第10話
霊媒師のおばさんが呆れてお茶を啜っている。
一騒動のあとで、今は全員が座布団の上に座っている状態だ。
「あなたが、どうして何ともないか、分かった気がします……」
「そうですか?」
「ええ……」
霊媒師のおばさんの眉間には皺が寄っていた。
「悪霊を説得する以上に、あなたを理解するのが困難この上極まりない」
「失礼ですね」
霊媒師のおばさんの顔は、依然として険しいままだ。彼女に対してではなく、俺に対して。
「何処の世界に、人殺しをしたと分かっている悪霊を受け入れようとする人が居ます?」
俺は頭に右手を当てる。
「さっきも言いましたが、彼女に成仏されてしまうと、俺は彼女の娘を育てなくてはいけなくなってしまうんです。そんなのはゴメンなので、彼女の娘が独り立ちできるまで、彼女にはとり憑いていて貰わないと困るんです」
霊媒師のおばさんが右手で目頭を押さえた。
「こんな自分勝手な都合で悪霊を憑依させておきたいなんて人、初めてだわ……」
霊媒師のおばさんの反応は仕方がないので置いておくことにして、俺は隣に座る彼女に目を向けた。
しかし、彼女も、どことなく座った目で俺を見ている。
「私は両肩に手を置かれた時、不覚にも愛の告白でもして説得してくれるのかと、何年かぶりにときめいちゃったわよ」
「芸能人のスピード婚でもあるまいし、一般人に二週間やそこらでそんなロマンスは生まれないよ。俺にそんなことを期待するのは大きな間違いだ」
彼女と霊媒師のおばさんから溜息が漏れた。
何か、このままでは居心地が悪いので、俺は流れを変えるために話を変えることにした。
「でもさ、あれだな」
「何よ?」
「幸か不幸か、入れ替わりが出来るようになったじゃないか。さっき、意識して娘と入れ替わっていたよな?」
「そういえば……」
彼女は自分を見回して、さっき起こったことを思い返し、意識を集中して目を閉じた。だが、娘と対話を始めて直ぐ、難しい顔で目を開いてしまった。
「今は……出来ないみたい」
「また元に戻っちゃったのか?」
「そうみたい」
はて? 何故、さっきは意識して入れ替わることが出来たのだろう?
俺達の疑問には霊媒師のおばさんが答えてくれた。
「母親と娘の波長がぴったりと合っていたから、入れ替われたのよ」
「波長?」
霊媒師のおばさんは頷くと、説明を続ける。
「彼女達には共通に嫌いなものがあって、それを排除したことに対する気持ちが一致していたでしょう? だから、意識して入れ替わることが出来たの」
「波長が合うって、そういうことなんですか?」
「体の支配権は魂の想いの強さで決まる。普段は彼女を縛り付けている、娘への愛情という怨念が強いから彼女が前に出ているけど、さっきのように優先順位に関係がなくなって共通の想いで魂が動く時には優先順位が平等になり、入れ替わることが出来るのよ」
俺はポンと手を打つ。
「なるほどね。――でも、それ以外でも入れ替わりが起きてるのは、どうしてなんですか?」
霊媒師のおばさんが俺を右手で指差す。
「あなたが原因よ。悪霊であるはずの彼女が、あなたを信頼して気を許しているの」
「ん?」
俺が首を傾げると、霊媒師のおばさんが補足してくれる。
「話の触りしか分からないから何とも言えないけど、彼女は誰も信頼できない状態で娘を守るしかなかったと思うわ。だけど、あなたはその彼女に好き勝手をさせて、あまつさえ、協力をして見せた」
「そんな殊勝な人間ではないと思いますけど?」
「ええ、そう……!」
霊媒師のおばさんは拳を握っていた。
「自分のことしかしたくないがために、彼女に協力していたわ。悪霊にとって、こんなに都合のいい人間は居ないでしょう」
彼女が口を開く。
「それだけじゃないわ。私はね、この子の親権を夫に騙し取られたの。だから、騙されることや嘘を吐かれることに対して、異常に警戒をしていたの。だけど、貴方にはそういうものが一切なかった。だから、心に油断が出来たのよ。……今、冷静になって思えばだけどね」
霊媒師のおばさんは付け加えて話す。
「しかも、あなたは、彼女が人間ではなく悪霊というカテゴリーを面白いと思っている変人なのでしょう? 自分以外信じられずに警戒している彼女が、いくら警戒しても無駄ってことよね? あなたは騙すとかそういう以前に、本気でこの状況を受け入れていたんだから」
さっきから彼女と霊媒師のおばさんの言い方がキツイ。この二人は相反する存在のはずなのに、仲良くなったものである。
「まあ、俺のことはどうでもいいです」
「どうでもいいんかい……」
彼女が呆れて突っ込んだ。
俺は彼女の突っ込みを無視して、霊媒師のおばさんに質問する。
「そんなことより、当初の目的の、彼女と彼女の娘との入れ替わりを何とかできます?」
「入れ替わり? そういえば、さっきも変なことを言っていたわね? 娘が独り立ちをするまでどうとか……」
俺は頷く。
「面白そうなので彼女を引き取ったんですが、俺は子育てをする気が一切ないんです。彼女の中に居る娘を彼女が育てる予定なので、体の所有権を自由に切り換えできないか……と、相談したいわけです」
霊媒師のおばさんは、また右手で額を押さえていた。
「本当に頭が痛い……。こんな依頼初めてだわ……。悪霊と仲良く都合よく暮らす方法を相談されるなんて……」
「出来ないですかね?」
俺の言葉に、おばさんは溜息交じりに答える。
「私の見立てでは、半年ぐらいかしらね……」
「半年?」
「多分、その頃には自由に入れ替わりが出来るんじゃないかしら?」
「どうしてです?」
霊媒師のおばさんは、彼女を左手で指差す。
「彼女のあなたに対する信頼が強くなれば、自然と怨念が弱くなりそうだからよ」
「随分、いい加減な発言に聞こえるんですが?」
「実際、さっきの騒動で彼女の怨念が少し薄くなっているのよ」
「は?」
怨念が薄くなる?
「彼女の怨念の源は娘への愛情だけかとも思ったけど、周囲に対して信頼できないという敵意もあったんでしょうね。周りに対する敵意が薄れた途端に、彼女の悪霊としての格が下がったのよ」
「そうなんだ」
「だから、今まで通り、彼女と生活していれば、あなたのいい加減さを認識して、彼女の悪霊としての格はどんどん下がるわ……きっと。そうすれば、自然と彼女と娘は入れ替わりが出来るはずよ」
彼女がチョコチョコと右手の人差し指で頬を掻く。
「凄く微妙な解決方法なんだけど……」
「こっちも、どうしようかしらね……」
霊媒師のおばさんは、俺と彼女を交互に見る。
「本来、組織に連絡して滅却して貰うんだけど――」
霊媒師のおばさんはジロジロと俺達を見ている。
「――あなた達、そのまま生活する気なのよね?」
俺と彼女が頷くと、霊媒師のおばさんは溜息を吐いた。
「暫く様子見にしておくわ。……半年後にでも来てくれる?」
俺と彼女はお互いを見ると、俺が答えることにした。
「そうします」
「半年後に放っておいてもいいレベルの悪霊なら、そのままにすることにします」
「分かりました。――じゃあ、霊についての相談は、これで終わりかな?」
「私は霊についての相談というか、貴方についての相談でもした気分だけど……」
彼女の言葉に霊媒師のおばさんが頷くと、居心地の悪い俺は立ち上がった。
「帰ろうか?」
「……そうね。暫く様子見ってことだし」
俺は懐から見料の入った封筒を霊媒師のおばさんに手渡す。
「色々と、ありがとうございました」
「何かあったら、電話してください。相談にはいつでも乗ります」
俺と彼女は会釈をして和室を出ると、霊媒師のおばさんは玄関まで見送ってくれた。
「タクシーを呼ばなくてもいいの?」
「今日は、近くの宿に泊まることにしてます。歩いて行ける距離なので歩いて行きます」
「そう」
「正直に言うと、二、三日の逗留も考えていました」
用意周到に答えた俺に対して、霊媒師のおばさんが複雑そうに返す。
「あなたはしっかりしているんだか、いい加減なんだか分からないわね」
「後者ですよ」
俺の即答に霊媒師のおばさんは複雑そうな顔から笑みを浮かべた顔に変えた。
「気をつけてね」
「はい」
こうして俺と彼女は霊媒師のおばさんの家を後にした。
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