陛下、そんな王宮つくれませんよ

コーチャー

第1話

「陛下、そんな王宮つくれませんよ」


 そう呟いてエリック・コーウェンは自分の失敗に気付いた。


 いくら小さなつぶやきとはいえ、陛下の意向に反する発言をしたのである。これが誰かの耳――特に陛下の耳に入っていればエリックの首は綺麗さっぱり胴体から離れて空を舞うに違いない。


 エリックは自分の声が誰にも聞こえていないことを祈り、伏せていた目をそっとあげた。彼がひざまずく位置から数段高い段上で得意げな笑みを浮かべた少女が座っているのが見える。彼女が組んでいた足をすっと組み替えると長衣の裾から真っ白な肌が一瞬見えた。エリックは見てはいけないものを見たような気がして、再び目を伏せた。だが、あの様子なら聞こえていまい、エリックはほっと胸をなでおろした。


「どうやら天才建築士と名高きエリック・コーウェンは余の要望が気にくわぬと見える」


 その声は幼い少女のものであったが、エリックの心胆を奪うには十分な冷たさと威厳があった。彼は背中から冷や汗が吹き出るのを感じながら声の主を見上げた。


 ――ルークラフト帝国第三代皇帝セシリア・ルークラフト。それが彼女の名前である。彼女を初めて見た人間はまずその線の細さに驚かされる。白く透きとおった肌にほっそりと伸びた手足。そこにだけ雪が降っているかのように寒々しい銀髪が、彼女を一見すると病弱に見せる。だが、その瞳だけは燃え盛る炎のように煌々(こうこう)とした輝きを放っていた。


「いえ、そんなことはありません。驚いただけであります!」

「そうか。余の望みは、天才建築士が驚くほどの無理難題の類だというわけじゃな?」


 ひときわ優しい声でセシリアは言うと、「不満があれば申すがよい」、と厳しい声で切り返した。

 エリックはゆっくりと頭を上げる。セシリアの周囲は凍てついているかのように冷たく見える。彼女からエリックに向けられた瞳は剣の切先ほどに鋭く、羊皮紙程度であれば見るだけで切り裂けそうであった。


「不満というわけではないのですが……」


 歯切れ悪くエリックが口を開く。


「不満がないじゃと? 貴様はさきほど言ったではないか。そんな王宮つくれませんよ、とな」


 彼女は語調を強めると細い腕を大きく振った。この細腕によって多くの多国が滅んだ。そのことを考えてエリックは恐怖した。彼女が皇帝となって四年、彼女はその手で多くの政敵や敵国を打ち破った。そして昨年、この大陸に最後まで残ったランベル王国を滅ぼした彼女は数百年ぶりの統一国家を築いた。ゆえに彼女こそがこの世界の支配者であり、中心なのである。


「それは言葉のあやと申しましょうか。些細な行き違いと言いますか」


 エリックは必死に言い逃れをしようとしたが、それは彼女の火に油を注ぐだけであったらしい。彼女は近くに控えていた老齢の従者から剣を奪い取ると、石床に向かって切っ先を突き立てた。硬質な金属音が王宮に響き渡る。


「エリック。余が求めていることはとても単純なことだとは思わぬか。あれよりも高い王宮を作れと申しておるのじゃ」


 セシリアは玉座のから見える狭い明り取りの窓を指差す。窓の向こうには彼女らがいる王宮をはるかに超える高さの塔がそびえている。第一号迷宮――双角の塔。それがあの塔の名前であり、いまから百年前に突如としてこの世界に現れた謎の建築物である。この巨大な建物は南と北に尖塔せんとうを持ち、それらは塔の中腹から角のように伸びている。そのためこの塔を見た人々は二つの角がある塔という意味を込めて双角の塔と呼んだ。


「貴様は余の望みを叶えます。ただそういえばよいのだ。そうは思わぬかロナルド」


 いきなり話を振られて、エリックのとなりで身を小さくしていた中年の男が肩を震わす。


「はい、まことにその通りでございます。わたくしめは陛下の忠実な臣下です。陛下の意向を叶えるためにいかなる苦労もいといは致しません」


 目を左右に揺らしながら答えるこの男の名はロナルド・ベーコンという。帝国学術院における建築学の顧問、それが彼の職務である。だが、かつては帝国最高の建築士とうたわれた彼もいまはエリックを筆頭とする若手の建築士に押され気味で大御所としての立場が揺らぎつつある。そのロナルドにとって新宮殿建設は願ってもない復権ふっけんの機会であった。

 だが、彼らに出された問題は並大抵のものではなかった。


「余は常々思っていた。どうして、大陸を統一し唯一不可侵となった余の宮殿よりも高い建物があるのかと。ましてそこに住まうは不死者の王じゃ。ゆえに余は命じようと思う。あの忌々しい双角の塔よりも高き王宮を建てよ」


 セシリアは高らかに手を掲げると、汚らわしいものでも見るように塔を睨みつけた。

 百年前に現れた双角の塔は、動く屍と呼ばれる怪物の巣窟そうくつであった。墓場から掘り起こされた死体のように腐った手足に光を写さぬ濁りきった双眸そうぼう。人間と同じように二足で歩きながらも言葉を理解せず、ただ動くものに反応する彼らは、手当たり次第に付近の人や家畜を襲った。これを憂慮ゆうりょしたセシリアの曽祖父であり、ルークラフト帝国初代皇帝となるモルドレッドは百人の仲間と共に双角の塔攻略を目指した。


 そして彼は多くの犠牲を出しながらも南の尖塔を攻略する。尖塔の頂上にはひと振りの剣が突き立てられていた。それは人知を超えた魔道具まどうぐであった。この世とありとあらゆるものを切り裂き、持ち主の魔力に応じて斬撃の長ささえ変える。人が作れるいかなる魔道具より強力なこの剣は神が作ったのではないかと噂され、そして神器――『神を切り裂く者』と呼ばれるようになった。


 神器を携えたモルドレッドは、動く屍を駆逐くちくしながら残る北の尖塔の攻略を目指した。だが、彼らの歩あゆみは頂上を目前にして止まることになった。それは塔の四十五階にいた。多くの動く屍が、心臓や脳を失えば死ぬの対して、それは魔法で燃やしても剣で心臓を貫いても復活した。繰り返し神器によって切り裂かれても何度でも再生し続けた。モルドレッドは三日三晩、これと戦いひとつの結論を出した。


 ――これを殺すことはできない。これはまさに不死者の王というべき化物である。


 死と再生を繰り返す不死者の王を殺すことはモルドレッドをしても不可能であった。だが、動きを止めることはできたのである。不死者の王を頭から切り裂いたモルドレッドは、不死者の王が身体をつなぎ合わせられぬようそれぞれを壁に打ち付けたのである。以来、双角の塔には不死者の王が囚われている。


 初代皇帝が殺せなかった化物が自分の住む王宮を見下す位置にいる。

 それがセシリアには気に食わないのである。


 だが、それは無謀というものである。エリックが知る限りこの世界で一番高い建物はセシリアが滅ぼしたランベル王国の大城壁である。だが、それでも双角の塔の十階分に満たない。モルドレッドが攻略した南の尖塔が四十八階であったことを思えば、ランベルの大城壁より約五倍は高い建物を作らねばならない。


「陛下、そんな王宮つくれませんよ」、とエリックがこぼしてしまったのはそれゆえであった。


「さてと、我が忠実なロナルドは新宮殿建設にいかなる苦労もいとわぬという。しかし、エリックは余のために働くことが嫌だという。どうしたものかな」


 手も持った剣を左右に揺らすセシリアの冷徹な瞳がエリックを貫く。初代皇帝から受け継がれる神器は、小枝を切り落とすほど容易にエリックの首をはね飛ばすだろう。彼は目の前に迫った危機を回避するために口を開いた。


「陛下! 私がつくれない、と申しましたのは未だに双角の塔の構造が解明されておらず安全が保証できぬからです。また、もしも双角の塔を超える王宮を建造してもその途中あるいは完成後に倒壊することがありましては、陛下のご安全や名誉に傷がつくと考えたからです!」


 もはやヤケであった。エリックは考えつく限りの言い訳をぶちまけた。


「……ほう。エリック、貴様はそれほどまでに余のことを想ってくれるというのか」


 心底驚いた、というようにセシリアが瞳を見開いたあと年相応の少女のように微笑んだ。エリックはこのような彼女の顔を見たことがなかった。それと同時に自分は助かるかもしれない、と思った。だが、それは次の彼女の言葉によって儚く消えた。


「よし、エリック。双角の塔の構造を調べることを許す。貴様に調査官に任じる。塔の仔細を調べ上げてくるが良い。それが終わらぬ限り、余の前に現れることを認めぬ。よいな」


 それは有無を言わせぬ一方的なものであった。


 こうして、エリックは調査のために双角の塔へ向かうことになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る