第41話 瑠奈side
昨日は実家で家族三人揃って久々の夕飯と会話を楽しんだ後、父親に車で茉莉の家まで送ってもらった。夕飯の途中、父親に彼氏が居るのかどうか聞かれたが遠回しにはぐらかした。直後母に絞められしゅんとなった父親にはちょっとだけ同情した。
彼氏と言われても基本的に彼氏の話題は、友人達と少女漫画や恋愛小説の話題で盛り上がるだけで、自分の恋愛の事を聞かれるとなるといまいちピンと来ず、イエスかノーと答えるとなると答えはノー。ただし気になる人は···やっぱりまだ思い浮かばなかった。
父親は帰る前に茉莉と何か話をしていたが、疲れていて眠気が酷くすぐに部屋に戻ったので、二人が何を話していたのかはほとんど分からなかった。
―午前七時半・真宮家玄関前。
「おはようございます」
「お、おはよう」
インターホンが鳴らされたので玄関口のモニターを見ると、玄関の前に泪が立っていた。すぐにドアを開け泪を出迎えるが、一緒に確認した茉莉も怪訝な顔で泪を見る。
「泪君···」
「先生。大丈夫です、心配いりません」
不安げな表情をした茉莉に見送られ、二人は無言で通学路を歩く。先日芽衣子から翠恋の件も聞いてるので、なにかと声を掛けづらい。
「······」
早く何か話さないと学校に到着してしまうし、今さら黙っていても仕方がない。覚悟を決めて瑠奈は口を開けた。
「ちょっとだけ······話、いいかな」
「少し、なら···」
何故か迷ってはいたが、泪は受け答え自体はしてくれたのでほっとした。まだ自分の話を聞いてくれる。不安が残るが今を逃せば機会はない。
「うん」
例の一件もあってか、瑠奈も泪もお互いやはりぎこちなくなっている。少しして泪が意を決したか様に口を開けた。
「今回の護衛の件。お断りしようと思います」
「···そっか」
予想通りの返答が返って来た。茉莉も二人の関係がかなり不安定になっているのを大方把握している。
「これ以上瑠奈に迷惑を掛けられると困りますので」
「!!」
泪はあくまでも笑顔で答える。
しかしその表情とはまるで落ち着き過ぎて異質さすら感じる冷淡な口調から、勝手に心の中を覗いた事を相当腹に据えかねているようとも思った。
「私が力を使って心の中覗いた事···怒ってる?」
「その件は気を使わなくて結構です」
泪は心の中を覗いた事を気にしていないと言っているが、絶対嘘だ。
それすらも笑顔で言ってのけるとは全く持って恐ろしい。精神を覗かれた事を気にしていないなら、覗いた張本人である自分など気にも止めない筈。少しの間を置き、意を決して瑠奈自身が思っていた事を口に出した。
「お兄ちゃんは·········死にたいの?」
「そうですか·········。
·········やっぱり知ってたのか」
遂に言い放った言葉に対し泪は態度を豹変する。その目の前の泪の顔は瑠奈ですら見た事がなかった。
暗闇を思わせるかの様に暗く凍てついた眼差し。誰も、何も写していない空っぽの表情。これが本来の『赤石泪』なのか。
「どうして···死にたいの? し、死にたいにも···理由がある筈」
泪を刺激しないように慎重に言葉を選ぼうとするが、泪の冷たく無機質な表情を見れば見るほど上手く言葉を伝えられない。
「心の中を見たのも、ある···それ以上に、もっと···何か、隠してる気がして」
「だから?」
泪は瑠奈を真っ直ぐ見ている。だがその無機質な目に瑠奈は写していない。凍り付いた泪の目には一体誰を、何を写しているのだろう。
「ううん。私が聞きたいのは」
「だから?」
「······お兄ちゃんの本当の望みは何? もし、望みを叶えられるなら」
「僕の望みは叶わない。僕の望みは誰にも叶えられない。僕の望みは誰も望まない」
望みは叶わない? 自分の望みは誰も望まない? 泪の望みは誰にも叶えられないとはどういう事なのだ。
「何戯れ言を言っているのです?···ここまで僕を追い詰めたのは元々は瑠奈が原因ですよ」
追い詰めたのは自分が原因? 泪は一体何の事を言っている?
「貴方にとって『きょうだい』なんて、誰でも良いんでしょう。自分さえ良ければ男性だろうが女性だろうが、無垢の皮を被った薄汚い笑顔で一片の罪悪感も感じず誰彼利用出来る。それが貴方」
「な······なに、言って······」
今、泪の言っている言葉の意味がまるで分からない。泪は自分の何を知っている?
「まぁここまで言ってしまった以上、話しておく必要がありそうですし···―」
「!?」
次の瞬間。
瑠奈の脳内に泪の記憶と思わしき思念が、氾濫した川水の様に一気に流れ込んで来た。
―三年前・A学園。
「死んじゃえ!! 生塵は死んじゃえ!!」
泪の学園生活はまさに地獄だった。
学校では宇都宮一族の息の掛かった教師達を含めた、全校生徒全教諭による学園ぐるみでの壮絶な迫害行為。
生徒達はカンニングや授業妨害の些細な失敗ですら泪に全てを押し付け、教師達は生徒達にとって都合の悪い事態は何もかも泪に擦り付けた。泪が何かを行えば全て周りの生徒や教師達の手柄となり、泪には何も与えられる事はない。与えられるのは人を人とも思わぬ迫害と差別罵倒の数々。
そしていつもの施設に戻れば『研究材料』としての死すら厭わぬ、非人道な人体実験と過酷な戦闘訓練。学園でも施設でも泪の身も心も何もかもが蹂躙され、泪の世界には安らぎも居場所すらも存在しない。泪の視界全てそのものに地獄が広がっていた。
「なんで生塵が息してんだよ!! 生塵の臭いがしてくせえんだよ!!」
「生塵が学校に来るんじゃねぇよ!! さっさと死ね!!」
「ああ臭い臭い!! 何でこんな生塵の指導なんてしなきゃいけないのかね!?」
「死ね! 死ね! 生塵は死ね!!」
「この場所に生塵の居場所はないんだ!! 早く死ね!!」
「何故君の様な汚い生塵が、この清く美しく正しき清廉なる場所で悠々と生きているのかね!! 生塵なんだから早く死になさい!!」
「死ねよ生塵!! 生塵はさっさと死ね!!」
「生塵は死ね!! 生塵は死ね!!」
「死んじゃえ!! あんたなんか死んじゃえ!! 生塵は死んじゃえ!! 死んじゃえ!!」
「死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!!」
言葉の暴力、道具を隠される嫌がらせなどは至って軽いもので、時に複数に暴力を奮われる。刃物で切りつけられる。花瓶や机を投げつけられる。男として屈辱的な扱いを受ける。階段から突き落とされるのも日常茶飯事であり、泪個人の人権など学園の何処にも存在しない。
生徒としても人間としても扱われず、学園での赤石泪はただの『生塵』として存在する。いつ殺されるか分からない生き地獄の中、丁度二年になる時泪は瑠奈と再会した。自分を『人間』として、『赤石泪』として見てくれたたった一人の大事な存在。
その一筋の小さな希望すらも簡単に打ち砕かれる。再会した瑠奈は醜悪な笑みを浮かべ泪に告げた。
「···お兄ちゃんなんか死んじゃえ」
瑠奈の言葉で泪は確信した。結局自分は『瑠奈にすら必要とされていない生きていてはいけない人間』なのだと。
【僕は死ぬ】
その日から瑠奈による泪へのいじめは激しさを増す。瑠奈は事あるごとに、些細な事で癇癪を起こしては泪に暴力を加える。
肉体的暴力などは当たり前で、一番多いのは泪の存在全てを否定すると言わんばかりの精神的苦痛。瑠奈から泪へ愛を与えられる事は何一つ無かった。
「死んじゃえ!! 死んじゃえ!! 死んじゃえ!! お兄ちゃんなんか死んじゃえ!! お兄ちゃんなんか死んじゃえ!!」
瑠奈には愛する人がいた。瑠奈が愛しているのは一人の少女。瑠奈が世界で一番愛しているのは高潔なる薔薇の少女。瑠奈が本当の意味で愛しているのは、誰からも愛される美しき暁の薔薇の少女ただ一人。
【僕は死ぬ】
「なんであんた生きてるの!? さっさと死ねば良かったのに!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死ね!! 死んじゃえ!! お兄ちゃんなんか死んじゃえ!! お兄ちゃんなんか死んじゃえ!!」
叩かれる。踏まれる。殴られる。蹴られる。切られる。突き落とされる。首を絞められる。それでも瑠奈が幸せになるなら何度でも痛みに耐える。
「私ね···――ちゃんが好き。――ちゃんが大好きなの!
――ちゃんは私を愛してくれる! ――ちゃんは私の全て。私だけの――ちゃん···私は――ちゃんが大好き! 生まれた時からずっとずっと――ちゃんが大好きなの!
私は――ちゃんが大好き! 大好きっ! ――ちゃんが大好きなの!
······だから、あんたなんか大っ嫌い」
泪は耐え続ける。
自分のせいで瑠奈が不幸になるなら、何度でも瑠奈が抱える自分への憎しみを、この身の全てを持って受け付ける。
【僕は死ぬ。僕は死ぬ。僕は死ぬ】
何よりも瑠奈が愛しているのは『赤石泪』ではなかった。
瑠奈が世界で一番愛しているのは······―。
―···。
「······ぁ······う···嘘、だ······私·········」
「······」
泪の精神の中の記憶を見て、顔面が真っ青になる瑠奈に泪は何も答えない。今も無機質な目で瑠奈を見ているだけ。
「わ、私、が······お兄···ちゃん、を?」
「ええ。瑠奈が僕を『そう言う風』にしたんです」
泪の言葉が理解出来ない。自分が泪をこんな無機質な人間に変えてしまったと言うのか?
「僕は『生塵』です!! 『生塵』に感情も愛情も哀れみも必要ありません!!」
「―っつ!!」
瑠奈は反射的に泪の頬をひっぱたいていた。
「ぁ·········ご、め···」
頬を叩いた音で我に返った次の瞬間、瑠奈は茫然と泪の頬を叩いた右手を見ていた。
「···もう大丈夫です、ごめんなさい」
泪ほそれ以上はもう何も言わなくていいと言うばかりにその場を立ち去って行った。感情の篭っていない無機質な謝罪。
「······お兄ちゃん」
本当に謝るべきなのは自分の方なのに。自分が泪を追い詰めた、泪に『死』を決意させたのは紛れもなく瑠奈。それでも泪は積極的に自分を追い詰める。
最早泪にもう自分の声は届かない。泪は目的を果たすまで···『自分が死ぬまで』前へ進み続ける。泪が去る直前、瑠奈は泪の呟きをはっきり聞いた。
【···僕は死ぬ。僕はどんな手段を使おうともこの世から消える。
·········誰の邪魔もさせない】
誰よりも近くにいる筈なのに、ずっと遠い世界に居る人間の気がした。
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