第103話 ラセル王からの手紙
ゼノア王を殺して侵攻すればゼノアは簡単に手に入ったのではないか?
面と向かって、どうしてそうしなかったのか文句を言う貴族たちも大勢いいた。
すると王配殿下は静かに言った。
「まあ、待つのだな」
「千載一遇のチャンスなのに」
彼らはブツブツ言った。
リグ殿からも主戦論者からの意見を聞かされて、王配殿下は笑った。
「戦争は人が死ぬ。若者の特権だな、冒険を好むのは」
人々は、その場の誰よりも若い見かけのマノカイの王配殿下が、そんなことを言うのに違和感を感じないではいられなかった。
まして、フィンとの殺戮戦で、マノカイの王配殿下の残虐さは、ゼノアはおろか、近隣諸国すべてに知れわたっている。
だが、人々は黙っていた。彼の手でマノカイは守られていたからだ。
ある日、ようやく約束の手紙がラセル王から届いた。
「来たか」
「待っていたぞ」
王配殿下をはじめとした人々は、殿下の執務室に参集した。殿下は黙って封を切り、中身を読んだ。
文書は衝撃的だった。
リップヘン殿はエルブフ殿を殺害した罪で罪人となっていた。
「殺した?」
「なぜ殺したのだろう? 不仲だったのか?」
「リップヘンは誰とも不仲じゃ。エルブフ殿とも特に懇意ではあるまい。あやつはどこでもここでも、むやみやたらに剣を抜くという悪い病気にかかっておる。なにかまずいことでも言ったのかもしれぬわ」
ユーグ公が解説した。
「二枚目の手紙を書いた人物が、エルブフ殿なのでないか」
王配殿下が言った。人々ははっとした。
リグ殿もうなずいて見せた。
「おそらく間違いございますまい。
リップヘン殿は二枚目の手紙を誰が書いたのか、すぐにわかったのだと思います。
リップヘン殿とエルブフ殿は、同じ罪状で国外追放になっています。この計画について相談したのかもしれません。
あの手紙を見ることのできた人物が偽の依頼書を追加して、王配殿下と同じ場所にいる可能性の高い女王陛下も殺害せよと命じたのでしょう。下手人を雇ったり、計画を追加する必要のない、実に簡単なやり方です」
「エルブフ殿はマノカイを裏切った。女王陛下を裏切った。今の陛下がご健在であられる限り、マノカイに戻れない。陛下を亡き者にしようと画策してもおかしくない」
「そしてリップヘンと来たら、リーア姫様と結婚したくてたまらなかったのじゃ。子供のころから姫が大事じゃったわ。政略とかいったもんではない。そりゃ貴公を殺したいじゃろう。だが、リーア姫の命なぞ自分が死んでも狙うまい。だからエルブフ殿を殺した。わしは良く知っとる。あやつは馬鹿じゃ」
ユーグ公の結論に一同はしゅんとした。その通りであった。
「それでリップヘンは?
どこにおるのじゃ。やつは罪を犯しすぎた。
エルブフ殿を殺すのは良い。我々がなり替わって手を貸したいくらいじゃ。
しかし、王配殿下を狙うのは許せぬ。マノカイに弓を引く行為じゃ」
王配殿下は続きを読んだ。
「斬首とある」
人々は黙り込んだ。
「おそれながら殿下」
誰かが言った。
「全文をお読みくだされまいか」
王配殿下は、お付きの文官にその短い手紙を読ませた。
『……リップヘンはマノカイの王配殿下を亡き者にしようと画策し、兵士崩れを雇った。
相談相手を務めたエルブフは、以前よりマノカイの女王さえいなくなれば、マノカイに戻り領地を取り戻せると考えていたため、リップヘンには内緒で指令書をもう一枚作り、兵士に渡した。マノカイ女王の暗殺を指示する文書だった……これを知ったリップヘンは激怒し、エルブフを責めたて殺害した。
エルブフの妻がゼノア王宮に通報し、リップヘンはすぐに拘束され、裁判の上、斬首と刑が確定し執行された……』
刑の執行の日付は、ゼノア王がゼノアに帰った日より一週間ほど前の日付になっていた。
人々は黙り込み、陰鬱な表情を浮かべた。
主犯の二人が死んでしまった以上、マノカイがゼノアに侵攻する理由がなくなってしまったのだ。
リグ殿は周りを見渡した。
今が、ゼノア侵攻の絶好のチャンスであることに間違いはなかった。
マノカイの軍事力をもってすれば、ゼノアへの侵略は実に容易なはずだった。
フィンとの戦いで国は疲弊していたし、ラセル王が拘束されていたので、政情は不安定になっていた。
もし王配殿下が本気だったら、理由なんかどうでもいいに決まっていた。
王配殿下は、どう考えているのだろう。
今や三十代に入り、王配殿下より年上に見えるリグ殿は、こっそり殿下の様子をうかがった。
殿下は、この中でただ一人の若者だった。
細くやせていて、まだ幼さが残っているような気さえした。
だが、その人が、うっすらと目に見えないくらいの微笑みを浮かべているのに気が付くと、リグ殿はなにか不吉なものを感じた。何かが仕組まれているような気がしてきた。
皆は、王配殿下のことを弱腰だの温情が過ぎるだのと、ののしっているが、果たして本当にそうなのだろうか。
リグ殿は王配殿下をよく知っていた。
殿下は敵に対し、温情などと言う言葉とはおよそ縁のない方だった。
彼は徹底して、最も合理的な手段だけを選び取る男だった。
その男が、長い期間、これといった意味もなくラセル王を拘束した挙句、突然いともたやすく自国へ返した。
大体、ラセル王を拉致するより、王を殺す方がずっと簡単だった。返すにしても、普通は莫大な身代金なり、国土の割譲なり、相当な条件をつけるはずだった。(そもそも殿下は金勘定には厳しい)
なぜ、返したりしたのだろう。
絶対になにか理由があるはずだった。
リグ殿は、また、ラセル王からのこの調査書は本当なのかとふと疑問を感じた。
ゼノアに都合よく出来すぎている。
犯人は発見され、すでに処分を受けたことになっている。
だが、王を拉致され、混乱のゼノアにそんな強力な警察力や的確な司法力などあったのだろうか?
殿下のおかげでマノカイの王家は裕福だった。王宮は徐々に手が加えられ、今日のように寒い日には手回しよく暖炉に火が入れられていた。
今年は冬が早かった。
暖かく、満ち足りたマノカイの王宮の様子を見ながら、リグ殿はゼノアの王宮をめちゃくちゃに破壊したことを思い出した。
ここより北のゼノアはさぞ寒いに違いなかった。
ゼノアの北部は、フィンの大群に踏みにじられたことと、今年の気候が悪かったため、かなりの不作と伝えられていた。食料の不足と治安の悪化が心配されていた。
「侵攻には絶好のチャンスなのに……」
だが、たいていの国民や貴族たちは、ゼノアの動きには大して興味を持たなかった。そんなことよりも自分の商売の方が忙しかったからだ。マノカイは平和を享受していた。
そのうえ、その秋、国中の人々が待ちに待った知らせが発表された。
「女王陛下、ご懐妊!」
早馬が国中を駆け巡り、寺院が鐘を打ち鳴らし、この慶事を触れ回った。
農民も、町衆も、貴族たちも天を仰いだ。口元には微笑みが広がった。
「やっと……」
「お子様さえ生まれれば、この国は安泰……」
いつかの、大昔の結婚式でささやかれた言葉だった。
「願わくば、王子であられんことを……」
「いや、王女でも。陛下のお子様でさえあられれば……」
寒い季節だったが、人々は期待を抱き、時を待った。
ただ、軍人たちだけは、こっそり目を光らせてゼノアの様子をうかがっていた。
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