第39話 大人になったら一人で起きよう
――朝焼けと夕焼け、どちらが好きだ?
初めて会ったとき、そう訊かれた。
妙なことを訊くものだと思いつつ、そんな気持ちはおくびにも出さずに「どちらも」と答えたら、その人はさもおかしそうに笑った。なるほど、どちらも嫌いかと。
うろたえるという感情を久しぶりに味あわせてくれたその人は、前月に師団長に就任したばかりだった。どうせ身分によって得た地位だろうと噂されていたが、それが事実無根の中傷にすぎないことを入団初日で確信した。
実際、かつての自分は朝陽も夕陽も嫌いだった。落日には嫌な思い出がつきまとっていたし、明け方の光にはいつも憂鬱にさせられた。またろくでもない一日がはじまるのかと。
いまは、どちらもそう嫌いではない。ことに暁の光は好ましいくらいだ。そう伝えたら、彼女はきっと笑うだろう。それこそまばゆい太陽のような笑みを浮かべて、こう言うに違いない。
――よし、ならおまえは夜勤固定だ。
……あのわけのわからない質問が、日勤と夜勤の割り振りを決めるためのものだと知ってしまった以上、朝焼けのほうが好きだなどとは口が裂けても言わないつもりのオルランドであった。
「――団長」
その朝日に目を細めながら、オルランドは上官の背中に呼びかけた。砦の城壁に手をかけて、その人は東の空を見上げていた。
「団長」
返事がないのは怒っている証拠だ。ひどくめずらしいことだが、この上官も人間である以上つむじを曲げることくらいある。それも今回はなかなかに長引きそうだった。
「アイーダ様」
三度目にしてようやく上官はふりむいてくれた。
「なんだ」
「朝のご報告を」
定時報告にやってきたのだが、この状態ではおとなしく聞いてもらえそうになかった。
「いちばん重要で不愉快な報告なら、さっき聞かせてもらったばかりだがな」
案の定アイーダは腕を組み、黒い瞳を怒りにきらめかせてオルランドをにらみつけた。
「まだお腹立ちですか」
「あたりまえだろう! なぜアレンたちが出て行くときに起こしてくれなかったんだ!」
祭りの晩に寝入ってしまった子どもですか、あなたは、という言葉を呑みこみ、かわりにオルランドは深いため息をついた。
「先ほども申し上げましたが、あのときはアレンも急いでおりましたし、それに団長は部屋でお
「出征中だぞ!? 敵が夜襲をかけてきても、おまえはわたしを放っておくのか?」
「そのときは扉を蹴破ってでも起こしにあがりますよ。ああですが、そんなときはなるべくご自分で起きてきてくださいね? 多分わたしは忙しいので」
「おまえ……」
アイーダはいっとき怒りを忘れたように、まじまじとオルランドの顔を見つめた。
「変わったな。昔は上辺だけでも綺麗に取り繕っていたのに、いつからそんなになったんだ?」
誰のせいだと、オルランドは憮然とした。この人の前では何をどう取り繕っても無駄だと気づかされたから、オルランドは長年かぶっていた猫を放り捨てたのだ。そのせいかはわからないが、数年来の頭痛と肩こりがだいぶ改善されたのは喜ばしいかぎりである。
「アレンもアレンだ。どうせなら、おまえではなくわたしに伝えにくればよかったのに」
「夜中にご婦人の部屋に押しかけるなどという暴挙に出ないだけの分別が彼にあってよかったと、わたしは思いますがね」
「そんなこと気にしなくてもいいのに……というわけにもいかないことくらい、ちゃんとわかっているぞ!」
「勝ち誇った顔をなさらないでください。人並みの常識を身につけられたくらいで感心なんてしませんから」
久しぶりに頭の奥がうずいて、オルランドは眉間をもんだ。
「お声がけしなかったのはお詫びしますが、そこまでアレンにお会いになりたかったのですか?」
「アレンはもちろんだが、シグルトにもな……約束をしていたのだ」
憂い顔で目を伏せた上官に、オルランドは声がとがらないよう細心の注意をはらって尋ねた。
「どのようなお約束を?」
「……さわって、抱きしめてもいいと……あまつさえ乗ってもいいと! その約束も果たさぬまま、なぜ黙って行ってしまったんだ! デイジー!!」
ああそうですかと、血を吐くような上官の叫びをオルランドは無感動に聞き流した。
「その情熱を、多少なりとも人間にふりわけようとはお思いにならないので?」
おや、とアイーダは意外そうな顔をする。
「めずらしいな。おまえがそんなことを言うなんて。何かあったのか?」
「べつに何もありませんよ。ただ、少しばかり若さにあてられたのかもしれませんね」
あの王子にも困ったものだと、オルランドは胸のうちで嘆息した。こちらの計画を台無しにしてくれただけでなく、たった数日で団員の心をすっかり掌握してしまうとは。
おかげでオルランドは朝から部下たちの物言いたげな視線を浴びっぱなしである。「自分も起こしてほしかったです」とか「副団長ばっかりずるい」などという。もちろん全部無視しているし、実際に口に出して言う強者がいたら、その勇気に敬意を表して減給処分にしてやるつもりでいるが。
なにより、とうの昔に封をしていたはずの気持ちを揺り動かされたのは厄介だった。望むまいと思っていたものに、手をのばしたくなっている自分がいる。
「……すぐに帰ってくるだろうな」
アイーダの声も表情も、先ほどよりはずいぶんやわらいでいた。
「そうでなければ困りますよ。ジークも返してもらわなければなりませんし」
「金貨も待っていることだしな。ではその間に、われらはわれらの仕事を片付けるとするか」
どうやら機嫌を直してくれたらしい上官は、定時報告を聞き終えると、てきぱきと指示を下しはじめた。
「偵察部隊は前回の倍に。それから、トラヴィスに増援要請を。やつらはまた現れるだろうからな」
「承知いたしましたが、はたして他の師団が腰をあげますかね」
「第九をよこしてくれるよう父上に手紙を書く。あの師団長ならば嫌とは言うまい……それにしても」
アイーダは嘆かわしいと言わんばかりに頭をふった。
「十三もそろっていて、頼むに足るはほんのわずかか。いまに始まったことではないが、情けないことだな」
大陸随一の大国。その呼称がすでに実体を伴わなくなりつつあることを、オルランドは知っている。病んだ老体のごときこの国は、もはやユリウス帝一人の力では支えきれまい。
だからこそ、とオルランドは思う。この国には新しい光が必要なのだと。新しい太陽が昇る道を、自らが切り
その思いは、いささかも
打ち合わせを終え、上官に一礼して退出しかけたときだった。オルランドが視界の端にそれをとらえたのは。
「……だ」
声をかける前に、アイーダも気づいた。
朝日を浴びて輝く木々の間に、黒くうごめくものがいる。巨大な蛇にも似たその群れは、ゆっくりと、しかし確実に砦へと這い進んでくる。その数、百や千ではきくまい。
「馬鹿な……」
オルランドの喉からかすれた息がもれた。城壁に頭をたたきつけたい衝動をかろうじて抑えこむ。これほどの数の敵が潜んでいたことも見つけられず、なにが諜報部隊だ。
「オルランド」
上官の声でオルランドは自失から立ち直った。強い光をたたえた黒い瞳には、狼狽の影も恐怖の色もなかった。
その顔にうっすらと笑みすら浮かべ、アイーダは不敵に告げた。
「さっそく仕事だ」
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