第2話

 俺の家に上がり込むことになったおばさんは後ろへ振り返り、手招きする。

「おいで」

 手招きして現われたのはエメラルドグリーンの目をした金髪の少女だった……が、この少女が何歳ぐらいの少女か見当もつかない。

 外国人の子供がどういう過程で身長が伸びるのかなんて分からないし、日本人と比べれば巨大な生物に成長する人種だ。目の前の少女が日本人なら、多分、身長からして小学生の真ん中ぐらいなのだが……。

 俺は彼女の容姿を見て心底思う。


 ――良かったな。このおばさんのDNAを引き継いでいたら、将来はドラえもんみたいな人間になっていた。


「あんた、今、失礼なことを考えてないだろうね?」

 俺の考えを読み取ったかのように、おばさんが的確な指摘をする。顔に出ていたのだろうか?

 とりあえず、俺は誤魔化すことにした。

「どう追い返そうかを考えてるだけです」

 おばさんは舌打ちをすると拳を握る。

「それを失礼なことだって言ってんだよ!」

 考えていたことは、もっと失礼なことだ。考えていたことを読まれたかと思ったが、そうではないらしい。ドラえもんと似ているからといって、得体の知れない秘密道具を使えるわけではないようだ。

「どうぞ」

 嫌で仕方なかったが、俺はリビングにおばさんと少女を通し、テーブルの前のソファーに座るように促した。

 そして、『お茶を淹れてきます』と、席を立つと台所へ向かった。

「……紅茶ぐらい淹れてやるか」

 ポットでお湯を沸かし、台所で沸騰するのを待つ。あのおばさんなら、少しぐらい待たせてもバチは当たらないだろう。

 沸騰するまでの待ち時間に安物のティーパックを用意し、ティーカップを三人分用意する。ティーカップの一つには山盛り三杯の砂糖を投入する。

「将来、あのおばさんが糖尿病になりますように」

 そう祈りを込めて、ティーカップの用意は終わった。

 暫くするとポットのお湯が沸騰したので、ポットにティーパックを一つ入れる。本当はティーカップ一つに付きティーパック一つが適量だが、突然現われた無法者にこれ以上の気遣いは必要ない。色と匂いが付いていれば十分だろう。

 俺はポットからカップに紅茶を注ぎ、糖尿病になるように祈りを込めたカップだけスプーンで念入りに掻き混ぜ、お茶の用意を終えた。

 人数分の紅茶にスプーンと自分用にミルクと砂糖入れを盆に載せ、リビングに戻る。

「お待たせしました」

 おばさんと少女の前に紅茶とスプーンを置き、自分の分もテーブルの前に置く。座る位置は、俺一人の前におばさんと少女が並んで向かい合う形である。

「随分、時間が掛かったわね?」

 そう言うと、おばさんがカップを手に取って口を付けた。

「お客用の茶葉を仕舞っている場所を忘れてしまって、探してました」

 サラッと嘘をつく俺もどうかと思うが、『いただきます』の一言もなしに紅茶を啜り出した、このおばさんの精神も中々の剛の者だろう。

 カップから口を離したおばさんが言う。

「いい紅茶ね。客用っていうのは嘘じゃないみたい」

「…………」

 このおばさんの味覚はおかしいのだろうか? 砂糖を入れる前から甘い紅茶に、何の違和感も感じないらしい。

「本題を話したいんだけど、いいかしら?」

 おばさんは砂糖入れに手を伸ばすと、追加でスプーンに大盛り四杯の砂糖を紅茶に投入した。きっと、ドラえもんの体型は、ああやって作られていくに違いない。

 俺はおばさんが使い終わった砂糖入れに手を伸ばし、砂糖入れから軽く二杯の砂糖を紅茶に投入する。自分用に持ってきたミルクは計七杯の砂糖入りの紅茶を飲むおばさんを見たら、胸焼けして要らなくなった。

 俺は砂糖入れとミルクをおばさんの隣に座る少女の側に置く。

「先に使って申し訳ない。どうぞ」

 少女は小さく頷くと、自分の紅茶に砂糖とミルクを入れた。

 返事を返さなかったのは外国人だから日本語が分からないのか、もしくは日本語は分かるが口数の少ない子だからなのか、俺には判断がつかなかった。

「実は届け物っていうのは、この子のことでね……」

 おばさんがいきなり話し出した。まあ、勝手に話してください。聞くだけって約束なので。

 そう思いながら一口紅茶を啜る。

「二年前にこの子の両親が亡くなって、引き取り手が居ないのよ」

 最初は敬語だったのに……。

 このおばさん、もう全然遠慮がなくなったな。ですます調は、完全にどこかへ飛んで行ってしまったようだ。

「親戚の家を何度か替えているんだけど、中々馴染めなくてね」

 そりゃそうだろう。お前みたいな厚かましい親戚のおばさんに靡くのは、せいぜい生まれた時から洗脳の完了している、その家の子供ぐらいだ。

「このままだと施設に入れるしかないの」

「そうですか」

「でも、こんな幼い子を施設に入れるっていうのも……可哀そうでしょう?」

 おばさんの目が訴えている。これ以上、言わなくても分かるだろう……と。

 ここからは昼ドラのようなドロドロとした展開になるに違いない。


 ――だから、断わる。


「別に」

 俺の返答におばさんは目を見開き、言葉を止めた。

「聞くだけって話だから聞きましたけど、そんな用なら帰ってください」

「……どういうことだい?」

 おばさんの言葉からは更に品が抜け落ち、俺を睨んで聞き返した。

「施設に入れればいいじゃないですか。親戚で話をしたんでしょう?」

「その結果、あんたに預かって貰えないか、っていう結論が出たんだよ」

 俺は大げさに溜め息を吐いて見せ、右手で頭を掻きながらぶっきらぼうに言い放つ。

「結論ねぇ……。話し合ったのは、その子のことじゃなくて世間体じゃないんですか? くだらない見栄を気にする家系ですからね。――特に父方の血縁者のあなた達は」

 睨んでいたおばさんの目が更に鋭くなる。

「言いたいことを言ってくれるじゃないか」

「だって、そういうことでしょう。コソコソと俺を含めないで会議なんてして。世間から『親戚をたらい回しにした挙げ句に施設に入れた』って言われたくないんでしょう?」

 おばさんは黙ったままだ。俺の言ったことはほとんど当たっているのだろう。

 だが、こんなことは父方の親戚の本性を知っていれば誰にでも分かることだ。父方の親戚と名乗った時点で、俺は始めからある程度予想していた。何故なら目の前の父方の親戚と名乗ったおばさんが見栄の固まりであることを、身をもって知っているからだ。

 当然だが、高橋というおばさん個人を知っているわけではない。過去に父方の親戚達が、その見栄のせいでとんでもない迷惑を掛けていたことが強く記憶に残っているためだ。

 その記憶というのは父親の葬式の最中のことで、父方の親戚達は大声で『位の高い戒名を入れるんだ!』と喚き続け、それを誰ひとり止めることなく同意して葬式に来た他の人達を唖然とさせたという迷惑行為だ。あんな名前をつけて貰うだけで、五十万も掛かるものを見栄のために平気で付けさせる神経が分からない。しかも、自分達は鐚一文も出そうとしない。

 それ以外にも『あげる葬式を一番高いものにしろ!』だの『親戚は全員呼ばなきゃダメだ!』とか、葬式をあげる前からも色々と難癖をつけられて大変な迷惑を被った。

 このおばさんも、その時に恥じも外聞もなく叫んでいた一人に違いないのだ。

 俺は少女に目を向ける。

「日本語が分かるという前提で話し掛けるけど、施設の方が百倍マシだと思うよ。ここの親戚、皆こうだから」

 今、おばさんを見れば、きっと凄まじい目で睨んでいるに違いない。だけど、始めから受け入れる気のないものを押し付けようとしているのだから、交渉が決裂するのは当然だ。

 この子には悪いが、人間嫌いの俺の家に人間を増やす気はない。

「フフ……」

 目の前の少女が目を細め、唇の端を吊り上げた。

 その笑みは子供らしいというより、妖艶な女性のような笑みだった。

「気に入ったわ」

「は? 俺の意見が気に入って、黙って施設に入ってくれるってこと?」

 少女は首を振る。

「いいえ……。貴方の、その歯に衣着せぬ物言いが……よ。人間嫌いっていうのもいいわ。私も嫌いだから」

 俺がおばさんの方に顔を向けると、おばさんは顔を背けて舌打ちしていた。

「早々に性格をバラして……! あんたがそんなんだから、誰も受け入れてくれないのさ!」

 おばさんの言葉を無視して少女はソファーに体を預けて足を組むと、俺に視線を向けた。

「ねぇ……。私を貴方の養子にしてくれない?」

「面倒くさいから、ヤダよ」

 俺の本音に、少女は高飛車な声で笑い出した。

 俺は少女を右手で指差しながら、おばさんに話し掛ける。

「もしかして、俺が見当違いをしてたのか? 問題があるのは親戚だと思っていたけど――」

「ああ、そうさ。問題があるのは、この子だよ。施設になんか、とっくに入れているさ。だけど、問題を起こして直ぐに戻って来るのさ」

 俺は溜息を吐き、少女と同じように足を組んでソファーに体重を預けた。

「それで、無理にでも俺に預けさせようってわけか」

「ああ、そうさ。……だけど、失敗だね。大人しい子だと思わせて引き取らせようとしたけど、早々に化けの皮が剥がれちまった」

 俺は少女を見る。

 何というか、妙な気分にさせられる。この横柄な態度が、くだらない嘘や諂った現実よりも偽りなく見える。

「養子に……してみるか」

 何らかの誘惑に負けたのか、ただの興味かは分からない。しかし、口からは了承の言葉が勝手に出ていた。

 おばさんは心底驚いた様子で聞き返す。

「ほ、本当にいいのかい⁉」

「まあ、両親は家と財産を残してくれてるし、一人ぐらいの食い扶ちが増えても問題ない。何より――」

 俺は少女に改めて目を向ける。

「――人間嫌いなんだから、お互い干渉しないんだろう?」

「ええ。提供してくれるものさえ提供してくれれば、勝手に育って、勝手に大人になるわ」

 少女は透き通るような白い右手を差し出す。

「これから、よろしく」

 俺は少女の右手を握り返す。

「ああ。よろしく」

 その様子を見ていたおばさんは信じられないというような目をしていた。

「……い、一体、何なんだい? あたしらの時は大暴れをして、家具までひっくり返していたっていうのに」

 少女は不敵な笑みをおばさんに浮かべて口角の上がった唇を開いた。

「違いが分かる?」

「分かるわけないさ。あんたみたいな悪魔の考えなんて……」

 悪魔? 俺は、今のおばさんの言い回しが気になった。

 このおばさんは類稀な強引さと図々しさを併せ持つ、厄介な存在だ。年端も行かない子供を躾けるなら、平気で手を上げる部類の人間ではないだろうか?

 そのおばさんが諦めているのが気になる……。

 この少女は、一体、どういう人物なのだろうか?

「あたしは、もう帰るよ。必要な手続きはこっちでしておくから、今日からでもその子を引き取っておくれ」

 おばさんが立ち上がり、俺を見下ろしていた。

「彼女の荷物は?」

「鞄一つで納まるから、明日にでも送るよ」

 俺は溜息混じりに言葉を返す。

「そうじゃなくて……。荷物が届くまで最低でも二日分の着替えが必要だってことなんだけど?」

「そんなのは知らないね。引き取るという以上、今からでも用意するんだね」

 おばさんは捨て台詞を吐くと、砂糖たっぷりの紅茶を一気に飲み干して、のしのしと歩きながらリビングを出て行く。

「何だい、この扉は⁉ 壊れてるじゃないか⁉」

 リビングまで聞こえるおばさんの声に、俺は再び溜息を吐く。

「あんたが壊して動かなくなったんだ……。直していけよ……」

 俺の独り言を少女は鼻で笑っていた。

 その直後、内側のドアノブを破壊する音が響き、俺は額に手を置く。

「あのおばさん、鍵付きの家に素手で侵入できるんじゃないか?」

 俺の家のドアは休業中から引退に追い込まれた。

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