第19話 愛の形はひとそれぞれ
「過ぎたことは仕方ありませんね」
書き物机から顔を上げずにオルランドはそう言い、アレンがほっと胸をなでおろしたのも束の間、
「――などと言うと思ったら大間違いです」
「ごめんなさい」
冷ややかな眼を向けられ、アレンは頭を下げた。
めでたくエリノアール姫が目覚めた翌朝のことである。アレンは第七師団の詰所を訪ね、昨日の件についてオルランドに謝罪したのだが、やはりそう簡単に許してもらえそうにはなかった。
「おれだって、まさかあんなことになるとは思わなかったんだよ」
アレンたちがあらかじめ打ち合わせておいた段取りでは、アレンに続いてオルランドがエリノアール姫に口づけをしたところで、シグルトが眠りの術を解くことになっていた。ところが、どういうわけかアレンの一度目のキス――アレンいわく「かすっただけ!」――で姫君は目覚めてしまったのである。
「つまりあれだろ? おっさんが手順を間違えたってことだよな」
だから責任の半分以上は魔術師にあると、アレンは熱心に主張した。
本当ならこの場にシグルトも引きずってきたかったのだが、いまいましいことにあの中年男は昨夜から姿をくらましていたのだ。さては逃げたかとアレンは思ったものだが、デイジーが第七師団の竜舎にのこされたままであるので、どうやらそういうわけでもないらしい。
「間違えたといいますか」
オルランドはかるくため息をつき、手にしていた羽根ペンをペン立てにさした。
「魔術師どのがおっしゃるには、術が上書きされたのだろうと」
「上書き? てか、それいつ聞いたんだ?」
「あなたが陛下に抱擁されていたときです」
「ああ、あんとき……」
目覚めた娘を抱きしめて喜んでいた皇帝だったが、急に「おおわが恩人よ!」と叫んで今度はアレンに抱きついてきたのだ。たしか「くさいから近寄らないでって言ったでしょ!」という声が聞こえた後だったと思う。寝台から落ちた直後で頭がぼうっとしていたアレンだったが、皇帝にもみくちゃにされつつ、ほのかな加齢臭が鼻をかすめたことはよく覚えている。
「魔術師どのは、こう言われましたよね」
――姫にもっとも深い愛をささげる王子の口づけで呪いは解ける。
皇帝に対してシグルトが放った言葉。それが、エリノアール姫にかけられていた眠りの術を打ち消してしまったのだという。
「あれ!?」
アレンは思わず大声をあげた。
「嘘だろ! だっておれ、べつにお姫様のこと好きでもなんでもないぜ!?」
「本当ですか?」
オルランドは疑わしげにアレンを見る。
「わたしはてっきり、あなたが一目ぼれでもしたのではないかと思ったのですが。あのとおり、見た目だけは極上なお方ですから」
「ちがうって! そりゃ綺麗だとは思ったけどさ、そんだけだよ」
幸か不幸か、超絶美形の兄のせいで、アレンは美人というものに耐性があった。
「とにかく、かけたつもりのない術がかかったってことだよな? 何やってんだよ、あのおっさん」
「天才ゆえに、何気なく発した言葉ですら魔力を帯びてしまったのだろうとおっしゃっていました」
「うわ、殴りてえ」
「わたしも」
オルランドは端整な顔にうすい笑みをたたえた。
「ひさびさに、人を刺したいと思いました」
初めて、じゃないところがちょっと怖い。
「次に会ったときは一緒に半殺しにしてやろうぜ」
いいですね、とうなずいたオルランドの顔が先ほどより少しだけやわらいで見えたので、アレンは手近にあった椅子をひきよせて腰を下ろした。
「……おれも、悪かったよ。その、約束破っちまって」
オルランドはとらえどころのない表情でアレンの顔を見つめていたが、ややあって口を開いた。
「ひとつお伺いしたいのですが、あの時あなたが口づけを拒んだのは、エリノアール様のためを思ってのことですか」
「……まあ、そんなとこ」
ほかにもいろいろ、たとえば、ユリウス帝やアイーダをだますようなことはしたくないとか、オルランドは本当にそれでいいのかという思いもあったが、そのあたりは口にしなかった。言わなくても、この副師団長にはすっかりお見通しのような気がしたので。
「ならば、あなたはアングレーシアの塔の姫君にも口づけをするつもりはなかったと?」
「それとこれとは違うだろ」
「何が違うというのです」
「んー……」
アレンは首をそらせて天井を見上げた。朝の白い光の中で、ほこりがちらちらと舞い輝いている。あの塔の部屋は、やわらかな茜色の光につつまれていた。
あの日から、ずいぶん長い時が過ぎたような気がする。実際はほんの数日しかたっていないのに。
「……あれはだって、そうしないと呪いが解けないことになってただろ? でも、エリノアール姫のは最初からイカサマだってわかってたから……」
「人命救助ならやむを得ないが、裏事情を知ってしまった場合は、この限りではないと」
「そうそれ」
アレンはひざを打った。自分の思いを過不足なく言葉にしてもらうのは気持ちがいい。
「エリノアール姫は、あのおっさんがいれば何とかなるんだからさ。なら、やっぱり可哀想じゃないか。うちの兄貴たちならともかく、おれなんかにキスされたら」
肩をすくめたアレンに、オルランドはふっと目もとをゆるめた。
「あなただって、そう悪くはありませんよ」
意外なほめ言葉はひどく照れくさくて、驚くほど嬉しかった。
「よくわかりました。昨日エリノアール様のことをもっとも気にかけていたのは、あなただったわけですね。わたしではなく」
「ただの同情だって」
「同情も愛情の一種です」
人生経験の差によるものか、オルランドの言葉には妙な説得力があった。そういうものかとアレンがうなずいたところで、こつこつと扉をたたく音がした。
「オルランド、いるか?」
颯爽とした足どりで部屋に入ってきたのは、トラヴェニア帝国の第二皇女にして第七師団の団長、アイーダだった。
「アレンも、ここにいたのか」
そろって立ち上がったアレンとオルランドに、アイーダは快活な笑みを向ける。
「何かご用ですか、団長」
「ああ、今夜の宴のことでちょっとな」
今夜の宴とは、エリノアール姫の快気祝いと、ひと月遅れの誕生日祝いのことである。皇城では盛大な舞踏会が、城下の町では夜を徹しての祭りが催されるという。
「余興で花火があがるだろう? その前座でドラゴンの曲芸飛行を披露することになってな。わたしとおまえとで。これから予行演習をやるから付き合ってくれ」
「お忘れかもしれませんが、わたしは本日昼から非番です。かわりにウィルではいけませんか?」
「いけなくはないが……」
アイーダは黒い巻き毛をかきまわしながら首をひねった。
「わたしの相手はおまえでなくては」
おお、とアレンはひそかに興奮した。想い人に「あなたでなくちゃだめなの(アレン超訳)」と口説かれたオルランドがどんな反応を示すのか、興味津々でうかがったアレンだったが、つまらないことにオルランドの顔は平静そのものだった。
「それは業務命令ですか?」
「まさか」
アイーダはにっこりと笑った。見る人の心をあたためる、太陽のような笑みだった。
「お願いだ」
「お願いなら、仕方ありませんね」
やれやれといった様子で肩をすくめたオルランドだったが、その紫の瞳はいつもよりずっとやわらかい光をたたえているようにアレンには見えた。
「じゃ、おれはこれで……」
気をきかせて退出しようとしたアレンだったが、アイーダに「待ってくれ」と声をかけられた。
「きみのことも探していたんだ、アレン。よければエリーのところへ寄ってくれないか」
「エリー?」
訊き返したアレンに、アイーダはやさしく微笑みかけた。
「妹が、きみに会いたがっている」
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