出帆

 フリベルは結局最後まで自分が江戸の世の変わり目の一大事の慌ただしい中に来日したことには全く気が付かなかった。


 彼の著書には「ナンガスクへ行く行軍する部隊があり、それに加わった」と書いてあったが、それは間違いである。


 新将軍即位の儀に参上した唐津藩の大名一行が、用を終えて帰るところにフリベルが同行したのだ。


 まったくもってこの男、お目出度い男である。


 拙者は彼と溜池のお屋敷で別れ、横須賀行きの一向に加わった。


 拙者と役人お供の百人余りの一行は浦島辺りで東海道を離れ、横浜村を経由して海沿いの道を進み、横須賀へ向かった。



 いかにして、拙者たちが外洋航海をするのか。その算段はあるのであろうか。

 そういったことは道中一切語られなかった。


「行けば判る」、「行けば話す」の繰り返しだった。幕府の秘中の秘というものだろう。


 屏風浦で一泊すると、翌日の朝のうちに横須賀に入った。


 そこで拙者の目を驚かせたのは、港に係留されていた二艘の巨大な帆船だった。それは正に長崎で見た南蛮船とそっくりだった。


 拙者が小山の上で口をあんぐり開けていると、老中配下の者が、あれは拿捕した西班牙スペイン船だと教えてくれた。

 なんでも強風に流されて江戸湾に迷い込んだそうだ。


 しかし、なんと巨大な商船だろう。拙者が長崎で見た南蛮船とは比にならぬくらい巨大な船だった。


 拙者を驚愕させたのはそれだけではなかった。


 小山を下り、港に入ると大勢の男達が、縦横に整列して迎えてくれた。

 彼等は幕府の秘密水軍だそうだ。


 そして、その中には二人の葡萄牙人と三人の阿蘭陀人がいた。

 彼等五人は台風で難破し、駿河と明石の海岸に打ち上げられ、助けられた水夫だそうだ。なんでも今は水軍の教官をしているらしい。


 長田と名乗る水軍の将と挨拶を交わすと、幕府から使わされた吟味役が前に進み出た。

 彼が言うに、共に夕餉を囲みながら、この探求行の算段をするとの話だった。


 一行は宿泊所に通され、荷物と疲れをほどいて、楽になった。


 それから長田斎行という名の水軍長は南蛮船の中を案内してくれた。長田は一々詳しく帆船の秀でたるを説明してくれた。


 説明にはアントニ・トルベッケという大柄で気の優しそうな男と、ヘンドリックス・クライという堅物そうな五十年配の二人の阿蘭陀人が同行し、細かい説明をしてくれた。


 それ曰く、南蛮船の特徴は、和船の三倍以上ある帆の数と、その大きさ、また綱の太さなどで、海賊対策の大砲などであった。

 また、十人以上が乗られる手漕ぎ艇で、江戸湾の入り口にある大砲を構える海堡まで見せてくれた。


 拿捕した西班牙船はそれぞれ「大楠丸」、「鹿野丸」と改名され、いくつか艤装も変えられていた。



 夕餉は日本の飯調理と南蛮風のものが半々に出された。

 ポルトガル人の一人が飯料理が得意で、航海中はこのような料理にも慣れておくようにとの事だった。

 南蛮では、行儀を欠くことにも、食事中に話をするそうで、この日も卓を囲みながら航海の計画が話し合われた。


 最初に語られたのが、乗船者とその役どころであった。


 旗艦となる大楠丸の船長には長田斎行、鹿野丸には彼の副官の幸村歳月。甲板長には岡田という男と西野という男がそれぞれ務めるという。


 幕府の役人が三人ずつ、学者が拙者を含め二人ずつ、役人が連れてきた忍びの出と思われる男が三人ずつ乗るそうだ。

 勿論、拙者も大楠丸に乗り込むことになっていた。

 アントニとヘンドリックスもそれぞれ各艦に乗り込むことになっていた。


 大洋へ出る航海で日本人の船長では心もとない。ここは経験豊富なアントニ達に船長を任せてはどうかと、拙者は進言した。


 すると、アントニは笑顔で説明してくれた。

 船長は絶対的な権力を持っていて、船の上では、譬え上様でも逆らうことが出来ぬというのが船の慣わしだそうだ。

 これは危険な航海には不可欠な規範であるという。

 また、甲板長もこれに準ずる権限を持っているため、異邦人である自分達が担うことは叶わぬと言う。


 役どころが決まった後は、航海の詳細な計画づくりに費やされた。

 フリベルの話を船上で直接聞いている拙者は質問の矢面に立たされた。

 それは、二隻の船に水や食料を積み込む三日の間、ずっと続けられた。


 積み込みが終わると、その翌朝早くに錨は上げられた。



 特に何か儀典が行われることもなく、コソコソと慌てて旅立つような船出だった。

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