第5話 落ちた堕天使

  装備の点検をしている。

 新雪用の少し幅が広めの板、長さはディサの

 身長と同じ160センチ。

 

 膝や肘のプロテクター、ヘルメット、靴、

 ストック、反重力ジャケット、滑空翼、

 酸素ボンベ、全て付けると全身黒ずくめだ。

 

 目標は、2千メートルほどの高さを3時間。

 反重力ジャケットはなるべく作動させない。

 滑空翼は背中のパックに入って、最後

 に使う。

 

 対象の山は、昨日の秘密基地の山とは違う。

 9千メートルを超える山。ディサはまだ

 登頂していない。順序が逆になってしまった

 が、今度必ず徒歩登頂に戻ってくる。

 

 移動住居ラウニのテラス側を横付けする。

 天気は良好。板を付けた状態で山頂に移る。

 稜線沿いに最初は滑り、8500メートル

 付近で山腹側へコースを変える。

 

 周囲は見渡す限り雪に覆われた山々が続く。

 宇宙世紀前の、貧弱な装備でも人々がこの

 山に登り続けた、理由がなんとなくわかる。

 

 少し申し訳ない気持ちになりながらも、前

 からやりたいと思っていたことを実行に

 移す。

 

 山頂付近はまだそこそこの広さがあるが、

 そこから稜線側に行くとすぐ狭い急斜面で、

 左右は絶壁だ。

 

 いきなりの難所でジャケット作動も嫌

 なので、横滑りでズリズリと降りていく。

 

 そこから突然の急斜面、左右見渡して

 一番緩そうな部分を選び、そこを、滑ると

 いうより落ちる。

 

 20メートルほどの高さだろうか。

 ほとんど無意識にジャケットを作動させて

 いたこともあって、無事着地、そこから

 若干斜面が緩くなる。

 

 反重力装置が無かったころは、それ無しで

 ここを降りていたのだ。自分だったら、

 挑戦していないかもしれない。

 

  父と一緒に月近辺のスキー場に行った

 ときは、最初のうちは急斜面が非常に

 怖かった。整地されたコースだと

 反重力ジャケットなど付けないという

 こともあったが、角度的にはそれでも

 30度前後なのだ。

 

 しばらくは恐怖心もあって、降りてくる

 のに相当な時間がかかるのだが、横に、

 斜めにズリズリを続けているうちに、

 恐怖心にも慣れてくる。

 

 もともと抜群の身体能力を有していたディサ

 ・フレッドマンが、一般のスキー場で自由に

 滑れるようになるのは時間がかからなかった。

 

 大会で使用されるようなコースで、ガリガリ

 のアイスバーンを経験したり、新雪の

 滑り方が整地の場合とぜんぜん異なることを

 実際に体験したりした。

 

 しかし、そういったコースは、ある程度

 滑ることが可能なことを保証している。でも、

 9千メートル級の山から滑り降りるのは、

 そういった保証された世界とはだいぶ違う

 ように感じた。

 

 時間が合えば、同年代の友達を連れてきたい、

 と思うのだが、ディサの「遊び」に付き合える

 同年代はほとんどいない。だいたい、ほとんど

 皆、まだ学生の身分だ。

 

 時間的にも、経済的にも、運動能力的にも、

 普通の17歳が付き合う限界を超えていそうだ。

 太陽系の人口からするとそれでもかなりいる

 はずだが、割合でいうとかなり少ない。

 

  山腹側へ折れる地点に来た。ここもまだ急斜

 面であるが、幅がけっこうあるため、斜めへ

 滑っていける。ターンの時にちょっとづつ

 体重を乗り込めるようになってきた。

 

 が、そのまま一気に滑るのはまだ自信がない。

 時々立ち止まって、景色を眺めながらゆっくり

 と降りていく。

 

 予定通り、3時間ほどで、山の中腹の少し

 なだらかなところまできた。ここからは、

 滑空翼を使う。

 

 目標の移動住居ラウニも、下の遠くのほうに

 見えている。高度にして千メートルほど下、

 距離は500メートルほど。

 

 背中のパックから、左右にリングを引っ張り

 出す。平面ケーブルが伸びて、それに

 合わせて翼が広がる。両翼3メートル。

 

 専用のグローブでマニュアル操作もできるが、

 今回はセミオートモードで飛ぶ。その姿は、

 伝説の悪魔、サッキュバスを彷彿とさせる。

 

 「ホーォウッ!」

 まずは崖の壁面すれすれを落ちていく。

 ほどよいところでターンして飛び出す。滑空翼

 にもだいぶ慣れた気がする。気持ちいいかと

 聞かれると、そうかもしれないと答える。

 板とストックが無ければもっと自由に飛べる。

 

 そこからほぼまっすぐにラウニへ飛ぶ。

 20メートルほど上空まで来て、旋回しながら

 降りていく。最後は、リングを戻して

 翼をしまいながら、ジャケットを作動させる。

 

 ゆっくりテラスに着地する。

 

  靴を脱いでみてから、太ももへの負荷が

 かなりあったことを感じる。明日は筋肉痛

 だろうか。

 

 少し早い時間だったが、非常に腹が減った。

 米が炊いてあるので、さっそく何か作る。

 フライパンに炊けた米と肉や野菜を入れ、

 炒めてから最後に卵をからめる。スパイスで

 辛めに味付けする。

 

 ディサは、間違いなく食べ盛りだった。

 身長160センチ、体重60キロだが、

 まだまだ成長しそうだ。

 

 今日は早く寝てしまいそうだ。目的地を

 忘れないうちにセットしておく。補給のため

 に、きちんとしたマウントポイントをもつ

 大きな町にいったん寄る。

 

 そしてそのあと、次の目的地へ向かう。

 山脈の神々に、短い別れを告げた。

 

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