、トラヴィスやナヴァールでもおぬしらを見守ってくれていたのじゃぞ。途中で師匠に焼き鳥にされかけて逃げ帰ってくるまでは……」


 そこでギルロイは口をつぐんだ。小屋の外から複数の足音に混ざって、ぱちぱちと火のはぜる音が近づいてきたのだ。


「ギル爺……」

「来おったな」


 老賢者は皆を小屋の隅にあつめた。


「頭を低く、目と耳をふさいで口はひらけ」

「おいギル爺、まさか……」


 嫌な予感にかられたアレンが声をあげた瞬間、爆音とともに扉が吹き飛んだ。


「よし行け! アレン王子!」


 なんでおれ!? と思ったが、ばしっと背中をたたかれてアレンは反射的に駆けだした。


 外に飛びだすと同時に、アレンは横に飛んだ。半瞬前までアレンの耳があった位置を斬撃がぐ。


「ふん、少しはできるらしいな」


 小馬鹿にしたように言った襲撃者の髭面に、アレンは見覚えがあった。アングレーシアの酒場で対峙した領主の私兵の首領格だ。そしてその手に握られているのは──


「それ、おれの剣!」

「へっ」


 男は頬をゆがめ、宝剣エルシルドを構えなおした。


「おまえみたいなガキにはもったいねえ名剣だ。おれがせいぜい有効に使ってやるよ」

「名剣!?」


 そんな場合ではなかったが、アレンはつい腰を低くして尋ねた。


「名剣つうと、その、おいくらくらいですかね。だいたいでいいんで」

「む……まあ金貨で二百枚、いや、さやこみなら三百はくだらんか……」

「三百!?」


 アレンが狂喜したところで、ごん、と鈍い音がした。酔っ払いのように身体をゆらした男の背後には、いつの間にまわりこんだのか、杖を手にした老人が立っていた。


「……ギル爺」


 にんまりと笑みを浮かべたギルロイがふたたび杖をふりおろすと、男はどうと地に伏した。その身体にぴょこんと飛び乗ったのは使い魔の小鳥だった。


「どうじゃ、わしの特製火薬の威力は」

「どうだじゃねえよ」


 アレンはあたりを見わたしてため息をついた。

 

 岩場のあちこちに、いましがたの爆発の犠牲になったとおぼしき男たちが倒れている。おそらくギルロイは使い魔に火薬を託し、男たちが小屋に火をかける間際をねらって空から落とせとでも命じたのだろう。


「やりかたがざつ。なんであんたら師弟って何でもかんでも爆破したがるんだ? おれらまで吹っ飛んだらどうする……あ、ピーちゃんは悪くないから。がんばってくれたから」


 きゅるんと目をうるませた――ように見えた小鳥に、アレンがあわてて言い添えると、ピエトロは「そうなの、がんばったの」と言うようにふわふわの白い胸をそらした。


「おい、兄ちゃん、大丈夫か。ギルロイ様も……」


 仲間に支えられながら、蜂蜜酒の親父が小屋から出てくる。アレンがこたえようとしたところで、「父ちゃん!」という叫び声とともに、一人の若者が岩陰から飛びだしてきた。


「おまえ、どうして……」


 驚いた様子の親爺に若者はむしゃぶりつき、そのまま泣き崩れた。


「ごめん、父ちゃん……おれ、意気地なしで……」


 若者のあとからも次々と岩場から人が走りよってくる。それぞれの家族のもとへ。


「姉ちゃん、よかった! 間に合った……!」

「……許してくれ、おれが悪かった……」

「できねえよ。やっぱりおまえを見殺しになんて……」


 涙ながらに詫びを口にできた者はわずかで、あとはただ声にならない思いをぶつけるように、互いの身体をかたく抱きしめていた。


 家族たちの再会を前にして、アレンはほっと肩の力を抜いた。目の奥に熱いものがこみあげてきて、あわてて目をおさえる。どうも一度泣いてしまうと癖がつくようで困る。


「……恐怖は、ときに人を愚行に走らせる」


 アレンの隣に立つギルロイがつぶやくように言う。


「じゃが、その恐怖に打ちつのも、また人。この世でもっとも強く、貴いものは――」


 ギルロイはふっと笑ってアレンを見た。


「愛じゃ。決して金銭などではなく」

「うるせえ、金払え」


 愛のない応対をしたところで、アレンは住人たちの中から歩みよってきた女性に気づいてぎくりとした。


「ローザ……」


 赤毛の女給の名を呼んだきり、アレンは次の言葉を見つけられなかった。呆然と立ちつくすアレンに、ローザは胸にかかえていた布のかたまりをさしだした。


「これ、忘れ物」


 きちんとたたまれたそれは、七師団の深緑の外套だった。


「外套の破れてたとこ、かがっておいたわ。余計なことだったら……ごめんなさい」


 謝罪の言葉が本当は何に対してのものか、アレンにはよくわかっていた。わかっていて手をのばせなかったのは、まだ怖かったからだ。この手を払いのけられるのではないか、嫌悪に身をよじられるのではないかと。


 立ちすくむアレンの両手をローザは引きよせ、外套と剣をのせてくれた。触れた手から伝わる温もりが、アレンの胸の奥にこごっていたものをゆっくりと溶かしていくようだった。


 まだ、とアレンは思った。


 よかった、まだ残っている、と。この身がどんなに冷たく、固くなろうとも、温かいものを温かいと感じられるところは、まだこの身にちゃんと残っているのだ。


「……ありがとう」


 かろうじてそれだけ口にすると、ローザはほっと表情をゆるめ、そこでアレンもようやく気づいた。彼女もまた、拒絶を恐れていたのだと。


「いいわよ、このくらい」


 目尻をぬぐいながらそう答えるローザの声は、以前のようなさばさばとした調子をとりもどしていた。


「それよりまたお店にきてくれる? あのお兄さんも一緒に」

「ああ、次は絶対あいつに払わせる」


 二人で目を合わせて笑ったところで、ピイと高く使い魔が鳴いた。はっとしたアレンの耳に、かすかな馬蹄の響きがとどいた。


「新手じゃ」


 静かな、しかし鋭い老賢者の警告に、あたりの空気が凍りついた。

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