42.コウタと神無月(1)


 樹々が消え、空が消え、代わりに鈍色にびいろをした幾何学模様きかがくもようの世界が視界いっぱいに広がる。

 異次元世界を創り出す結界――。


「皆、無事か!」

 聞き慣れた声に、エナたちの金縛りがフッと解ける。「コウタ!」と三者三様の喜びの声を上げる。


 サラァサを引き連れたコウタは、謎の青年とエナたちの間に立った。

 青年の紅い目と、コウタの鋭い視線が交錯する。

 十秒、二十秒、三十秒――。周りの者にとっては永遠とも思える時間、二人は無言で見つめ合った。


 最初こそ青年に対し敵意き出しだったサラァサも、主の様子がおかしいことに気づき眉を下げる。

「……マスター? どうされたのですか。早く皆を――」

 手を上げ、従者の台詞をさえぎるコウタ。

 コウタの背中からは、殺気も警戒感も感じられない。あるのは、ただ。


神無月かんなづき君……」

 戸惑いに混じった、切なそうな、苦しそうな気配だけ。


「カンナヅキ……? まさか、コウタ。この男と知り合い、なの?」

「うん……彼は、

 コウタが小さくうなずく。――と。

「止めろ」

 青年――神無月が鋭く言葉を放った。


 エナは改めて二人を見比べた。確かに、髪の色は同じ黒だし、肌や瞳の色も、浮世離れした全体の雰囲気も、どこか似ていると言える。

 けれど本当に同郷ならば、この気まずい雰囲気は一体――。


 そのとき、天使が動いた。まるで慰めるように、神無月の肩に柔らかな手を置こうとする。

 神無月は全力でそれを拒否した。振り払うという生易なまやさしい動きではない。砕けよと言わんばかりに、天使の手を殴りつけたのだ。

 手負いの獣と同じ反応に、天使は少しだけ眉を下げ、あわれみの視線を神無月に向けた。嫌がる様子も、神無月から離れる様子もない。

 神無月は顔を逸らした。天使からも、コウタからも表情が見えないようにして、彼は言った。


「俺を見るな。消えろ」

「神無月君。君は――」

!」


 コウタの制止を振り払い、神無月はきびすを返した。コウタの結界を切り裂き、外へと逃げていった。天使もまた、彼の後を追って姿を消した。

 伸ばしていた手を力なく下ろすコウタ。やがて彼が指を鳴らすと、結界は静かに消滅していった。霧の谷の風景が戻ってくる。


「あの」

 うつむいたままのコウタに、イスナが遠慮がちに声をかける。

「大丈夫、ですか……?」

 コウタは答えない。悲痛としか言いようがない表情を目の当たりにしてしまい、イスナも、エナも、それ以上何も言えなくなってしまった。

(聞きたいことは山ほどあるけれど……こんなコウタの顔、初めて見た)


 すると、アトロがコウタの側に歩いてきた。彼の腰を軽く叩く。

「よく来てくれた、トランティア君。おかげで仲間は全員無事だ。ディスのことは、私の方でとむらっておく。君は先に、アルキオン君たちと一緒に宿に戻っているといい」

「先生……」

「今は休むときだろう。私たちも、君もな」

 アトロが口元を緩める。


 コウタは顔を上げ、「ありがとうございます」と礼を言った。エナたちにも感謝と謝罪をする。

「気遣ってくれてありがとう。それから、助けに来るのが遅れてごめん」

「……。ま、遅れたのは残念だったかな。せっかく私たちの成長した姿を見られるチャンスだったのに」

 エナは敢えて軽口を言った。

 ようやくコウタの顔にいつもの表情が戻る。

「それは本当に残念だったかも。でも、エナたちならきっと乗り越えられるとも思ってたよ」

 エナとイスナは顔を見合わせ、笑った。コウタの真っ直ぐな称賛に、少し顔が赤くなってしまったことを、互いにごまかすためだった。



 ――その後、全員でディスを弔う。


 ふと、サラァサが振り返った。霧の奥を見る。

「ねえエナ、イスナ。アンタたち、呼ばれてるわよ。あのでっかいヒトに」

 視線の先には聖獣とその子らが立っていた。てっきり姿を消したと思っていたが、弔いが終わるまで、律儀に待ってくれていたのだ。


 エナは首を傾げた。

「サラァサ。言葉がわかるの?」

「そりゃあ、私は魔界の住人だったもの。ああいう高位存在は身近だったわ。……ふむ。ついてこいって言ってるみたいね。アンタたちに、お礼として渡したいものがあるって」



 ――聖獣たちが案内したのは、美しい泉だった。わずかに白く濁り、水面からは湯気が出ている。

「……温泉?」


 一行が見ている前で、聖獣はゆっくりと温泉に浸かった。魔力の輝きが全身を包む。

 すると聖獣の身体から、はらり、はらりと体毛が落ちた。温泉の水分を吸い、生きているようにまとまり、絹布けんぷつややかさに変わる。


 聖獣は、温泉にひたした自らの体毛を軽くくわえると、エナの元までやってきて、それを差し出した。恐る恐る手にしたエナは、驚きに目を丸くする。

「綺麗……それに軽い。さっきまで温泉に浸してたのに、全然湿ってない」

「ほお。これは」

 カミーノが感嘆かんたんの声を上げる。


「すでに糸状にってあるな。聖獣にこのような人間の業が成せるとは、私もついぞ知らなんだ。神聖な、強い力を感じる。これは素晴らしい素材になるぞ」

「聖獣から採れた毛糸……まさか、こんな形で素材が手に入るなんて。イヴに見せたら何て言うかな」

 まじまじと聖獣毛糸を見つめる。


 彼女らの様子に満足したのか、聖獣は我が子を連れて霧の谷の奥に消えていった。

 


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