ぶらっくあうと

 結局、優れた冒険者たちの嗅覚というものは舐めるべきではないという事が今回はっきりと実証されてしまったというのが俺の感想だ。

 授業料としてはまったく割に合わないものだったが、この世界においては比較的マシな類だと言われた。少なくとも俺自身に被害があったわけではなく、何かしらの賠償責任が発生する類のものではないからだ。


「急げ、術師はまだか!」


 被害らしい被害と言えば、俺の一張羅が一枚駄目になった。袖口からブチっと切り落して今は右腕だけ外に露出した状態でボケっと座り込んでいる。


「失血がひどい、早く造血剤持ってこい」


 あぁ、造血剤なんて言う概念がこの世界にもあるんだ。

 ボケた考えであるのは確かだが、目の前で繰り広げられる緊迫したワンシーンを他人事のように眺めるしかできない俺には他に何を思えと言うのだろうか。


「おい、リク。お前は大丈夫…じゃなさそうだな」


 降りかかる声に視線を合わせる行為すら面倒だ。

 どこか安心させる、耳の通りがいい低音で何やら話しかけてきているようだが、脳がその内容を理解することを拒んでいるようで右から左で何を言っているのか分かりはしない。


 内心、鬱症状も末期まできたもんだなぁ。と比較的落ち着いた感想を持っては見るがこれが精神内の分離症状であって、決していい状態ではないことを俺自身が一番良く分かっている。

 この状態にまで落ち込んでしまうと、自分の意志で俺の体を動かすこと自体が難しくなってしまうのだ。自立呼吸するただの植物人間一歩手前の疑似的な廃人状態と言ったら通りが良いだろうか。


「…はぁ、すまんな。リク」


 そんな謝罪の言葉だけ耳に届くや否や、俺の意識はブラックアウトした。




「やれやれ、ギルドうちはエースを一枚失って得たもんはみーんな領主行。こいつのおかげで辛うじて死ぬこたぁなかったが、こいつらの状態見て指名抜けを申し出る奴らが続出だ」

「リクはともかく、リーラは衝撃だったようですね」

「あぁ、お人よし過ぎたが腕は確かだった」


 少しは心の中が整理されていたようだ。どれだけ寝ていたのか分からないが少なくとも会話が耳に届いてそれが理解できる。


「…さて、リク。お前起きてるだろ?」


 一流の人間を前にしては狸寝入りも見逃してはくれないようだ。

 全身を包む倦怠感を何とか振り払い、瞼を開く。たったそれだけの行為がとてつもなく重く、体力を削り取る。

 目の前にはなんとなく想像は出来ていたが、ギルド長とジェイドさんが並んで座っていた。二人も決して暇な人間ではないはずだが、それだけ今回の事態の重大性が高いという事なんだろう。

 背中の硬い感触を後ろ手で押し上げながら体を何とか起こす。


「よぉ、ルーキー。それじゃあその姿なりの説明をしてもらおうじゃねぇか」


 映画で出てくるマフィアのドンそのままだなと思う姿ですごんでくるギルド長。

 俺は周りを見回しながら、見たことのない空間にギルド内の執務室あたりなのかと考えを散らす。重厚な机に古めかしい書架、装備の一部と思われる鎧らしきものが飾られ、一際大きな大剣がこれ見よがしに置かれているところとかはまさにファンタジーの世界の一コマと言えるだろう。

 最後に自分の体に視線が戻ってくる。

 どうやらソファに投げ出されていたらしい。いつ作られたかわからないが、飴色に光る革張りの物で現代社会向こうでも手を出せない代物なんだろう。欲を言えばベッドで寝かせて欲しかった。


「リク?仕事の時間だ。今の状況が分かるか?」


 ジェイドさんの声が頭にガンガンと響く。

 そう、社畜サラリーマンは何があろうと、仕事は仕事。体調は二の次、私事は後回し、最優先は会社指示…

 いやいや、そんな考え異世界こっちではいらんし!


「いやいや、ジェイドさんその言葉禁句ですよ」


 少しだけ明るく、広くなった視界にほんのわずかに通った思考回路を総動員して、今の自分の状況を考え始める。


俺はなぜここにいる?

 それは仕事から町に戻ったから

俺はなぜここにいる?

 町に戻ったと同時に意識を失ったらしい

オレはなぜここにいる?

 ギルドの人間が状況を知りたがっているから

おれはナゼここにいる? 

 オレに何かキキタイ事があるから


「リク?」


オレは何故ここにいる?

 それは仕事で町の外へ行っていたから

おれはなぜここにいる?

 りーラはどうした?

おれはな


「おい、ルーキー?」


 俺の服は普段の仕事内容から汚れの種類が樹木や草木の子擦れによる汚れが多い。暗色系の緑に近い形で染め上げられた服を作業着としてよく来ている。


俺は何故ここにいる?

 オレは何故ここに居られる?


「おい、大丈夫か!リク」


 服は誰かが貸してくれたのか黒に染められてはいるが、デザインは俺が持っているものに近い。少しマダラに染められている辺りは迷彩効果を狙った物なのか単なるファッションなのか。大胆な装飾に…


おれはなぜここにいる?


 現実逃避もそろそろ限界だ。


「……ぁ、ああああああああああああああ」


 随分とうるさい声だ。

 近所迷惑にもほどがある。


 ジェイドさんやギルド長もため息交じりに首を振っている。


「もう少し寝てろ」


 そんな声とともに俺の視界が再び途切れた。




 二度目の目覚めはそれなりにハッキリとしたものであって、前回のように自分の考えと操縦がバラバラになっているかのような感覚もない。いたって正常だ。

 そして正常であるが故に気が付いてしまう。


 俺の着込んでいる服は少なくとも二日間は着っ放しの状態であって、少なくとも誰かの物を着込んでいるわけではないという事。そして、ギルド長たちの手を煩わせてしまっている今の状態が自分にとっても町にとっても非常にヨロシクない状態であること。


 周りはすでに真っ暗で、現代社会向こうの様に便利な電気のスイッチなんてものは存在しない。漏れ聞こえる人の声にまだ夜を迎えて然程時間が経っていないことを知る。


「……リーラ」


 染め上げられた服を見下ろして、自分の中ではつい先ほどの事を思い返す。

 リーラは優れた冒険者だった。だからこそ、今回の件で自分の嗅覚に引っかかるものがあったのだろう。


『走れ!リク!!』


 言う前にまず自分の事を考えろと今更ながらに思う。

 何処までも人間離れした能力を持った女冒険者として、俺の味方で居てくれた。ただ、如何せんリーラはお人好し過ぎた。

 差し迫った状況の中で、自分よりもまず同行者の離脱を一番に行ってしまった。


「よぉ、リク。ようやく目が覚めたみたいだな」


 ジェイドさんの声がようやく落ち着いて耳に入ってきたと思った瞬間に、俺の視界は土砂降りの雨よりも酷い状況で回りが何も見えなくなっていた。


「あ~、なんつぅかようやく人っぽい表情に戻りやがったな」


 だみ声が降ってくる。

 最近この二人いっつも一緒だよな。


「きっちり話してもらうぞ?ルーキー

 ちゃんと回復術士も連れてきてやったから、とりあえず治療を受けろ。代金はお前からの報告で賄ってやる」


 顔を上げると、濡れそぼった世界に人影が三人ほど逆光の中真っ黒のままで立っていた。

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