しょんべん通りのセントバーナード

橙 suzukake

     

 僕が、かつて住んでいた街には、「しょんべん通り」とよばれている辻道があった。

 道幅が狭く、街灯もほとんどない辻道で、1kmくらいの行程で名もない道と道とを結んでいる。道の両側は、ほとんど昔からある住宅で、人通りも車通りもほとんどない。


 「しょんべん通り」の名の由来は、誰に聞いてもわからない。僕が物心ついたときから誰もがそう呼び、僕もいつの間にかそう呼ぶようになった。

 おそらく、道すがら、立小便していく男が多いからだろうと予想されるし、おそらく、みんながそう思っているだろう。


 なにを隠そう、この僕も、数え切れない回数の立小便をしたくちだ。子ども心ながら“立小便は悪いことだ”とわかっていたし、それよりも何よりも“人に見られたら恥ずかしい”という気持ちはもっとあった。だけど、学校の帰りや、そろばん学校の帰りにその道を歩いていると、なぜか、もよおしてくる。

 「だめだ、だめだ。家までがまんするんだ!」

 夕陽に染まる西の空から目を離さずに300回くらい自分に言い聞かす。だけど、ついには・・・なのである。子どもひとりが半分だけ身を隠せる電柱の影に入る。そのときの最後の決断は、いとも簡単で浅はかな理由による。

 「ここは、しょんべん通りなんだから・・・」

 

 ほぼ、人には見られないけど、まれに、ある。

 辻とはいえども小さい交差点が幾つもあり、予想もしない小道から予想もしない通行人が突如現れる。横目でちらっと確認すると、夕陽で逆光になった黒い影が確かにこちらに近づいてくる。

 「かみさま・・・」と心の中で1回言って、なぜか足に力を入れ、背中を丸める。

 そういうシーンは、何回かあったが、なぜか、ただの1回もとがめられたことがなかった。アスファルトを静かに踏みしめる音だけが左から右へ救急車のドップラー効果のように後ろで聞こえるだけだった。僕が、子どもだったからだろうか、それとも、恥ずかしさに力が入った背中を見てくれたからだろうか。


 しょんべん通り沿いは、住宅以外には、小さい町工場、寺、パン屋さんがぽつんぽつんと1軒ずつあった。パン屋さんでは、学校で禁じられている買い食いを何回かした。髪の三つ編みみたいな形のパンにチョコを塗っているやつだ。それを1つだけ買って、白い紙袋から顔をのぞかせながら食べた。もちろん、そんなシチュエーションで食べるパンの味はいつも極上だった。

 小さい町工場では、スプーンを作っていた。その工場からは、規則正しい独特の機械音とNHKのラジオの音がいつもしていた。夏休みは、朝通っても、夕方通っても高校野球の実況が聞こえた。

 お寺に面したところでは、さすがに立小便をしなかった。これは、理由はいらないだろう。

 夜になると、数少ない電灯の一つがこの寺のお墓に当たっていて、いつ見ても、一番上の墓石が曲がっているように見えて怖かった。ちなみに、僕の“立小便ポイント”は、このお寺を過ぎたところにある電柱だった。

 

 その電柱の先に、この通りの唯一の鬼門があった。

 その家の小さな前庭に、セントバーナード犬が飼われていたからだ。もともと、犬は嫌いではなかったが、その犬は、あまりにも、巨大すぎた。僕は、小学校3年生くらいまでは、その犬がこの世の犬の中でもっとも大きい犬だと信じて疑わなかった。もちろん、僕自身の身長が低かったのは言うまでもないことだが、その犬は当時の僕にとって“馬並み”だった。

 僕が、その家の前を通るときは、九分九厘大きな声で吼えられた。まるで、足音が僕だとわかっているかのように、僕の恐怖心を最初からわかっているかのように、その家の5m手前ぐらいにさしかかったときから吼えるのだった。

 最初は、びびってよけていた僕だが、小さい自我が「ふん、おまえに負けてられるか!」というたわいもない意地を生み出し、僕はどんなに吼えられても何食わぬ顔で小さい道の真ん中を歩いて通り過ぎた。僕が通り過ぎたあとは、「ウゥー」と低いうなり声を出した。

 残り“一厘”は何かというと、犬が不在のときだ。おそらく、主人に散歩に連れられているんだろうと思われるが、不思議と、その犬が散歩をしている姿を見たことがなかった。また、そんな場面に出くわしたくもないとも思った。

 

 ある日の夕方、僕は、心の中で股間を押さえながら、おそらく、内股で歩いていた。いつものように、もよおしていた。何度も「だめだ、だめだ。家までがまん、がまん」と言い聞かせながら歩いていたが、その決心はいつものように「あの電柱までがまん!」に変わっていた。

 ほぼ、小走りで電柱に近付いたときに僕は愕然とした。仕事帰りらしい作業着を着た男の人が僕のポイントで立小便をしていたからだ。立小便の順番待ちなんて、さすがに子どもの僕にもありえないことだ。もうこうなったら、走るしかない。実際、家に走り帰って至福のときを迎えたことは何度かあった。

 夕陽に染まった西の空を瞬きしないで見つめながら走った。が、しかし、走り始めてからまもなく、僕は弱気の雲に覆われた。

 「ここから家まで、まだ1km以上もある。まにあうか・・・」

 僕は、立ち止まると同時に、あることに気がついた。


 「ほえられていない・・・」


 そう、さっき鬼門の家を通り過ぎたときにめずらしく吼えられていないことに気がついた。

 同時に、その家の庭のコンクリートの大きい塀が頭に浮かんだ瞬間、僕は逆走した。大きい塀をすばやく回って庭に入ると、すぐに僕はズボンのチャックを下ろした。

 いつもより大きい放物線を涙目で見つめながら僕は、至福のときを過ごした、はずだった。

 「ウゥーッ」

 低いうなり声が僕の後ろ3mぐらいから聞こえた。

 「う、うそ・・・」

 でも、間違いない事実であることは子どもの僕にも0.4秒後にはわかった。

 「ウゥーッ」

 僕は、決して振り返ることなくただ、放物線を見ながら祈った。

 「ほえるな!ぜったいほえるな!おまえがほえると、家の人が出てくる。でてきたらおしまいだ!」

 「ウゥーッ」

 「おい、はやくおわれ!なんで、おわらないんだ!」

 いつも以上に我慢していたせいもあって、本当にいつも以上に長かった。いや、長く感じただけかもしれなかった。

 用を済ませた僕は、ズボンのチャックも上げることなく通りに飛び出した。

 「ウーウワンウーウワンワンワン!」

 犬は、今までに聞いたことがないくらいのけたたましい声で吼えた。まるで、僕が用を足している間に息を止めてたかのように。

 「なに吼えてんの!だまりなさい!」

 ヒステリックな女の人の声があとから聞こえた。

 僕は半泣きで走った。それが怖かったからなのか、ほっとしたからなのか、わからなかった。


 翌日、僕は、いつものようにしょんべん通りを歩いて家へと向かった。いつものようにお寺を通り過ぎ、電柱を通り過ぎ、セントバーナードの家に差し掛かったら、やっぱり、いつものように大きな声で吼えられた。僕は、いつもと違って、しばらく、立ち止まり、セントバーナードに吼えられっぱなしになってみた。

 そして、心の中で「きのうは、ほえなくてありがとう」って言った。




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