第9話

 高橋のおばさんが話してくれたこと……。

 あの事故で、両親が全員死んでいたこと……。


 ――だけど、ただの事故ではない。


 霊媒師のおばさんが話してくれたこと……。

 この霊は、人を殺しているということ……。


 ――だから、ただの事故ではない。


 導き出されるのは、彼女があの子の父親と後妻を殺したということ……。

 そして、母の愛情が怨念となって、あの子にとり憑いている。


 ――彼女は、もう一つの事実を分かっているのだろうか?


 それが気掛かりのまま和室の扉を開けると、中では霊媒師のおばさんが無言で首を振った。

 彼女は縛られた状態で俯いていた。

「全部、分かったよ」

 俺の言葉に反応して、彼女は普段より低い声で話し出した。

「ついに、私が冷静じゃない激情型だってバレたわけね……」

「ああ」

「軽蔑したでしょう? 私はね……。この子のためだったら、何でも出来る最悪の女なのよ……」

 そう、娘の障害を排除するために娘の親だろうと殺し、自分が死ぬことすら厭わない。それだけに留まらず、娘に憑依してしまう……。

「……………」

 俺は無言のまま彼女のロープに手を掛けると、霊媒師のおばさんが叫ぶ。

「何をする気!?」

「話をするんで、もうロープは要りません」

「やめなさい! いつ暴れ出すか分からないのよ!」

「その時は、俺が責任を持ちます」

 彼女のロープを解き、俺は彼女の前にどっかりと座って話し掛ける。

「少し話そうか?」

「ええ……」

 俺は一拍置くと、ゆっくりした口調で訊ねる。

「君の知らないことと知ってること、どっちが知りたい?」

 彼女は顔を上げた。

「私の知らないこと……? 何、それ?」

「君が娘に知られたくなくて、大きな声で否定したこと……。多分、君の娘は、君が父親と後妻を殺したことを知っている」

 彼女の目が見開かれると、彼女は否定して首を振る。

「そんなはずない! だって、ひた隠しにしてきたもの!」

「じゃあ、質問だ」

 遮るように続けた俺の言葉に、彼女は押し黙る。

「君達、二人の口から父親のことが出て来ないのは、何故だ?」

 俺の問いに、彼女は履き捨てるように答える。

「あんな毛嫌いしていた男のことなんて、口に出したくないわ」

「じゃあ、君の娘が口にしないのは?」

「……それは――」

「もう居ないことを知っているからじゃないのか?」

 彼女は再度押し黙ると、雰囲気が変わった。

「ママをいじめないで」

「娘の方か……」

 彼女じゃない、もう一人の人格が現われた。

「わたしはパパが居なくなって、ホッとしてるの。ママが替わってから、パパはわたしを叩くようになった。だけど、前のママがパパをやっつけてくれたの」

 やはり、知っていた。そして、その行動がどれだけ危ういことなのか、きっと、この子は分かっていない。彼女が父親と後妻を障害に感じていたように、この子も同じように障害と感じていたのだろう。


 ――彼女達の家庭は壊れていた。


 だから、彼女の娘は父親と後妻を排除した前妻の彼女を受け入れ、体を貸し与えるのに抵抗をしなかった。

 俺は霊媒師のおばさんに振り返る。

「これって、警察に届けるべきなんですかね?」

「言っても信じないでしょう……。それより――」

 霊媒師のおばさんが俺に厳しい目を向ける。

「―――詳しい事情は後で聞くにしても、あなたはどう思うの? この悪霊をどうするつもり?」

 確かに、それは大きな問題ではある……が、俺はそれを理由に彼女を悪霊だとは思えない。何故なら、彼女の取った行動を一概に悪いと決めつけて割り切れないからだ。

 それ以外にも、彼女が夫と別れることになった経緯、彼女が娘を引き取れなかった理由、それらを知らずに善悪の判断なんて出来ない。何より、彼女が行動を起こした根幹にあるのは、娘への愛情だ。

 俺は彼女の娘に話し掛ける。

「彼女と――ママと替わってくれないかな?」

「ママをいじめない?」

「約束する」

 彼女の娘が頷くと、人格は彼女に戻った。

「……何か言いたいの?」

「まあ、色々と聞きたいことも出来たよ」

 俺の言葉を聞くと、彼女はせせら笑って投げやりな口調で話し出した。

「説教でもしたい? それとも人殺しがいけないって、社会の常識についてかしら? もう付き合いきれないわよね、こんな女」

 立て続けに吐き捨てた彼女に、俺は首を振る。

「いや、最後まで付き合うよ」

「何故? 貴方の中の正義っていうヤツに従うの? 悪霊は野放しに出来ないから?」

「そんなつもりはないよ」

「じゃあ、何なのよ? 私をどうしたいの?」

 俺は大きく息を吐き出す。

「たった二週間しか一緒に居なかったけど、俺が正義なんかには、ほど遠い思考しか持ち合わせていないのは知っているだろう」

「…………」

 彼女が沈黙すると、俺は続ける。

「俺は自分が人間嫌いだと思っていた。周りから入るくだらない情報に絶望して、ただ流されていた。今ある現実を受け入れるのに辟易としていた。だけど――」

 俺は彼女を直視する。

「――君と話して、君と生活して分かった。俺は、君という人間に興味を示している。俺は人間嫌いじゃなかった」

 俺は彼女の両肩に手を置き、真剣に彼女を見詰め続ける。

「君のお陰で分かった。俺は人間嫌いじゃない」

 彼女の目も俺を見詰め返していた。

「悪霊でもいい。人殺しでも構わない。やってしまったことに対して、どうこう言うつもりもない。側に居てくれないと……困るんだ」

 彼女は穏やかな目に戻り、口を開いた。

「……遠回しな言い方ね」

「はっきりと言った方がいいか?」

「ええ……」

 彼女は頷き、静かに俺の次の言葉を待った。

 俺は顔の筋肉を緩め、いつも通りの表情を作る。

「もう正直、いろいろ面倒臭い」




「……え? 何?」




 彼女の表情が固まった。その顔は何かを聞き間違えたかのようだった。だが、俺の言葉に間違いはない。

 俺は話を続ける。

「今まで通りなら、悪霊でも何でもいいよ。考えるのが、本当に面倒臭い。俺と君の相性はバッチリだ。何より、今、君が悪霊として祓われると、俺が君の娘の面倒をみないといけなくなるので、本当に困る。だから、除霊されるのは、君の娘が独り立ちできる技術を覚えてからにしよう。それまでは霊媒師のおばさんには待って貰うから。 な」

 彼女は暫く呆けて無言だった。しかし、やがて『ははは』と笑うと、自分の聞き間違いではないのを理解した。

 そして、彼女は俺にグーを炸裂させた。

「偶に真剣な顔をしたから何を言うかと思ったら……全部、自分の都合じゃないのよ! 『な』じゃないわよ!」

 だって、俺にとっては、それが最重要項目になるのだから仕方ない。

「いや、確かに霊媒師のおばさんの言ったように『向き合うこと』が大事なのは分かる」

「分かっていて、何で自分の都合に走るのよ!?」

「その向き合うまでの過程って面倒臭いじゃないか。葛藤したり、悩んだり、納得のいく答えを見つけたり」

「貴方の話も途中まで、そういう流れだったでしょうが!」

 俺は頭に手を当てる。

「俺も霊媒師のおばさんの話に流されて、そういうものかなと思って流された感はある。だけど、高橋のおばさんに電話を掛けて、あのダミ声を聞いたら面倒臭いことを思い出して軌道修正し直したんだ」

「おかしいわよね!? 何で、そっちに軌道修正し直しちゃうわけ!?」

 彼女は霊媒師のおばさんに向けていた怒りとは別の怒りに支配されていた。もう霊媒師のおばさんなど忘れている。

「貴方、大事な話を電話で聞いたんでしょう!?どうして本題と反れる思考に走るのよ!?」

 俺は額を人差し指でコリコリと掻き、片手をあげる。

「順番に話していいかな?」

「ええ、お願い……!」

 彼女の声は何処かピリピリしている。

「まず、俺にとって電話の内容は、霊媒師のおばさんが真剣に悩むほどのことでもないんだ。広い日本の何処かで、知らないおっさんとおばさんが死んだだけで、テレビで流れるニュースを聞くのと変わらない。知りもしない誰かが死んでも、いちいち感情移入なんてしないだろう? そして、根本に立ち返るけど、俺は子育てなんてしたくないんだ。今、君が除霊されて子供だけ残るのは、本当に困る」

 眉間に皺を寄せる彼女の後ろでは、霊媒師のおばさんが額を押さえていた。

「次に君が悪霊の件だけど、そこもどうでもいい。君は刺激さえしなければ、今まで通りっぽいから」

「っぽいって、何よ!」

「おばさんの話を聞いた上での、俺の推測」

 霊媒師のおばさんに続いて、彼女も額を押さえた。

「最後に俺の要望――いや、希望かな? 俺は普通の人間が嫌いなだけで、きっと……凄く変な人間が好きなんだ、君みたいな」

「……それで?」

 彼女の口からは憔悴した声で、続きを促す言葉が出てきた。

「そんな君が居ると俺の生活に潤いが出る。以上」

 言いたいことを言い切って達成感に満たされた俺に対して、目の前では彼女が畳に手を着いていた。

 彼女は縋る目で霊媒師のおばさんを見詰めて頼み込んだ。

「私が悪かったわ……。もう暴れないから、普通の会話をさせて……。この人以外の人と普通に相談させて……」

 霊媒師のおばさんは深く頷いた。

「その人と少し距離を置いて話しましょう……。それにしても――」

 霊媒師のおばさんが俺に目を向ける。

「――こんな方法で悪霊の心を折るなんて……。初めて悪霊に同情してしまったわ」

 よく分からないが、悪霊の彼女と霊媒師のおばさんに仲間意識のようなものが芽生えていた。

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