序章・切っ掛けの少年 13

 一夜明けて、城内は大騒ぎになっていた。

 城の一室では学者達を中心として、昨夜の襲撃の調査も開始された。昨晩の警備のあり方、まだ残っているかもしれない痕跡の探索、他にも居るかもしれない不審者のチェック……。

 しかし、半日が過ぎようとしても、侵入者の身元は分からず、何故、王ではなくユニスが狙われたのかも分からない。


 …


 一方、当事者のイオルクとティーナは朝になって早々に、暗殺未遂時の状況の説明や侵入者の残した言葉を聞かれていた。本当は昨夜のうちに実況見分を行うはずだったが、襲撃されたユニスを落ち着かせるため、ティーナをユニスから離すことが出来ずに明朝に繰り上げになっていた。また、これはまだ簡単な方の調査で、より突っ込んだ質問は取り調べの形で行われる予定になっている。

 イオルクとティーナが実況見分の聞き取りから開放された時、時刻は正午を回っていた。

 帰りの通路で、イオルクがティーナに話し掛ける。

「大変でしたね」

「当然と言えば、当然だがな」

 やや疲れた様子でティーナが答えると、イオルクは一呼吸間を開けて、もう一人の当事者のことを口にする。

「ユニス様は大丈夫ですかね?」

「泣かれてはいたが大丈夫だろう。お前は怪我をしていないようだしな」

 イオルクがパチクリと目をしぱたき、自分を指差す。

「俺?」

「お前が部屋を出てから暫くして、姫様は、お前が死ぬかもしれないと言われていた」

 イオルクが顔の前で右手を縦にして振る。

「いやいやいやいや……。俺、怪我もせず優勢に戦ってましたけど?」

「そのようだな。しかし、机の中では音しか聞こえない。間近で聞いた戦いの音に不安だったのだろう。見えないところに傷を負っているかもしれないと、心配をしていたのだ」

 イオルクは頭に右手を当てながら言う。

「……そういえば、暗殺者との戦いで武器同士の派手な接触がありました」

「騎士ではない姫様には、とても大きな衝撃だったに違いない」

 現在、イオルクたちが向かっているのは、応急的に用意されたユニスの居る別室である。調査と壁の修理のため、本来のユニスの部屋には立ち入りはできない。

 いつもとは違う順路でユニスの待つ部屋へ向かいながら、イオルクはティーナに質問する。

「それにしても、何でユニス様を狙ったんでしょうね?」

「ああ」

「今まで狙われたことはないんですよね?」

「ああ」

「分からないですね?」

「ああ」

(生返事しか返ってこない……)

 イオルクがティーナを見ると、先ほどの疲れた様子は消え失せ、険しい顔をしていた。イオルクが質問する前にユニスのことを話題にしたので、考える比率がそちらに傾いたようだ。

(これ以上、話を続けるのはやめるか……。ユニス様と付き合いの長い隊長の方が、気に掛かることが多いはずだ)

 ティーナにも思うところがあり、色々なことを整理しているのだろうと、イオルクは口を開くのをやめた。

 そして、そのままユニスの居る別室の部屋に到着した。

 ティーナが扉をノックすると元気のない『どうぞ』という返事が返ってきた。

「…………」

 イオルクとティーナが無言で顔を見合わせると、それだけで意思疎通したように扉を開けて足早にユニスの側に向かう。

 普段使っている机よりも一回り小さい机の前にある椅子に座るユニスは肩が丸まり、いつもよりも小さく見えた。

 ティーナは心配そうな声で訊ねる。

「御気分は如何ですか?」

「大丈夫よ……」

 そう答えたユニスの顔には心労による疲れが見て取れた。

「元気ないですね?」

 ティーナの横からひょっこりと現れたイオルクに、ユニスは恐る恐るという感じで聞く。

「イオルクは……大丈夫なの?」

 ティーナの言った通りに心配した様子を見せたユニスの前で、イオルクは頭の後ろで両手を組んで答える。

「俺、全然平気です。怪我もしてません」

「本当?」

「はい。侵入者は隊長よりも強くなかったですから。毎朝手合わせしている隊長の方が化け物のように強いです」

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「何てものに例えるのだ!」

 前に吹っ飛んだ上半身をそのままに、イオルクは殴られた頭を指してユニスに言う。

「見てください。今、怪我しました」

 イオルクが頭を擦ると、それを見てユニスは微笑む。

「本当に大丈夫そうね」

「はい。怪我なんてしてたら、常人なら気絶する隊長のグーなんて受けられません」

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「お前! いい加減にしろ!」

「隊長こそ、いい加減に手加減を覚えてくださいよ」

「お前こそ、いい加減に学習したら、どうなのだ!」

「二人とも、いい加減にやめたら?」

「いい加減に?」

「そう、いい加減に」

 いい加減という言葉が飛び交い、ティーナは頭が痛くなってくる。

「……もう、やめましょう」

 そう言って、ティーナは項垂れた。

 その横で片眼をつむって、イオルクがユニスに聞く。

「元気出た?」

「ええ、いい加減に」

 ユニスが笑みを浮かべると、イオルクは頷いた。

ティーナは咳払いをして気を取りなおすと、ユニスに話し掛ける。

「今後のことを話して良いでしょうか?」

「ええ、お願い」

(声の大きさがいつも通りになられた……)

 ティーナは、そっとイオルクに目を向ける。

(ここはイオルクの性格に感謝するべきかもしれないな。私には、あのような励まし方はできない)

 ティーナは視線をユニスへ戻して続ける。

「暫くは調査と会議で城内が騒がしくなると思います。また、我々は当事者ですので、頻繁に呼び出しが掛かることとなります」

 イオルクが片手を軽くあげる。

「三人で顔を合わせる時間が少なくなるんですか?」

 ティーナは右手を腰に当てて答える。

「簡単に言うとそうだな。だが、事情聴取で忙しくなると思ってくれ」

「それは構わないんですが、ユニス様の警護をする俺達がユニス様と一緒に行動しなくていいんですか?」

「それは問題ない。我々の行動範囲は調査の騎士で溢れている。いつもの警護より、安全なぐらいだろう」

 イオルクはユニスの部屋に来るまでにすれ違った騎士の多さを思い出す。ティーナと会話をしながら歩いている時はそうでもなかったが、普段に比べると修繕中のユニスの部屋へと続く通路で多くの騎士とすれ違っていた。

(あれだけの騎士がいる中で暗殺を企てる馬鹿はいないか)

 いつもユニスと行動を共にしているから心配になってしまったが、イオルクはティーナの言葉で納得した。

 その時、ノックの音が部屋に響く。

「早速だ」

 入室した侍女は二人居た。一人は、ユニスの案内人。一人は、イオルクとティーナの案内人だ。イオルク達は顔を合わせたのも束の間、それぞれが部屋を後にすることになるのだった。


 …


 イオルクとティーナが呼び出しの部屋まで案内をする侍女の後を着いて歩く。

その侍女の後ろで、イオルクがティーナに話し掛ける。

「実は俺、取り調べには、結構、慣れているんですよね」

「何故だ?」

「見習いの時に問題起こしてたんで」

 ティーナは呆れて溜息を吐く。

「あまり褒められることじゃないな」

「はは……。で、俺の予想を言っていいですか?」

「好きにしろ」

 イオルクとティーナは気にせず話していたが、侍女は冷や汗を流していた。後ろを着いて来る騎士二人は、ひょっとしたら聞いてはいけないことを話し出すのではないかと……。

 侍女がチラリと後ろを見ると、おちゃらけて見える皮鎧を着けた騎士が話をリードする形で会話は進んでいた。

「今回、ユニス様と俺達を分けたのって、現場検証の確認だと思うんです。実際に戦闘をした俺達の証言とユニス様との証言を付き合わせるために」

「ふむ」

「で、午前中までの調査は言葉によるものですが、これからは具体的に敵を炙り出すために、敵の攻撃スタイルや剣技を検証すると思います」

「戦闘スタイルは国や地域によって偏りが出るからな。そこから出身や身元が分かるかもしれないな」

「はい。持ち物や所持品は既に調査が入っているはずですから、俺達から収集できる情報というとそれぐらいだと思います。で、ついでに記憶があやふやになる前に、戦闘スタイルは絵にしました」

 イオルクは腰に固定してある皮袋から数枚の紙を取り出し、ティーナに手渡す。

「俺と戦った時、その構えをしたんです」

 手渡された紙を捲るように見て、ティーナは暗殺者の立ち姿や構えを確認する。

「一般的な構えのようだが、素人の構えじゃないな。それとどこかしっくりこない感じがする」

「ええ、武器を合わせると、それが余計にハッキリしました。斬り掛かる時に癖というか――剛剣に近いものを感じましたね」

「剛剣?」

 ティーナが手元から顔を上げてイオルクに向ける。

「動きの初動は片手剣なんですが、勢いを最大限に発揮させる姿勢が最終的に両手持ちの振り方なんです。うまく伝わるかな?」

 イオルクは足を止めると、暗殺者が使った剣の振り方を説明する。

「片手剣の動きが訓練されていない者が勢いだけを付ける力任せな振り方をしながら、途中で添えてる手で両手剣の基本的な動きに変化するんです」

 イオルクがゆっくりと背中から右手の剣を振り下ろす動きをし、途中で左手を添えて両手剣の振り下ろしの形を作る。

「……それで構えを説明するだけなのに説明する絵が一枚ではないのか」

 改めて手元の絵を見て、ティーナは顎に左手を当てて暫し考えながら一つの予想を導き出す。

「侵入者は戦いの方法を矯正させられたのだろう。元は癖のある片手剣の使い手だった者が暗殺者になった。暗殺者の暗殺術は新しく会得した剛剣による必殺なのではないか?」

「考えられますね。急所を狙わずに力任せに衛兵を斬り捨てるなんて、暗殺専門のアサシンの戦闘方法じゃありませんから」

「首謀者は、名も知れない傭兵に両手剣の戦闘方法を体得させたのかもしれない。そうすれば、身元は判別しにくいし、名前が割れても首謀者まで辿り着けない」

「でも、戦闘方法を変えるんですから、訓練期間は長いはずですよ。身元が判明したら、暗殺者がよく目撃された地域の人間から首謀者が分かるんじゃないですか?」

「それも一つの可能性だが、結論を出すのは調査を受け持つ人物だ。彼らの方が、こういった判断は正確だろう」

「はあ」

「だが、気を締め直そう。首謀者が暗殺者としての育成に時間を掛けたのは確かだ。行き当たりばったりではなく、しっかりと計画を立てていた」

「そうですね」

「それと死んだ暗殺者が傭兵なら、その傭兵が首謀者のために死んだというのも重要かもしれない」

「どういうことですか?」

 ティーナは一拍間を開けて静かに答えた。

「傭兵は自分のためにしか動かない」

 そう言われ、イオルクは思い当たったように言葉を漏らす。

「そうだ……」

「この首謀者には傭兵を逆らわせない何かがある」

 ティーナの言葉に、イオルクは頷く。

「私達の話したことは推論だが、首謀者の不気味さが際立ったのも確かだ。囚われ過ぎるのも良くないが、自分の考えを伝えないのも良くない。今の話は、一応、報告することにしよう」

「分かりました」

 話が終わり、視線を前に戻して歩くのを再開しようとした時、イオルクは侍女が震えているのに気が付いた。イオルク達の話を侍女はしっかりと聞いてしまっていた。

 イオルクはチョコチョコと頬を掻く。

「隊長、今更なんですが……」

「どうした?」

「彼女……俺達の話で怯えてますよ?」

 ティーナは『しまった』と顔に出すと、侍女に話し掛ける。

「あまり気にしないでくれ。今、話していたのは推測だから根拠もなにもないことだ。ただ、城内でふれ回らないでくれ」

「……はい」

 しかし、侍女は怯えたままだった。

 その侍女の肩に手を回してイオルクが言う。

「大丈夫だって。今、言ってたことは調査するオッサンにも話すから、そのうち誰の耳にも入るよ。それに何かあったら、うちの隊長が君を傷つける者を消すから……権力で」

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「そんなことをするか!」

 侍女の肩に回していた腕がするりと抜け、イオルクは通路に突っ伏した。

 ノソノソと起き上がりながらイオルクが言う。

「侍女の前で殴らんでください。示しがつかないじゃないですか」

「お前が口から出まかせを言うからだ!」

 侍女は不安が消えた代わりに呆れている。この間抜けな人たちなら、秘密を知ったからといって何も起きないだろうと……。

 侍女は、先を歩くと微笑んだ。

「城内に噂が流れるまでは、口を閉じておきます」

 その侍女の後ろを仏頂面のティーナと頭を擦るイオルクが続いた。


 …


 イオルク達の調査が行われたのは牢屋のような取調べ室だったが、ユニスの居る場所は綺麗な客間の一室だった。

調査を行ったのは、イオルクの兄であるジェムである。

「――以上になります。長い間、御疲れ様でした」

「いえ、これも御勤めですから」

 ユニスは営業スマイルで微笑むと、用意された紅茶のカップに口をつけた。

 暫し静かな時間が流れ、ユニスが紅茶のカップをテーブルの上に置くと、ジェムがタイミングを見計らったように口を開いた。

「姫様、御時間が余りましたので、少し御話をしてもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんよ」

 ユニスの許しが出ると、ジェムは勢いよく頭を下げた。

「弟が迷惑を掛けて、すみません! いつか、こうして頭を下げようと思っていました!」

「ど、どうしたのですか⁉」

「イオルクから聞いています。アイツがトランプ遊びを教えたり、最初の頃にタメ口を叩いたり……。しかも、未だに言葉遣いは中途半端なままで……」

 ユニスはクスクスと笑っている。

「どうやら、イオルクは家でも変わらないようですね?」

「はい、申し訳ありません」

「いいのですよ。堅苦しい城の中で一息つけるのですから」

「寛大な御心、感謝いたします」

 ユニスはジェムの話を聞いて、家でのイオルクも想像がついた。また、今のやり取りでジェムとの距離が縮まった気がしたので、これを切っ掛けにイオルクのことを聞いてみることにした。

「一つ質問をしても、よろしいですか?」

「私に答えられることであれば」

「事件とは関係ないのですが、イオルクの言葉遣いが気になったのです」

「言葉遣い?」

「はい。あの時――わたしが襲われた時、イオルクは綺麗な言葉遣いで、私に語り掛けたのです」

「それは……」

 ジェムの戸惑う様子を見て、ユニスはもう少し具体的に説明する。

「普段、イオルクは『ら抜け言葉』や『~なんですが』と砕けた使い方をします。しかし、あの時は、ちゃんとした言葉な上に『~なのですが』みたいに『ん』ではなく、『の』と硬い表現を使っていました。『俺』ではなく『私』とも言っていました」

「…………」

 ジェムはしばらく言葉を止めていたが、やがて昔を懐かしむような顔で話し始める。

「イオルク……昔は、丁寧な言葉遣いでした」

「え?」

「イオルクが変わったのは突然だったのです。あの言葉遣いは、見習いになってからのものなのです」

「そうでしたか。では何故、昨日は……」

 ジェムは首を振る。

「分かりません。もしかしたら、イオルク自身が押し殺しているのかもしれません」

「……何かあったのですか?」

 ジェムは再び首を振る。

「家族の者は誰も知らないのです。あの頃、見習いだった者なら知っているかもしれませんが」

「そう……ですか」

 視線を落としたユニスに、ジェムが訊ねる。

「気になりますか?」

「ええ」

 ユニスの様子に、ジェムは頬を緩ませる。

「弟は姫様に大事にされているようで安心しました」

「いえ、こちらこそ。命を助けて貰ったのですから――あ!」

「どうしました?」

「勢いに飲まれて、二人に御礼を言いそびれていました!」

 ジェムは首を傾げる。

「何ですか? その『勢いに飲まれて』って?」

「元気付けてくれようとしてくれたのだと思うのですが、イオルクがティーナをからかったもので――」

 ジェムは右手で待ったを掛ける。

「ちょ、ちょっと待ってください! アイツ、銀の鎧のティーナをからかっているのですか⁉」

「あ! これ、言っちゃいけなかったんだ!」

「ひ、姫様⁉」

「オホホホ……忘れてください」

 ジェムは額に手を置き、項垂れる。以前にイオルクが語った『姫様は悪戯っ子』というのは嘘ではないらしい。しかも、もっと問題なのは、イオルクのティーナに対する態度だ。

「謝るべき相手が、また増えた……」

「気になさらずに」

「そうはいきませんよ……」

「わ、わたし、そろそろ行かないと!」

 ユニスがそそくさと退室すると、ジェムは頭を抱える。

(に、兄さんに相談しよう……)


 …


 イオルクとティーナがユニスの仮の部屋で待って、数分後――。

 ユニスがバタバタとした足取りで、部屋に戻って来た。

 そして、額の汗を拭いながら呟くように言った。

「ふ~、危ないところだったわね。いや、寧ろ、ギリギリアウトだったかしら?」

「入って来るなり、何を言ってるんですか?」

「あはは……。こっちのこと」

 妙なリアクションを取ったユニスに、椅子に座るイオルクとティーナは疑問符を浮かべた。

 その疑問符の浮かぶ二人の前で、ユニスがポンと両手を打つ。

「あ、そうそう。言い忘れていたことがあったの」

「何ですか? 今度は?」

 ユニスは手を重ねて姿勢を正すと、ゆっくりと頭を下げる。

「二人とも……。助けてくれて、ありがとう」

 ティーナが椅子から立ち上がり、首を振る。

「姫様、我々のようなものに頭を下げる必要はありません」

「そんなことないですよ。ユニス様の気持ち、受け取りましたよ」

 ティーナのグーが、イオルクに炸裂した。

「敬え! この国の姫が一兵士に頭を下げてはいけないのだ!」

 ティーナに向かって、イオルクは顔の前で手を縦にして振る。

「違う違う」

「何が違うのだ!」

「それ、失礼ですよ」

「何がだ!」

「いいですか? ユニス様は感謝を伝えたかったんですよ? それを受け取らないのは、失礼でしょう?」

「…………」

 ティーナが沈黙している。自分の中で葛藤している。確かにイオルクが言うことは正しい。しかし、一国の姫が頭を下げるということは……。

 ティーナの頭の中でグルグルと二つの思想が駆け回る。形式に囚われるべきか? それとも、失礼のないようにユニスの感謝を受けるべきか?

 迷いに迷い困惑したあと、ティーナはポツリとユニスに話し掛ける。

「あの、姫様……」

「何?」

「……私は、どうすればいいのでしょう?」

 ユニスが疑問符を浮かべて首を傾げる。

「当然、感謝は受けたいのです! しかし、姫様に頭を下げさせるわけにはいけません!」

 ユニスは『どんな時も生真面目なティーナらしい』と小さく微笑むと、ゆっくりとティーナの側まで歩み寄り手を取った。

「姫様?」

「貴女達だけよ。貴女達だから頭を下げるの。だから、受け取って」

「姫様……」

 ティーナは自分の手を握る小さな手の温かさを感じると、静かに答えた。

「確かに……確かに受け取りました」

 ユニスはティーナに微笑んで返した。

「あと、今回の暗殺事件で亡くなった兵士にも……。彼らにも礼を尽くさなければ」

 落ち着きを取り戻したティーナが補足を入れる。

「今回の件については、王様から亡くなった者へ慰めの言葉が与えられるはずです」

 そこで手を取り合っている主従の横から声が挟まる。

「その時に、ユニス様も言葉を送ればいいんじゃない? 隊長、忘れないようにメモ取って」

「そ、そうだな」

 ユニスの手を放し、普段携帯しているメモを取り出してティーナは暫し固まる。そして、イオルクにグーを炸裂させた。

「何で、私がお前の命令で動かねばならないのだ!」

「だって、俺はユニス様に報告する役目じゃないし……」

「それをすることもあるだろう! お前の仕事は、一体、何なのだ!」

「ユニス様の暇を潰すことです」

 ノンタイムで切り返したイオルクに、ティーナは激しく項垂れた。

「暇を潰すことって……。道理で、一人増えたのに仕事の量が以前と変わらないわけだ……」

 ユニスはクスリと笑い、昨日もあったはずの二人の掛け合いを懐かしく思った。

(またいつも通りの日々が、こうやって戻ってくるのかしら?)

 当たり前の日常が壊される怖さと、壊されても元に戻せる人の強さをユニスは同時に感じていた。特に元に戻る強さは強く感じる。

(一人より二人。二人より三人。繋がった分だけ、人は大きな力を出せるのかもしれない。それはティーナやイオルクだけじゃない。きっと、今、頑張っている人たちが生み出しているもの……)

 ユニスの中に、今までにはない強い想いが生まれていた。自分の周りだけだった世界が、人との繋がりを考えた、一歩外の世界を意識したものに変わっていた。

(きっと……わたしを守ってくれた騎士たちが、見えない繋がりを気づかせてくれたから。そして、その大事なことを気づかせてくれる切っ掛けを作ってくれたのは――)

 ユニスはイオルクへと目を向けていた。視線の先では、昨日の戦った姿が嘘だったかのような普段と変わらないイオルクが目に映っていた。お調子者で、やる気のないような緩い顔を張り付かせ、だけど、その態度がどこか安心させる佇まい。

 イオルクの見ている窓の外へ、釣られるようにユニスが目を向ける。外は夕闇に覆われ始めていた。

 暢気そうなイオルクが響く。

「そろそろ帰宅時間ですかね」

 イオルクに『勝手に就業時間を短縮するな!』とティーナが拳を握った時、勤務終了の鐘が鳴り響いた。

 ティーナは溜息を吐いてそのまま拳を解くと、ぶっきらぼうにイオルクへ言う。

「今日は、このまま帰れ。連絡が入っていない以上、無理に拘束することは出来ない。家族にも顔を見せてやれ」

「そうします。さて、帰るか」

 イオルクが『ん~!』と伸びをすると、ユニスが声を掛ける。

「イオルク」

「何ですか?」

「お兄さんに気を付けてね」

 イオルクは伸びをした姿勢のまま、首を傾げる。城内で会っていない二人の兄に粗相を働けるはずもなく、特に気を付けることもないはずだ。

(何か妙な言い回しだな? まあ、いっか)

 特に気にすることもないだろうと、イオルクは帰宅の用意を始める。とは言っても、イオルクの私物は少ない。身に付け忘れたものがないかをチェックする程度の簡単なものだ。

 帰宅の用意も終わり、いつも一緒に帰宅するティーナへとイオルクは話し掛ける。

「隊長は帰らないんですか?」

「姫様の部屋が修繕するまでは、私はここで寝泊りする」

「何で?」

「侵入された姫様の部屋の場所は、本来、辿り着くのも困難なはずなのだ。お前が押したスイッチの仕掛けがあるように守りも堅い。しかし、この仮の部屋には、それらがない。故に姫様の部屋の修繕が終わるまでは、私が側で御守りする」

 そこでティーナは会話を止め、僅かな時間思考する。それは今、ティーナ自身が言った言葉に関わっていた。


 ――本来、ユニスの部屋へ侵入者は辿り着けない。


 当然ながら部屋の配置には気を配って設計してある。部隊部屋や各所の警備の騎士の配置は利便性だけで決められるものではなく、ユニスの部屋へ向かう経路で誰かしらの目に留まるように配置されている。

 ましてや今回の暗殺者は黒装束を着ていた。正面から鉢合わせすれば、不審者であることは誰にでも分かる。それが誰にも気づかれず、ユニスの部屋での異変に気付くのに時間が掛かったというのはあり得ない。

 ということは……。

(城内の警備を知り、誰にも気づかれない空白の時間を作り出せる、何者かが関わっている)

 ティーナの顔は知らず知らずに厳しいものになっていた。

「隊長?」

 イオルクの言葉で、ティーナは我に返る。

「何か考えことでも?」

「いや……何でもない」

「そうですか? では、お先に。ユニス様、また明日」

 イオルクは挨拶をすると部屋を出て行った。

 帰宅後、ジェムに怒られるとも知らずに……。


 …


 残されたユニスとティーナ。

 机の前にユニスが座り、傍らにティーナが控える。少し前までは当たり前の光景であったが、イオルクが加わってからは久しぶりの二人だけの時間であった。

「イオルクが居ないと静かね」

「アイツが居る前は、このように落ち着いていたのですね」

 ティーナの言葉に、ユニスはクスリと笑う。側でティーナだけが控えているのは、本当に久しぶりな気がした。

 いつもよりやや芯の通った声で、ユニスがティーナに話し掛ける。

「ねぇ、お願いがあるの」

「何でしょうか?」

「ティーナは騎士の素性を調べられるわよね?」

「はい。姫様の身辺警護をする上で権利が与えられています」

 ユニスから伝わる真剣味のある声に、ティーナは今回の暗殺劇に関わることだと察する。

(もしかして、姫様も内部犯の疑いを……)

 自分と同じ考えに至ったのかもしれないと、緊張した面持ちでティーナは次の言葉を待つ。

 そして、少し間を開けてユニスが口を開いた。

「職権乱用になるのだけど……。イオルクのことを調べて欲しいの」

「……は? イオルク?」

 予想とは違い、聞かれたのはイオルクのことだった。ティーナは肩透かしを喰らったように気が抜けてしまった。

「イオルクのことが気になるの」

「はあ……。あの男の、一体なにが気になるのですか?」

 ユニスは少し視線を落として暗殺者と対峙した際のイオルクのことを思い出し、その時の会話を思い出す。

 そして、顔を上げると、しっかりとティーナに顔を向けてユニスは言った。

「イオルクが敬語を使ったのよ」

 ティーナは首を傾げる。

「変な使い方ですが、アイツは普段も敬語を使っていますが?」

「そうじゃないの……。あのイオルクが『俺』じゃなくて『私』って」

「……それは本当ですか?」

「ええ。それに、それだけじゃないの。『~なんですが』って砕けた使い方をしないで、ちゃんと『~なのですが』みたいに固い表現の使い方をしているの」

「信じられないのですが……」

 ティーナはユニスに疑いの目を向けたが、ユニスは何かを確信しているように机の上で両手を組む。

「あの話し方は使い慣れている感じだったわ」

「……では、普段のあの話し方は?」

 ユニスは机に手をついて、身を乗り出す。

「だって、変だったのよ! 顔も、いつもみたいに緩くなくて凛々しかった感じがしたんだから!」

「アイツが凛々しい……? 恐い思いをして混乱していたのではないのですか?」

「違うわ! だから、調べて欲しいのよ!」

 ティーナは困った顔を浮かべる。

「しかし、調べると言っても……」

 ユニスは両腰に手を当てて言う。

「情報は手に入れているわ。イオルクのお兄さんのジェム様に聞いたから」

「何処で聞かれたのですか?」

「調査をしている時に」

「何をやっていたのですか……」

「ちゃんと取り調べの後よ」

「そういうことではなく……」

「兎に角! 調べて欲しいのは、次のことよ!」

(何か、イオルクのせいで姫様に悪い影響が出てきた気がする……)

 ティーナは頭が痛かった。

「いい? イオルクが、今の言葉遣いになったのは見習いになってかららしいわ」

「私は、アイツに微塵も興味が湧かないのですが……」

「貴女は、イオルクと同期だった見習いに片っ端からイオルクのことを聞くのよ」

「アイツは四年も見習いをやっていたのですよ?」

「ティーナなら出来るわ!」

 ティーナは諦めの溜息を吐く。

「……仕方ありませんね。ですが、そんなに期待しないでくださいよ。アイツの過去なんて高が知れているのですから」

「面白いエピソードを期待しているわ」

「期待って……」

「試験の時みたいな話よ」

 ティーナは、やっぱり影響が出ていないと思う。ユニスは、いつも通りに好奇心に忠実なだけだった。

(とはいえ、塞ぎ込まれるよりはマシか……。立ち直り始めたということだし……)

 『いつも通りのユニスに戻るなら、調査をしてもいいかもしれない』と、ティーナはユニスの依頼を受けることにした。

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