第24話 黒の亡者
夜に曲芸飛行を披露しても、ドラゴンの姿が闇にまぎれて見えないのでは。昼間そんな疑問を口にしたアレンを前に、テオとウィルはにんまりと顔を見合わせたものである。
いいものがありやしてねえ、と怪しい薬の売人のような口上とともに彼らがアレンに見せてくれたのは、小さな壷に入った
この粉をドラゴンの身にはたけば、暗闇の中でもその姿が浮かび上がるという仕掛けらしい。青白く発光するドラゴンが夜空を飛翔するさまは、テオいわく「まるで夜の女王様!」だそうな。
なお、恍惚とした表情のウィルが「われらはその
そのときは話半分に聞いていたアレンだったが、いまならば、と夜空を見上げて強く思う。あの二人の気持ちがよくわかると。
藍色の空を、二頭のドラゴンが青白い光の帯となって翔けめぐる。重なっては離れ、交差してはまた遠ざかる、力強くも優美な光の舞。
かくも見事な舞を披露するのは、第七師団きってのドラゴン使いアイーダと、その右腕のオルランドだ。二人の卓越した技術と絶妙な呼吸の調和なしに、この芸術は成立し得ないだろう。ことに、左右から互いをめがけて一直線に飛んできたドラゴンが衝突すれすれで急上昇し、そのまま夜空に綺麗な円を描いたときなど、地上でわき起こった歓声は星をも震わせんばかりだった。
大喝采を浴びながら二頭のドラゴンが夜空の彼方に消えていくと、間をおかず盛大な花火が打ち上げられた。
赤、青、緑に橙、白銀に黄金……色とりどりの光の花が、夜空にいくつも咲いては消えていく。
「トラヴェニア帝国に栄えあれ!」
きらめく火の粉がとける空に、観客の一人が葡萄酒の杯を高くかかげる。それを皮切りに、人々はこぞって歓呼の声をあげた。
「皇帝陛下万歳!」
「第七師団に! お美しい団長どのに!」
「アイーダ皇女に乾杯!」
歓声は、次第にアイーダの名で埋めつくされていく。
「……すげえなあ」
夢中で手をたたいていたアレンは、興奮で熱くなった頭を冷ますようにかるくふった。
「おれもう鳥肌たっちゃったよ。アイーダとオルランドの息がぴったりで……」
そこでアレンは言葉を切った。隣にたたずむ少女が、どこかぼんやりした様子であったので。
「エリー?」
具合でも悪いのかとアレンがのぞきこんだフードの下、エリノアール姫の唇から乾いたつぶやきがこぼれた。
「……オルランドは」
感情を欠いた声が石畳に転がる。
「いつもアイーダ姉様を見ているから」
――あ。
がん、と頭を殴られたような衝撃だった。
ただ一言。たった一言。それだけでアレンはわかってしまった。
「……エリー」
アレンの呼びかけには
どうにもうまくいかないものだ。誰も彼も、相手の横顔ばかり見つめている。エリノアール姫はオルランドの、オルランドはアイーダの、アイーダは……もしやドラゴンということはあるまいな。
ひとつ確かなことは、自分の行いがエリノアール姫にとってはひどいお節介でしかなかったということだ。あのとき素直にオルランドに譲っていれば、今頃この少女は舞踏会で想い人と踊っていたかもしれない。だが、偽りからはじまった関係が、はたして幸福な結末を迎えられるものだろうか……。
だめだわからん、と黒髪をかきまわしたところで、目の前がぱっと明るくなった。街の中心の広場に出たのだ。いくつもの
ある考えがアレンの頭にひらめいた。前を歩くエリノアール姫に追いつき、その手をとる。
「ちょっと……」
抗議の声を無視して、アレンはエリノアール姫を踊りの輪にひっぱりこんだ。
「せっかくだし踊っていこうぜ」
「嫌よ! こんな下品な踊りなんて」
「へえ、それってこういうやつ?」
わざとでたらめなステップを踏んだアレンに、エリノアール姫がぷっと噴きだす。それでいい、とアレンも笑った。今宵の主役に悲しい顔は似合わない。だいいち、姫君を憂い顔のまま城に帰しては騎士の名がすたるというものではないか!
――タタン、タンタン!
折よく曲調が変わる。はずむような太鼓に合わせ、
「やっぱりだめ! これ知らない曲だもの!」
「気にすんなって!」
アレンはエリノアール姫の手をとって踊りはじめた。面倒なステップはいらない。音に合わせてとんではねて、手をたたいてもう一回!
「馬鹿みたい!」
「でも楽しいだろ!」
お辞儀をして隣と相手を交換。ところが拍子がずれて、なぜか男同士で手をとり合うはめに。笑いころげる少女たちに憮然としつつ、男二人なかば意地になって完璧に一節を踊りきる。
「もういいの? お似合いだったじゃない」
ようやく腕の中にもどってきた姫君が軽口をたたく。
「そうだな、おれが女だったら惚れてたかも!」
エリノアール姫の手を高くかかげてくるりと回すと、フードが脱げてきらめく金髪がこぼれた。白い頬は薔薇色に染まり、瞳は星がまたたく夜空のよう。ああ綺麗だ、とアレンが思ったときだった。
唐突に、音楽がやんだ。
踊り手たちは息をはずませながら不満顔で楽団を見やる。なんだ、どうして急にやめるんだ――?
「……ひ」
楽器を抱えた男たちの口から、かすれた悲鳴がもれた。恐怖にひきつった楽人たちの視線の先を追ったアレンも、ぎくりと身を強張らせた。
そこに立っていたのは、どす黒い肌の男だった。ぼさぼさの髪に隠れた顔も、白っぽい寝間着のような服からつきでた手足も、あきらかに生来のものではない、濁った黒におかされていた。
それはたとえるなら、腐敗の黒。見る者に否応なく死を連想させる、暗くよどんだ不吉な色だ。
「……サイアム、か……?」
楽人の一人が震える声で呼びかける。その声に、黒い男はゆっくりと顔をあげた。
広場に咆哮が轟いた。
狂った獣のような叫びが消え去らぬうちに、黒い男は石畳を蹴り、楽人に飛びかかった。
その瞬間から、広場は恐慌の渦にたたきおとされた。
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