序章・切っ掛けの少年 12
対峙するイオルクの体を突き抜け、暗殺者から放たれた何かは机の中で身を屈めるユニスにも容赦なく降り注いでいた。
「……う…あ……」
幾本もの冷たい線が貫いたように思った瞬間、ユニスの体は動かなくなった。
動かなくなったのは指や手足だけではない。息を吸うために肺を動かす横隔膜までもが動かなくなってしまった。
薄暗い机の中で、ユニスが自分の首に震える両手を無理にあてがう。
(な、何が起きてるの……? 何が起きたの……? わたしの体は、どうなってしまったの……?)
手からは喉を空気が通る感覚が伝わらず、息を吸おうとしても吸えない。まるで呼吸の仕方を忘れてしまったかのように胸が上下しない。
息が苦しくなり、ユニスの目からは涙が溢れた。
「…っ……っ……!」
手先から血の気が引いていくように温度が失われていくようだった。体中で悪寒がする。
(息が……できない……。まるで体が息をするのを拒んでいるみたい……)
極度の恐怖を感じると、動物の中には死んでしまうものがいる。逃れられない死を悟り、少しでも楽に死ねるように……と。
今、ユニスに起きているのが、まさにそれだった。ユニスが無意識に壮絶な死を思った瞬間に呼吸を止めてしまっている状態なのである。
――息を止めてから、どれだけたったのか?
――あと、どれだけ止めていられるのか?
突然息を止められた体は意識して止めるのと違い、長く息を止められる準備ができていない。
(でも、死んではダメ……‼ わたしを生かしてくれた人がいた……‼ イ、イオルクが頑張ってる……‼ ティーナが来てくれる……‼ それまでは……‼)
この先にどれだけの苦難があろうとも、ユニスは諦めないことを決めていた。体が動かない中、ユニスは目だけに強い光を灯して耐えていた。
…
吹き流れるそれの正体にイオルクは気づいていた。戦場では誰しもがそれを放ち、時には吹き溜まったそれに戦場が混沌とすることもある。
イオルクの経験が知っていた。
(殺気……)
そう、正体は殺気だった。だが、ただの殺気ではない。暗殺者が放つ殺気は、異常な圧を持っている。
(こんな一方向にだけ殺気を放つ人間はいない。普通なら周囲にまき散らすように放たれるはずだ。……つまり、この殺気は自身が強くなって徐々に威圧感を増して身に付いたものではない。放たれる殺気の本質を理解して抽出し、放たれる殺気を意識的に強化したものだ)
イオルクの体を突き抜ける凍てつく寒さは、ユニスの感じているものよりも強いものだった。強く意識すれば、いずれイオルクも体が動かなくなる。
イオルクの鼻がスンと鳴った。
「これが戦場の空気を感じさせたのか」
いつの頃からか、危機感に対する第六感と呼ばれるものが鋭敏になった。ある者は五感以外の感覚を肌で感じると言っていたが、イオルクの場合は空気に混じる臭いで第六感が訴えかけた。その臭いは戦場の中で流れる血の臭いだったり、火薬の臭いだったり、錆びた武器の鉄の臭いだったり、統一性はない。
この感覚は戦場以外の何もないところでは、余計に鼻につく。今感じている殺気こそ、鋼鉄の鎧の騎士達が襲われる前にイオルクに戦場の空気を感じさせたものに他ならない。
(これを使って相手の動きを止めていたに違いない。だから、見張りの騎士たちは――拙いな。この殺気と同等のものを経験したことがある俺なら動けるが、ユニス様は――)
イオルクは目を閉じる。
(気を練り出さないと)
拳を強く握って腹の底に力を込め、殺気に対抗する気を練り出す準備に入る。
(俺一人だけ動ける分だけの気を練っても意味がない。殺気が後方に流れないような強い気を練らないと)
イオルクの中にユニスとの思い出が蘇り、三ヶ月の間にイオルクへ残していった、ユニスの色んな場面の姿を思い浮かばせる。
一人でも多くのことを身に付けるために直向き(ひたむき)に努力をする姿。そんな中でも笑顔を絶やさない強さ。ちょっとした娯楽を知っただけで喜ぶ姿。
そして、最後に王の子であるために泣きたいのに泣けない姿が思い浮かんだ。
(あんなに頑張っている子が……王の子としての重圧を受け入れていても、あんな風に笑える子が……こんな理不尽で死んでいいわけがない……‼ 俺は――私はユニス様を……守る‼)
イオルクの目が見開き、同時にスッと幾分細くなる。口からは小さく短く強い息が吐き出された。
次の瞬間、イオルクの内から練り出された気が吹き上がった。
…
息苦しさから解放され、ユニスの肺が空気を取り入れるのを再開した。
「……かはッ‼」
肩が上下し、ハッハッと細かく呼吸が短いリズムを打つ。突き抜ける寒さが消え、苦しさに喘いでいて汗がドレスに張り付いていたことに気付く。
見えない机の向こう側には、熱い壁のようなものを感じた。
「イオルク……なの?」
熱い熱い何かが、遮るようにユニスを守っていた。
…
イオルクを通して出ていたのは、ユニスを守るという明確な意志だった。いや、正確には意志を気に変換して練り出した闘気だった。
それが暗殺者の殺気を受け止め、押し返す。
「驚いたな。見習いが大した芸当を持っているじゃないか」
暗殺者は純粋に驚き、そう評価した。
しかし、それも一時だけのもの。直ぐに余裕のある笑みを張り付かせて話し出す。
「ここを守っていた騎士のうちの一人は殺気だけで動けなくなったんだが、本当に大したものだ。もう一人は……まあ、動けはしたが、そこまでだったな」
暗殺者はクックッと笑って見せる。
「それがどうなっているのか、見習いの方が動けるとは」
嘲笑の目を向け続ける暗殺者に対して目をそらさないまま、イオルクは背後の机の中にいるユニスへ話し掛ける。
「ユニス様、大丈夫ですか? 私の声が聞こえますか?」
芯の通った真っ直ぐな声は、最初、ユニスにイオルクだと気づかせなかった。
しかし、ハッと我に返り、ユニスは慌てて返事を返す。
「だ、大丈夫です」
机の中でユニスは、そっと胸に右手を当てる。
(イ、イオルクなの? イオルクの声なのに雰囲気が違う。まるで城の中の白銀の騎士や黄金の騎士のよう……。それに――「俺」ではなく「私」って)
イオルクに何らかの変化が起きているようだった。
しかし、机の中では声だけしか聞こえず姿が見えない。
(わたしの知らないイオルク……。きっと、この向こうにわたしの知らない騎士としてのイオルクの姿がある)
ユニスは見えない向こう側のイオルクを想い、机の張り板を見続けた。
そこに再びイオルクの声が聞こえる。
「ユニス様、少し厄介な相手です。私が気を張って殺気を止めましたが、漏れた殺気がまたユニス様を苦しめるかもしれません。今から気の張り方を教えます。よろしいですか?」
「わ、分かりました。お願いします」
足手まといになってはいけないと、ユニスはイオルクの声に耳を澄ませる。
「まず、強く思ってください。『こんな理不尽には負けない』と」
「はい」
ユニスは目を閉じて両手を組み、長く息を吐き出すと一心不乱に懸命に思う。
(こんな理不尽なことには負けない!)
一呼吸空け、イオルクの次の言葉が続く。
「今度は、それをお腹に力を込めて思ってください。お腹に力を込めたあと、体の温度が上がったように感じれば成功です」
ユニスは言われるまま強く思い、お腹に力を込めた。
すると、お腹から血液に思いが乗ったように、体中を何かが包んでいった。それは長くは続かなかったが、ユニスの体を薄い膜が一枚張ったように感じさせた。
「イオルク、できました! たぶん、この感覚で合ってると思います!」
「さすがです。殺気を感じ取ったら、同じように気を張ってください」
「分かりました!」
ユニスの強い返事を聞いて暗殺者の殺気の影響が出ていないことに安堵すると、イオルクの意識は再び暗殺者へと向かう。
「随分と余裕ではありませんか。あれほど大きな爆発をさせて、いつ応援が来るかも分からない状況だというのに会話をさせるなんて」
暗殺者が覆面の下で、含みのある笑いを漏らした。
「本当に余裕があるからな。きっと、応援が来ることに希望を抱いていたのだろうが、無駄だ」
「何?」
「あと、十五分は誰も駆けつけない」
「馬鹿な……」
「今日は、そういう日になっているんだよ」
短く息を漏らし、イオルクは誤算が生じたことに舌を打ちそうになる。
(用意周到に準備されていたのか……。隊長が居ないのも、ここに応援が来ないのも)
それと同時に分かってしまう。こんなことが出来るのは、城の中に居る者だけだと……。
暗殺者に協力する内部犯が城の中に居る。
…
状況が変わった。待っていれば応援が来るということは期待できなくなった。
暗殺者から目を離さぬまま、イオルクは一呼吸入れる。
(こっちの有利が一つなくなった。勝つ以外に道はない……。しかし、この状況は予想していた)
ティーナが都合よく戻って来て、数の有利でことが進むというのは楽観的すぎる考えだ。それに『自分の軍について、指揮官は先を見越して恐れから想定する状況を考える』とユニスに説明したのはイオルク本人だ。当然、想定していた可能性を一つだけしか用意していないということはない。
それでもそう言ったのは、ユニスを安心させるためだった。自分の立場を自覚した精一杯の覚悟を、ユニスにはそのまま貫いてあげさせたかった。
(さあ、引き締め直そう。この用意周到ぐあいからみて、敵はこの暗殺に随分と手間を掛けている。目の前の暗殺者は、それにそぐうだけの実力を備えていると見るべきだ)
足の移動、腰の回転、上半身の捻り、腕の振り……体の全てを使った武器の加速の準備に入る。イオルクの肩から無駄な力が抜け、両手がユラリと揺れる。
(生き残らなければならない。ユニス様を無傷で守り抜かなければならない)
壁として立ち塞がっていたイオルクの闘気の流れが変わり、明確に暗殺者に向かい始めた。
それに呼応するように暗殺者の殺気が禍々しく変質する。極寒の川の流れのようだったものが、ねっとりとイオルクの闘気を蝕むように放たれる。
イオルクと暗殺者の間で空間が歪むようにお互いの気がぶつかり合う。
そして、イオルクと暗殺者は共に踏み出した。話し合いはここまでとでも言うようにお互いの距離が縮まっていく。
先に足を止めたのはイオルクだった。ユニスの部屋のほぼ中央。そこでイオルクはロングダガーを握った両手を下げたままで待ち受ける。
(あんなに闘気を漲らせているくせに向かってこないのか?)
イオルクがいきり立って突進して来ると思っていた暗殺者は、思いのほか落ち着いている見習い上がりの騎士を不気味に思う。その反面、鋼鉄の騎士をも倒した自分に対して何の恐れも見せていないような態度にいら立つ。
(気に入らねぇな。俺に先手を譲るってのは……‼)
暗殺者の右手に握られた剣が右肩から背中に回り、独特の溜めを作る形を取った。
――大振りが来る。
それを意識させる構えだった。実際、暗殺者と対峙したほとんどの者がひと振り目の剣を避けてカウンターを狙いに来る。
しかし、逆に言うならば、暗殺者がワザと意識させているとも言える。意識が一点に集中し、それしか出来なくなるのである。
タトッとリズミカルな音を響かせたのは、暗殺者が助走をつけてステップを踏んだ音だった。
「シッ‼」
繰り出される右手が鞭のように撓り、投擲でもしたような軌道で通常の剣速を凌駕する一閃が飛んでくる。完全なる我流に原形となる型はない。
その状況でイオルクは、まだ動かない。
加速中の剣の柄に暗殺者の左手が掛かり引き斬る動作も合わさる。重さと力とスピードが、更に上乗せされる。
常人では手を放し兼ねない剣を握る右手の握力。刹那のタイミングで左手を添えるセンス。その一振りは我流であっても洗練されていて一連の動作に淀みはない。毒も暗器も使わない。これがこの暗殺者の暗殺術だった。
(死ねッ‼)
直後、ユニスの部屋に剣とロングダガーのぶつかる音が響き渡った。
…
押しつぶされそうな不安の中で両手を組み続けていたユニスの耳に金属同士がぶつかる音が響いた。
しかし、今聞いた音は聞いたことがない音だった。
「空気が弾けたみたいに……」
衝撃がユニスの肌を叩いたのである。
騎士の国らしく騎士同士が手合わせする場面をユニスは何度も見ている。剣と剣が当たる音は、何度も聞いたことがある。剣と剣がぶつかると、キイイイィィィンンン……とお互いの剣が震えて金鳴くのである。
(それなのに、どうしてあんな音が……)
どのような状況で発せられた音か分からないまま、ユニスは組んでいた両手に力を込めてイオルクの無事を願った。
…
暗殺者の両手持ちした剣が跳ね上がる。両腕が無様に万歳をする形に上を向き、上半身が反り返る。
(馬鹿な……‼ 石に打ちつけたって、こんなに返らないぞ⁉ 何が起きた⁉ このガキが――待て‼ 受け止められたということは……誘い込まれたのは――)
そこで暗殺者の考えが止まる。いや、考えるという工程を無視し、経験と勘に従って上に向かう剣を手放し、兎に角、バランスの崩した両足で床を蹴った。
「……グッ‼」
直後、暗殺者の右肩に鋭い痛みが走る。それは黒装束をかすめ、ご丁寧に仕込んである鉄製の肩当てと胸当ての隙間を縫っての軌道で皮膚を僅かに切り裂いていた。
後ろに倒れかけた体を床に左手をついて後転に変え、体が止まると暗殺者は片膝を立ててイオルクを見上げた。
見上げた視線の先では、頭上にロングダガーを握った右手を掲げているイオルクの姿があった。
暗殺者とイオルクの視線が合うと、イオルクが言葉を発した。
「呼び込みが浅かったか」
イオルクに見下ろされた暗殺者の心臓が早鐘を打ち、冷汗が暗殺者の頬を伝った。
(カウンターを打たせるように誘い込んだはずだ……。そのカウンターを上回る速度と威力で振り切ったはずなのに、何で俺の方がカウンターを貰う形になっているんだ?)
伝う汗を右手で拭い、暗殺者の口から思わず言い訳が出た。
「偶然、剣が当たったに過ぎない。後出しのコイツの武器が俺の剣の軌道に――」
「剣の握り方を教わらずに生きてきた盗賊や傭兵の中に時々居る、剣の使い方だ。そして、暗殺を請け負ったというなら、きっと、貴方は元傭兵だろう」
その言葉に暗殺者は目を見開いた。図星を言い当てられた。
暗殺者は得体の知れないものでも見るようにイオルクを見続ける。
(コイツは、何者なんだ? よくよく考えれば、後出しの武器に俺の剣が弾き飛ばされたんだ。偶然に剣が合ったからといって、どうにかなるものでもない。あの力は体格だけで説明がつかない。長年鍛え上げないと培われない力だ。それに俺の剣技は、素人が間違えて覚えたまま昇華させた剣技で目にする機会なんて何度もない。目にしても覚えていない。……だけど、コイツは何度も目にしている言いぶりだった)
暗殺者の目がイオルクの顔から下がり、首へと移る。正確には首筋に刻まれている皺へ……。
(皺が浅い。間違いなくコイツは、見た目通りのガキだ。だとすると……。そうだとすると……)
暗殺者の口から、イオルクを畏怖する声が漏れる。
「コイツの生きてきた時間と備わっているものが噛み合わない……」
イオルク・ブラドナーという見習い上がりの騎士とは、何者なのか。
――試験に落ち続けて、ティーナに毎日のように怒られるダメな騎士なのか?
――ブラドナー家の三男末弟の貴族らしくないお調子者なだけなのか?
いいや、それだけではない。
見習い時代、ノース・ドラゴンッヘッドでは一番敵を倒した騎士だ。十五年しか生きていない少年の中には、いまだ見えない一面がいくつもある。
現に今、暗殺者にはイオルクが少年の面影がある熟練した騎士に見えている。
「その剣にも細工がしてありますね。見た目は剣だが、先端が重い。手斧を受け止めたような感触だった」
たった一回の接触で全てを見抜かれていた。
暗殺者はゆっくりとした動作で立ち上がり、イオルクを警戒して一挙手一投足を見逃さないように十秒以上を掛けて立ち上がった。
殺気は、既に霧散していた。意識して殺気を流すような余計なことに力を割いている場合ではなくなった。暗殺者は振り返り、爆風と共に転がった鋼鉄の騎士が持っていた剣を拾いに走る。手早く落ちていた片手剣を拾うと振り返って構え、自分の持っていた剣よりも随分と軽いことを構え終わってから感じる。
(まだ勝ち目があるのか? 俺の武器は重量系の分類に含まれる改造を施してあったが、こん軽い剣――軽い剣?)
暗殺者の目が、握る片手剣へ向かう。
(この剣ならアイツに対抗できるのではないか? 剣速は格段に上がるはずだ)
片手剣を右手で握り直して振り、剣速が上がっていることを確認する。
(よし! これなら振り遅れないはずだ! ここからは暗殺者の戦い方で任務を全うする!)
暗殺者が左右にステップを踏み、相手の死角へと入る隙を伺う。そして、暗殺者ならではの身軽さを利用してイオルクに迫る。
(力が上でも、スピードならこっちが上だ!)
大きく踏み込んだ暗殺者の体がイオルクの視界の左端から消え、剣が伸び上がる。先ほどの大振りから一変し、矯正されたコンパクトにまとめられた突きがイオルクに迫る。
(捉えた!)
しかし、イオルクの左手のロングダガーが内側に捻られ、側面がギラリと光る。ロングダガーが平手で払うように剣を弾き、最小限の動作で暗殺者の攻撃を躱した。
(ダメだ‼ まだ動きが大きい‼)
暗殺者はイオルクのロングダガーの領域外である、イオルクの左側に回り込もうと方向転換して床を蹴った。
「そっちは行かせない!」
「⁉」
イオルクの左足が振り抜かれ、暗殺者は腹を蹴られてイオルクの前に戻された。
「ぐっ……! そっちに何があるって言うんだ……?」
視線の先には何もない。だが、イオルクの後ろにあるユニスの隠れる大きな机へ立ち塞がるものがなくなってしまう位置であった。
「……まさか、それだけのことも許さないのか」
今のイオルクは守る者のための行動が第一優先になっている。暗殺者を殺してしまうのが一番手っ取り早い手段でも、ユニスに向かう危険があれば暗殺者にとどめを刺すのは後回しになる。
「チッ‼」
暗殺者が激しく舌打ちした。
(依頼主の野郎……‼ まったく情報と違うじゃねぇか! 何が楽な仕事だ! ノース・ドラゴンヘッドの姫は、とんでもない怪物を番犬に飼ってるじゃねぇか!)
暗殺者が構え直すと、イオルクが動く。ロングダガーの特性を活かして連続で左右から斬りつけていく。
暗殺者は片手剣を無理に両手で構え、上段と中段の攻撃をかろうじて受けた。しかし、剣に伝わる衝撃があまりに軽い。
「使い分けているのか⁉ さっきまではカウンター用の重い使い方をし――」
そこで言葉が止まった。左右の素早く鋭い斬撃に暗殺者は言葉を交わす余裕もなくなった。
間合いの見極めが狂う。
「ぐ……! くそっ‼」
届かないと思ったロングダガーの剣先が届き、捉えたと思った自分の攻撃にロングダガーが割り込んでくる。相手の武器の特性を理解しなければ戦いにはならない。
(何故、こんなに避け難い⁉ 何故、こんなに攻撃が止められる⁉)
暗殺者は理解できなかったが、そこには理由がある。防戦一方になる理由は、イオルクの武器と技術に秘密がある。イオルクの使うロングダガーは通常のダガーより長く、間合いが捉え難い特殊な武器だ。そして、その中に時折混じる短剣術ではない剣技、剣技はない短剣術が予測を混乱させ、攻撃に転ずることを許さない。短剣の攻撃なのか、剣の攻撃なのか、判断が付かないのである。
中途半端と思われてブラドナーの家で長年眠っていた武器が、牙をむいて襲い掛かる。
(む、無理だ……‼ 軌道を読んで合わせるだけで精一杯だ‼)
気が付けば目的のユニスからは遠く離れ、自分が空けた壁の穴まで押し戻されていた。
金属同士のぶつかる音は途切れることなく響き続け、暗殺者の剣が金鳴く前に次のロングダガーの攻撃が音を消し去っていく。
勝敗は決していた。
だが、暗殺者にも意地がある。引き下がれない。突如、大きなバックステップを踏んだ。
勢いをつけ、突進系の突き技でも来るのかと予想し、イオルクの両腕が腰の脇で止まる。
しかし、対峙したまま暗殺者が動かない。
(何だ? 急に動きを止めて?)
疑問符を浮かべるイオルクをあざ笑うように暗殺者の顔が酷く歪み、下劣な笑みを浮かべたかと思うと、直後に懐へ左手を入れて壁を破壊するのに使った火薬袋を取り出した。
「全員、道連れに死んで貰う!」
イオルクの視線が後ろに向き、ここからユニスまでの距離を一瞬で目測する。通常の火薬では、この距離でユニスまで爆発の影響があるとは思えなかった。
しかし、万が一がある。暗殺者の握る火薬の威力が通常のものではない特別なものであれば、引き起こす爆発がユニスを殺すかもしれない。
(着火をさせるわけにはいかない‼)
強力な踏み込みが、一歩目からイオルクを一気に加速させる。
それを見越したように暗殺者は右手の剣を投げつけた。
(っ‼ 投げた剣の軌道がユニス様の方へ向いている!)
優先すべきはユニスである以上、回避はあり得ない。足を止めてイオルクが左手を振り下ろして剣を叩き落とす。
しかし、今、足を止めたのは致命的な時間を相手に与えたことを意味する。
「斬っていては間に合わない‼」
そう、再加速して走って暗殺者を間合いに入れてから斬っていては、火薬に着火された後の可能性が高い。
このままでは拙いと、イオルクは左手のロングダガーを体に巻き付けるように振り切り、体を捻じるのに利用する。同時に右手のロングダガーの握り方が上下逆転した状態に変わり、柄のお尻に指が二本添えられる。
投擲の準備を完了させたイオルクの視界の中では暗殺者の右手が懐に入り、着火するための道具をまさぐる姿が映る。
(この一投で着火を止めさせるには、どこを狙う?)
一回しかない投擲のチャンス。確実に仕留めるなら心臓だが……。
(服の下に急所を守る防具を仕込んでいる可能性が高い! 却下だ!)
火薬を持つ、暗殺者の左手はギリギリで壁に隠れている。ロングダガーを投げても当たらない。
(そうなると右手か! ただ当てるだけではダメだ! 確実に腕の腱を断ち切らねば‼)
集中力が一段階増すと、それに気づいた暗殺者の視線がイオルクに釘付けになった。
どこを狙っているのか暗殺者には分からないが、集中力の高まったイオルクの視線から放たれる気が闘気から殺気へ変わったように感じ、目が離せなくなってしまったのである。
完全にイオルクに囚われた暗殺者の直ぐ横で声が響く。
「――残念だが、貴様の任務は失敗だ」
暗殺者がハッと声のする方に視線を向けた瞬間、淡い赤の残像を引く一閃が振り抜かれた。
「な――」
ティーナがレイピアを抜剣して侵入者の左手首を火薬ごと切り飛ばしていた。普段の暗殺者なら気付いていただろうが、イオルクという存在が廊下に出てもイオルク以外の存在を気付かせなかった。
鮮やかな銀髪が舞い、暗殺者の前で一回転するティーナがミスティックな光に包まれる。その光は右手の赤い刀身のレイピアにも伝わり、刀身が陽炎を伴った。
再び振るわれるレイピアは暗殺者の切り落とした左手首に当てられ、ジュッと焦げた音と臭いを漂わせた。
ティーナがレイピアを振って血を払い、左の腰の鞘に納める。
「全てを話して貰うぞ」
暗殺者が斬り飛ばされた左手首を見ると、焼き鏝を押し付けられたように切断面が焼いて止血されていた。
それを見て、焼き付く痛みが暗殺者を襲った。
「ぐあああぁぁぁ――ッ‼」
無様に転げ回り、ティーナに背を向けて暗殺者は苦々しく呟く。
「っ! ここまでか……‼」
ガキリ!と、何かが砕けた音が響くと暗殺者は血を吐いて絶命した。
「……任務遂行が出来ないと分かり、死を選んだか。口が聞けないとなると、あまり情報は得られそうにないな」
暗殺者から目を逸らしてティーナが振り返ると、ロングダガーを両腰の鞘に納めたイオルクが立っていた。
(コイツは、何をしたのだ? あんな至近距離に近づくまで、敵が私に気付きもしないなどと……)
鋭い視線を向けるティーナの目の前には、いつも通りの緩い顔が張り付いたイオルクが居るだけだった。暗殺者がイオルクに目を奪われていたとは思えなかった。
「ユニス様は無事です」
イオルクから出た言葉で我に返り、ティーナは何を優先すべきかを思い出す。
「そうか……助かったぞ。よく姫様を守ってくれた」
「隊長こそ、早かったですね。暗殺者の話では足止めされているはずだったから、もう少し時間が掛かると思ってました」
「あれか……」
ティーナはフンと鼻を鳴らす。
「私の足を止めるには、少々役不足のようだな」
「……はは」
イオルクは笑いながら肩を竦める。
「ユニス様が隊長を信じているわけが分かります。頼りになり過ぎです」
「そ、そうか?」
ティーナは照れ隠しするように咳払いをする。
「――それより、姫様を」
イオルクは頷くと、ティーナを連れてユニスの部屋の奥まで走る。
部屋の奥の壁際を見たティーナが言う。
「壁を背にして机の中に隠したのか」
「ええ、ナイフでも投げられたら防げませんから」
イオルクは壁に押し付けた机を引っ張り、中を覗きこんだ。
そこには丸まるように自分を抱いたユニスが、困ったような顔でイオルクを見上げていた。
「ユニス様。もう、大丈夫ですよ」
手を差し出すが、ユニスは手を差し出さず、立ち上がろうともしない。
一向に出ようとしないユニスに疑問を抱いたが、やがてイオルクはニッコリと笑い、しゃがみ込むとユニスを胸に抱える。
「な、何をしている⁉」
無礼極まりない行動を叱責するティーナを無視して、イオルクがユニスを抱き上げると近くにあった椅子に腰掛けさせた。
ユニスは恥ずかしそうに両手の人差し指をつつき合わせながら、立てなかった理由をポツリと溢す。
「……腰が抜けたみたいです……」
その言葉を聞いてティーナはホッと息を吐き、安堵した笑みを浮かべた。そして、ユニスの視線に合わせて方膝をつく。
「御怪我はありませんか?」
優しく問い掛けたティーナの顔を見た途端、ユニスの中で我慢していたものが胸を競り上がって来た。ティーナの存在が本当に危機が去ったのだと認識させ、同時に自分のために死んでしまった者達への悲しさが込み上げてきた。
ユニスはティーナに強く抱きついた。
「姫様?」
長年傍らに居たティーナの腕の中だけが、十歳の女の子に戻れる場所だった。ユニスは身分を忘れて歳相応に泣き始めた。
それを見たイオルクは気を利かす。
「隊長。俺、事情を説明してきますね」
(ユニス様が守り抜いた覚悟を、俺が見て壊してしまうわけにはいかない)
イオルクはユニスとティーナに背を向ける。
「ユニス様のお召し物が汚れているかもしれません。ユニス様を連れて寝室へ行ってください」
そう告げると、イオルクは机の上の重りを持って部屋を後にした。イオルクの居なくなった部屋には静寂が残された。
ティーナはユニスを抱き上げ、寝室へと歩き出す。
「このまま寝室へ行きましょう」
ユニスは頷くと、ティーナに縋りつく。
「姫様?」
「……わたし達は勝ちました……」
震えるユニスの声を聴いて、ティーナは歩みを止めた。
「……理不尽なことに負けませんでした……」
腕から伝わる華奢な身体には、どれだけの恐怖が覆い被さったのだろうか。
震えるユニスを温めるように、ティーナは強く抱きしめた。
「よく頑張りました。御立派です」
「わたし一人の努力ではありません。あの場に居た、皆が勝利者なのです」
(あの場に居た、皆?)
ティーナは最初、ユニスとイオルクのことかと思った。しかし、たった二人を皆とは言わない。そうなると思い当たるのは、命を落とした鋼鉄の騎士二人だった。
「二人の騎士が時間を稼いでくれなければ、イオルクとわたしは死んでいました。その後、ティーナが駆けつけてくれなければ、また誰かが死んでいたと思います」
「姫様……」
「だから、あの場に居た、皆がノース・ドラゴンヘッドの未来をつなげた勝者なのです」
顔を上げたユニスの瞳から大粒の涙がポロポロと止めどなく溢れていた。
「わたしのために死んでしまいました……。彼らにも大事な未来があったはずなのに……」
強く目が閉じられ、ユニスの嗚咽が響いた。
「いくら勝利を手に入れても、失って帰って来ないものが大き過ぎます……。そして、数字でしか人の生き死にを見て来なかった自分が恥ずかしい……。ノース・ドラゴンヘッドの騎士達が戦う陰では、多くの未来が奪われていたというのに……」
ユニスは絞り出すように言葉を溢す。
「彼らの未来を守ってあげたかった……」
ユニスは声をあげて泣いた。ただ一人、本当の自分を見せられる人の中で……。
ティーナは腕の中で泣き続けるユニスに、そっと話し掛ける。
「私も言い表せない悲しみに泣いたことがあります。やりきれなくて、心の置きどころがなくて、どうしようもなくて……。死んでしまった、あの人はどうなってしまうのだろう……と悩み続けました」
ティーナは抱いている腕からユニスを下ろし、ユニスの長い茶色の髪を梳くように撫でながら話を続ける。
「私の出した答えは、皆の心の中に帰るのだということでした」
「……心?」
顔を上げたユニスに、ティーナは頷く。
「死んだ彼らを忘れない、私達の心です。だから――」
ティーナは、そっとユニスの頬に右手を当てる。
「――誇り高く死んでいった彼らを忘れず、尊んでください。姫様を守ろうとした彼らを誇りに思ってあげてください。それだけで彼らの心は救われる。騎士の魂は帰って来れる」
また大粒の涙を流し、ユニスは何度も頷いた。そして、気の済むまで泣き続けた。
そのユニスを抱きながら、この避けようのない死の辛さがユニスをまた王女として強くすることを願った。
――そこで、ふと思う。
(アイツは――イオルクは初めて見た死をどのように受け入れたのだろうか?)
……と。
鋼鉄の騎士の二人がユニスの心に大事な想いを残していったように、イオルクの中にも大事なものを残していった者が居るはずであった。
何故か、ティーナは振り向かずに背を向けて出て行ったイオルクの背中を思い出しながら、そのような疑問が浮かぶのであった。
部屋の前の廊下では、駆けつけていた数人の衛兵と別部隊の隊長にイオルクが事情の説明を始めていた。
そして、その日は調査や後処理で、イオルクとティーナは自宅へ帰ることが出来なかった。
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