第28話 御前会議は踊らない
ナヴァール地方。トラヴェニア帝国北辺に位置する山岳地帯だ。昨夜、この地からやってきた急使が皇城に駆けこんだ件についても、すでにオルランドから説明をうけていたアレンたちである。
使者が告げたところによると、数日前、ナヴァールの小村が正体不明の集団に襲われ、壊滅したという。ただ一人生き残った住民はこう証言した。襲撃者たちは全身を黒く染めた異形の者であった、と。
「ナヴァール守備隊からの救援要請に応えて、われらはこれよりナヴァールへ出兵する。そこにあなたも同行していただければ……」
「お待ちを、殿下」
口をはさんだのは、またしても武人風の廷臣だった。
「まだ兵を送ると決まったわけではありません。ここは慎重に……」
「これはこれは」
毒のあるつぶやきが卓の一角からもれる。
「勇猛をもって鳴らす第三師団長の言葉とも思えませぬな。さすがの貴殿も、亡者の群れには敵わぬということですか」
「なんだと……」
第三師団長と呼ばれた男が気色ばんで発言者をにらみつける。それを皮切りに、他の者たちも口々に意見を述べはじめた。
「第四師団長のおっしゃるとおり。いますこし詳しい状況を確認してからでも遅くはない」
「だが、ぐずぐずしていれば被害はさらにひろがるぞ。あの使者のあわてぶり、貴殿もご覧になったであろう」
「では、貴殿が行かれては?」
「無茶を申されるな。重騎兵が主力のわが第六師団に山越えなど」
「そもそも帝都から兵を送る必要があるのか。ナヴァール守備隊にはヴァレー伯がおろう。老練なあの男にまかせておけば……」
「……変わらんな」
嘲るようなシグルトのつぶやきは廷臣たちの声にかき消され、アレンの耳にしかとどかなかった。
「――陛下」
しなやかな鞭のような声が、場の喧騒を打ちすえた。
「ナヴァール救援の任、ぜひともわが第七師団にお命じいただきたく存じます」
第七師団長アイーダが、胸に手をあてユリウス帝に頭を垂れた。毅然としたその姿を前に廷臣たちは口をつぐみ、次いで反対の声をあげはじめた。
「いや、それは……」
「あのような辺境の地に、殿下御自らがお出ましになることもありますまい」
「ここはひとまず様子を見るのが賢明かと」
「貴殿ら」
アイーダは一同をふりかえる。
「先ほどから聞いていれば、心得違いも甚だしい。救援を求めてきたのは他国にあらず、わが帝国の民であるぞ。一刻も早く救援に赴く以外の道があるとは、わたしには思えぬがな」
気まずげに目を伏せる廷臣たちをもはや一顧だにせず、アイーダはユリウス帝に向き直る。
「陛下、すでにわが団の出撃準備は整っております。陛下のお許しがいただければ、すぐさまナヴァールへ飛びたつ所存」
――まったく、超過勤務にもほどがありますよ。
アレンの頭の中で、オルランドのぼやきがこだました。
――
馬車にゆられながらそうこぼしていた副師団長の顔には、疲労のうちにも確かな誇らしさがにじんでいた。
「魔術師どの、第七師団長はこう申しておるが、そなたの助力は叶おうか」
ユリウス帝に問われたシグルトは、あごに手をあてて考えこんでいたが、それも長いことではなかった。
「美人の頼みは断らない主義だが、今回はべつだな。この国がどうなろうが、おれの知ったことじゃない」
黒い瞳を
「百年前に始末したはずの
「それはありがたい!」
ぱっと顔を輝かせたアイーダに、シグルトは
「ついて行っていいかな、アイーダ。ナヴァールは
「やめとけ」
アイーダが答える前に、シグルトが突き放すように言った。
「遊びじゃないんだ。ガキはおとなしく家に帰ってろ」
「帰りたくても帰れないんだよ」
アレンはおもむろに左腕の袖をまくりあげ、衆目にそれをさらした。
「おまえ……」
シグルトがさっと顔色を変えてアレンの左腕をつかんだ。手首の下に小さな黒い染みが浮いた腕を。
「いつからだ」
「気づいたのは今朝」
「やつに噛まれたのか」
「わかんね。あのときは必死だったから。けど、これがあるってことは、つまりそういうことなんだろうな」
アレンは右手で黒い
「なあ、あんたこれ治せる? それか、腕斬り落とすしかないかな」
「……どっちも無理だな。一度それができたら終わりだ。斬り落としても、肉を削いでも、またべつのところが黒くなる」
「よかった。斬るしかないって言われたらどうしようかと思った」
アレンは袖をもどし、呆然とした面持ちの皇女に訴えた。
「頼むよ、アイーダ。こんな身体じゃ、おれは国に帰れない」
「いや、アレン、しかし……」
「アレン王子」
アイーダに代わってユリウス帝が口を開く。
「そなたはわが帝国の恩人だ。その病を癒す
「ありがとうございます。ですが、それもできそうにありません」
ひと呼吸おいて、アレンはその言葉を吐きだした。
「怖いんです」
朝起きて、左腕に黒い染みを見つけたときから、オルランドから黒い亡者の話を聞いたときから、シグルトの口から
「
「探しに行ったところで、見つかるとも限らんぜ」
シグルトの指摘は冷静を通り越していっそ残酷だったが、アレンは「それでも」と首を横にふった。
「何もしないよりましだ」
アレンはその場にひざをついた。
「皇帝陛下、皇女殿下、どうかお願いします。同行の許可を」
頭を垂れるアレンを前に、ユリウス帝は瞑目し、やがて静かにうなずいた。
皇帝臨席の会議は、第七師団のナヴァール派遣を決定して閉会した。客人二名の同行を上官から告げられたオルランドは、さして驚いた顔も見せず淡々と準備を進めたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます