第六章

第41話 寝過ごしにはご用心

 アレンとシグルトがアングレーシアの荒野の館にたどり着いたのは、カリス砦を発って二日目の朝のことだった。


「だああああっ! もうやだ! もう無理!」


 ジークの背からころげるように降りたアレンはばったりと地に伏した。ひんやりした朝露を頬に受けながら、そのまま安らかな眠りに――


「邪魔だ」


 つこうとしたところで、背中を踏まれた。


「入り口ふさいでんじゃねえよ。燃やすぞ」

「やりたきゃやれよ……もうほんと無理なんだけどおれ……」


 そうは言いつつ、やっぱり焼死は願い下げのアレンはのっそりと身体を起こした。


「……ねみい……」


 そう、眠い。砦を出てから二つの夜と一つの昼を越えてきたが、その間アレンはほぼ一睡もしていなかった。先を急ぐというシグルトは道中ほとんど休憩をはさまずデイジーを飛ばし、アレンはジークの背中にかじりついて、ひたすらその後を追うしかなかったのである。


「おい」


 今度は横腹を蹴られた。


「……んだよ」

 

 どんよりと顔をあげたアレンに、シグルトは館の扉をあごでしゃくった。


「……開けろってか」

「そのくらいしか能がねえだろ、おまえ」

「黙れ、人間火打ち石」


 もういっそ扉破壊しろ、おれが許す、と言ってやりたい気持ちをぐっとこらえ、アレンは扉へにじりよった。それにしても、問答無用で放火しなくなったなんて成長したな、お兄ちゃん嬉しいよ……


「……じゃなくて。くそ、オルランドの呪いかこれ……」


 ぶつぶつとこぼしつつ、アレンはいつもの倍の時間をかけてなんとか錠をはずした。


 館の中は静かで薄暗く、暴力的にまぶしい朝日から逃れられたアレンはほっと息をついた。前回シグルトが破壊のかぎりを尽くした居間は綺麗に片付けられており、そのせいか以前よりがらんとして見えた。


 シグルトはずかずかと居間を横切り、奥の部屋の扉を片っぱしから開けてまわっている。その後に続いたアレンは、あるものを見つけて目を輝かせた。


 客人用とおぼしき小さな部屋に、これまた小さな寝台が置かれていたのだ。清潔そうな麻布が敷かれたその寝床は、あらがいがたい魅力をもってアレンを手招きしているようだった。


「悪い、ちょっと寝るわ」


 シグルトに声をかけ、アレンは外套もぬがずに寝台に倒れこんだ。腰の剣をはずし、胸にかかえる。


「おい、クソガキ」


 苦々しい声を耳の端でとらえたのを最後に、アレンの意識は深い眠りにひきずりこまれた。





 気がついたとき、すぐにああこれは夢だとわかった。


 目の前に一人の男が立っている。上背はあるが姿勢の悪いその姿は、どこかで見たことがある気がしたが、肝心の顔は霧につつまれたようにぼやけていた。


「本当に、ほかに手はないのか」


 声を発したのは自分だった。だが、その響きは記憶にある己のものとは異なっていた。


「しつけえな」


 舌打ちまじりの男の声にも、やはり聞き覚えがあるような気がした。誰の声かは思い出せなかったが。


「ほかにあったら、はじめからこんなこと言わねえよ。いいからさっさとやってくれ」

「できるか!」


 己の意思によらず、身体が動いた。相手に殴りかかるように振り上げられた腕は、しかし途中で力なく脇に垂れる。


「……おれは嫌だ」

「嫌とかいいとかの問題じゃねえだろ。五歳のガキじゃあるまいし」

「結構。ならおれは五歳児だ。今後そう思って接してくれ」

「やめろ気色悪い。変なもん想像しちまったじゃねえか」


 男はげんなりしたように首をすくめた。


「あれは、いずれおまえの故郷にも飛び火するぞ」


 ずん、と重い衝撃が胸に落ちてきた。身体を借りている誰かの痛みを、そのまま食らってしまったかのように。


「大事な家族とやらを見殺しにしたくはないんだろ? だったら、おれの言うとおりにしろ」


 男はゆっくりと片手をあげた。その指が示す先に視線を落とすと、己の腰にさげられた剣が目に入った。


「いまなら」


 ひっそりと、男は告げる。


「神とやらを信じてやってもいいぜ。そいつがおまえの手にころがりこんできたのは偶然じゃない……抜け」


 震える手が剣の柄にかかる。夢の中だというのに、その鋼の重みはひどく生々しかった。


 抜き放たれた刀身に、一人の男の顔が映る。黒い髪、黒い瞳。見覚えのない、けれどどこかで見たような――


「――そいつで、おれを殺せ」





 目を開けると、あたりは薄闇につつまれていて、いまが夕刻なのか明け方なのか、にわかに判断がつかなかった。


「あー……きもちわる……」


 なにか、とても嫌な夢を見ていた気がする。夢の残滓ざんしをはらうように頭をふり、アレンは寝台から降りた。長すぎる午睡の後のような気だるさと、そこはかとない罪悪感を覚えながら、剣をつかんで部屋を出る。


「おーい……おっさん?」


 呼びかけに応える声はなかった。重い足を引きずって館の扉を開けると、落日の光がアレンの目を射た。


 西日を背にうずくまっていたドラゴンが、アレンに気づいて首をもたげる。だが、その側にいるはずのもう一頭の姿は、どこにも見あたらなかった。


「ジーク? デイジーは?」


 悲しそうにまばたきをするドラゴンを見て、アレンはようやく理解した。どうやら自分が置き去りにされてしまったことを。

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