【日記の外の話5】 詩人と来訪者と観察日記

 オルカとの面会を終えた次の日。アルディスは実家に帰るため荷物をまとめていた。


 王都から離れている実家にアルディスは滅多に帰らない。

 親も貴族にしては放任主義なのか、長男ではないアルディスは割と好きにさせてもらっている。

 とはいえ、今回アルディスが巻き込まれた件は彼の実家にも届いているだろう。さすがに、何も報告しなかったら怒られる。

 ということで、アルディスは王女脱走事件の報告するため、帰郷の準備をしている最中だった。


「(勇者関係は身内にでも喋れませんから、王女の暴走に巻き込まれたで、話は通しますかね。嘘はついてませんし……。魔剣の話は言っても別に構わないとは思いますが、はたしてあの見た目を説明して信じてもらえるかどうか……)」


 ――とんとん。


 アルディスが報告の内容をあれこれ考えていると、ふいに扉を叩く音がした。

 旅行用の荷物を一旦机に置き、アルディスは来訪者を確認するため扉を開ける。

 ――そこに立っていたのは、一言でいえば男装の麗人だった。


「お初にお目にかかります。僕はジル=エーレンフリート。しがない作家をしております。どうぞお見知りおきを宮廷詩人殿」

 そう言って微笑む姿は、大輪の花の様な華やかさだった。


 切れ長の瞳は薄い赤色。柔らかそうな銀の髪は短髪にカットされている。

 男性物の上品なコートを身に纏い、立ち居振る舞いは紳士的だ。

 中性的な顔立ちに一瞬性別に悩むが、声の高さで女性と分かる。黙っていれば気づかない人もいるだろう。


「ああ、お噂はかねがね」

 その名前を聞いて、アルディスは目の前の人物の情報を思い出す。

 最近人気が出てきた小説家の名前だ。

 アルディス自身は未読であったが、ご婦人方が集まるサロンに呼ばれた時に、よく耳にしていたので名前だけは知っていた。


 彼女の書く本は恋愛小説がほとんどで、女性からの支持が多い。

 そして、サロンでジルの話題が出ると、本の感想と同じくらいの熱量で彼女自身について語られる時もある。

 作家本人も大変人気がある方なのだな、と思っていたアルディスだったが。

 実際にその麗しい姿を見て、なるほど人気になるのも分かります。と、アルディスは心の中で納得していた。


「で、ジル様は私に何か御用ですか?」

 今のところ特に接点のない相手の訪問だ。アルディスはとりあえず要件を聞くことにした。


「うーん。ジル様とかつけられると照れくさいですね。私はこれでも貴族じゃなくて商家の出ですから。ジルさん。もしくはジルとお呼びいただいても構いませんよ! まあ、父は一応爵位持ちですけど、それでも貴方のご実家の地位よりは当然低いので問題ありません!」

 結構喋る人だな。と、ジルのクールな印象を若干修正しつつ、アルディスはジルの申し出に緩く首を振る。


「いえ、私は実家を離れて詩歌の道を行くものですから、そんなかしこまらなくてもいいですよ。ジルさん」

「え、そうですか? いやー、それではお言葉に甘えさせてもらおうかな。最近貴族の方に呼ばれる事も増えたんですけど、まだまだ慣れなくて、緊張してしまうのか城から帰ると凄い疲れてるんですよね。まあこれも勉強と思い精進するつもりですが。あ、アルディスさんは城に勤めて長いんですか? もう慣れました?」

「あの、ご用件は……?」

 このままでは世間話で終わってしまいかねない。

 アルディスはそれそうになった話を元に戻すべく、再度疑問を口にした。


「あ、申し訳ない。実は、挨拶しておこうと思って」

「挨拶、ですか?」

 ジルの答えにアルディスは首を傾げる。

 何故、今この時にわざわざ挨拶に来るのか。その理由がアルディスには思い当たらなかったからだ。


「ほら、あの勇者を作る話があるじゃないですか。アルディスさんも英雄譚を歌わなきゃいけないんですよね?」

「! ――その話をどこで!?」

 ジルの答えに、アルディスの表情が一気に硬くなる。


「(まだ、一部の人しか知らない情報を何故、ジルさんが!? どこかで情報が漏れたのでしょうか……)」

 ジルは入城を許可されているとはいえ、新参者であり上層部と一部の関係者しか知りえない英雄譚作りを知る立場では無いはずだ。

 そんなアルディスの動揺には気づかず、ジルはにこにこと楽しそうに答える。


「どこって、貴方と同じ謁見の間ですよ」

「謁見の間! ということは、貴方も女王から直接聞いたのですか? 英雄譚の事を?」

「そうです! さっきまで謁見の間にいたんですけど、あんなえらい人達に囲まれるの初めてで、いやもう凄く緊張しましたよ、本当」

 胸に手を当て息をつくジル。それに対しアルディスは自分の部屋にわざわざ挨拶に来た理由に少し納得する。


「なるほど。しかし、そうなると貴方も何か英雄譚作りに関わるということですよね?」

「はい。いや、正直驚きましたよ。こんな話、よく僕に依頼したなって。これでも僕はしがない一般人だからこんな国の一大事に関わるとか、さすが不安なんですよね」

「分かります! こんな話、にわかに信じられないですよね。勇者が必要になった経緯とか特に!」

「そうそう! さすがに殿下のした事とか、作り話かな? とか、思ってしまって……」

「そうなんですよ。私も何のご冗談かと……!」

 突然関係者が増え、最初驚いていたアルディスだったが、ジルも自分と同じ巻き込まれた側だと分かり、すぐに警戒していた心が緩んでしまった。愚痴が言える仲間が出来た! と、嬉しい期待も出来たからかもしれない。


「それで、ジルさんは何を頼まれたんですか?」

「そりゃあ、僕は作家だからね。本の執筆さ!」

「……本の執筆?」

 急に反応が悪くなるアルディスに、ジルは不思議そうに首を傾げる。


「あれ、聞いてません? ほら、貴方が記録した勇者の観察日記を元に本にするって」

「え、ええ。聞いてます」

 女王との謁見後に侍女が直接部屋に来て伝えてもらったことをアルディスは思い出しながら頷いた。


「その本の執筆担当がこの僕ってわけですよ!」

 にっこり笑って放たれた言葉に、アルディスは頭をガツン、と殴られた気持ちになる。


「え……。し、執筆担当ですか……」

「正直、僕のジャンルは恋愛小説だから、いいのかなあ。って、感じなんですけね。まあ、王命とあれば逆らえませんよね。……どうしました、アルディスさん」

「は、はい。何か?」

「あの、凄い顔色悪そうなんですが」

「い、いえこれはちょっと、まあ気にしないでください。ははは……」

 心配するジルを受け流しつつ、アルディスは猛スピード情報の整理を始めていた。


 本を作るのだから、執筆者がいるのは当然だ。

 それなのに、何故自分は本を作る担当について全く考えなかったのか。アルディスは自問自答してみる。


 すぐに答えは出た。ここ最近そんな事考えてる余裕が無かったからだ。

 侍女からの報告の後、アルディスは観察日記に今後の不安と愚痴をぶちまけ、それからすぐにフェナ王女共に城を脱出。

 戻ったら戻ったで大魔女との面会が昨日の事で、やっと一息つけたのが今日なのである。


「(考えてみれば、観察日記を元に本を作るとなると書き手がいるのは当然の事。しかし、そうなると……)」

 恐ろしい事に気が付いたアルディスは、震える声でジルに話しかける。


「あの、ジルさん」

「なんですか?」

「観察日記を元に本を作るんですよね?」

「はい。アルディスさんもさっき聞いてると言ってましたよね」

「……観察日記を元に?」

「? そうですよ。ちなみに、最初は新聞で連載するのもいいじゃないかと話されてましたね。勇者の知名度アップが狙いなら、気軽に見れる物があるのもいいんじゃないかってね。僕もそれはだと思うので、賛同しておきました」

「つまり……観察日記を…………ジルさんもご覧になるという事ですか?」

「?? 見ないと元にできないですからね。そりゃあ当然ですよ」

 何故そんな当たり前の話を聞くのだろう? と、言わんばかりジルの答え。実際、ジルはアルディスが何度も同じことを聞いてくるのか理解できなかった。

 しかも、質問したアルディスはというと、それっきりうつむいたまま黙っているので、ますますジルは意味が分からない。


 うつむいたアルディスはというと、顔を真っ青にしてジルの言葉を頭の中でループさせていた。


「あの、王命でネタバレ禁止なので、他人に日記を見せないようにという話は……」

「ああ、聞きました聞きました! 執筆前の本の内容のネタバレなんて最悪もいい所ですからね。私も見たら口外しないようにって釘刺されましたよ! 一応、心配なら確認しますか? 王命ですから、本当に日記を見せていい人間か確認するくらい警戒するのが丁度いいでしょう。私は気にしませんので、是非クラウディア女王に直接聞いてください!」

 朗らかに言うジルに対しアルディスはとどめを刺された気分だった。


 ジルは観察日記を元に本を書く執筆者だ。

 つまり、王命によって他人に日記を見せないという言い訳はきかない。

 観察日記を合法的に見てもいい人物が現れた事実にアルディスは体が冷えていくのを感じていた。


 自分が、観察日記に何を書いたか。

 それは、書いた本人であるアルディスが一番知っている。

 そして、アルディスは一度でも本の執筆者について考えを巡らせなかった事を後悔していた。


「(何故、私は日記を元に本を作ると言われた時に、この日記を人に見せなきゃいけない存在を考えなっかったのか――!)」


 無言でいるアルディスにジルは不思議そうに首を傾げたり、様子をうかがっていた。

 それから、部屋の方へと視線を向けると、アルディスにさらに追い打ちをかける。


「で、アルディスさんってもう書いてるらしいじゃないですか、観察日記」

「ど、どこでそれを……!?」

 先ほど、英雄譚作りの時以上に驚きの表情を見せるアルディスにジルは少しびっくりしながら、話を続ける。


「日記を書いてるのを見たって、フェナ様を連れ戻しに行った騎士の方から聞いたんですよ。まだ、勇者候補なのにもう観察を記録してるなんて、よほど見込みのある人なんですか?」

「ええ、まあ。魔剣持ちの方なので……」

 半分正解で半分はずれのジルの問いに、アルディスは言葉を濁すしかない。

 先に勇者候補とは全く関係ない愚痴をストレス発散に書き散らして、観察した記録は後からなんですとは、アルディスは口が裂けても言えなかった。


「魔剣! 噂で聞きましたけど、王女と一緒に大立ち回りしたとか。凄く興味深い! その辺の記録って今見せてもらえたりします?」

「そ、それは……」

「? どうしたんです、アルディスさん?」

「いや、そのですね。何と言いますか……」

 しどろもどろで答えるアルディスを見て、何か感づいたのかジルがあごに手を当て頷く。


「ははあ、もしかして他人に話してはいけない事も書いちゃってます? 騎士団も動いたらしいし、何か重要機密的なこともあるなら一般人の僕がどこまで見るのって許されるのかなあ」

「! ――そうなんです! ええ、ですから少々お待ちいただけますか?」

 ジルの勘違いに、これ幸いとアルディスは荷物から日記を取り出すと、自分の机の上に日記を置き、一番最初のページを開いた。


 久しぶりに見る日記の一ページ目。

 それは、勢いで書いたのが丸わかりの乱れっぷりだった。


 その時の心境を思い出し、アルディスは少し気持ちが沈む。

 しかし、そんな場合ではないと暗い気持ちを振り払い、ある一文に目を向ける。


 それは、大きく段を空け、他の行より大きめの文字で書かれた一文だ。

 絶対他人に見せない覚悟のために残した呪文。


 先日、王女に見られそうになった時は、アルディスは首が胴体と離れるところだったと戦々恐々だった。

 あの時、勢いでなんてもの書いたんだろう。と、悔やんでも今更である。


 この日記帳は魔法の国がわざわざ作った日記帳だ。

 紙は最高級の物を使っている。水に濡らしても濡れないし、破ってもすぐに再生するように魔法が編み込まれている特注品だ。


アルディスは焦る頭でなんとか、ジルにこの一文を見せないようにするか考える。

 そして、アルディスは羽ペンにインクを付けると、その一文を丁寧に塗りつぶした。

 日記である以上インクをはじくような事はしない。黒いインクに上書きされて、文字はただの黒い染みになっていく。


 念入りに一文字一文字塗りつぶすと、今度はページを捲って書いていた裏側を開いた。

 裏側から透けて見える可能性も消すために、消した一文がある裏面の部分も丁寧に塗りつぶす。


 日に透かしたり、見る角度を変えてアルディスは何度も確認してみた。

 どう見直しても、文字は全く読めなくなっている。


 これで、大丈夫! と、アルディスは息をつく。

 ここまで塗りつぶせば、何を書いたか分かりはしない。

 偶然風でページがめくれるなんて事があっても問題はない。

 だって読めないのだから。

 アルディスは笑顔でジルの方へ振り替えった。


「お待たせしました。リエトさんが出てくるのは数ページ先なので、この辺からどうぞ。その前は大した事は書いていないので気にしないでください!」

 わざと前のページをめくってからジルに渡すアルディス。

 塗りつぶした個所に比べればましだが、紙いっぱいに書き散らした愚痴も見られたら恥ずかしいのは間違いない。


「おお! これが、噂の観察日記」

 わくわくとした表情で日記を受け取ろうとするジル。

 しかし、日記に触れると困ったようにアルディスに視線を向けた。


「えーと、アルディスさん。手を放してくれないと受け取れないんですが」

 自分から日記を手渡したアルディスは、何故か日記を持つ手を離さずにいた。

 ジルは日記を少し引っ張ってみるが、アルディスの手が緩むことはなかった。


「……くれませんか?」

「はい?」

 聞き返したジルに、アルディスは悲愴な面持ちでもう一度言い直した。


「永遠に受け取らないでくれませんか」

「んんん? 僕は突拍子もないこと言われた気がするんですが?」

「というかお願いします! 見ないでください!」

 最初の数ページだけ見せなければ問題ない。――と、思ったアルディスだったが。

 そもそも、自分の観察日記を思い返してみる。

 愚痴ばかりのページ以降、他のページは他人に見せて大丈夫だったか、と。


 自分の書いた内容を走馬灯の様に頭の中で駆け巡らせたアルディスの結論は、たった一つ。


 ――これは誰にも見せられない。


「そんな事言っても観察日記を元に本を作れって女王の命令が……」

「そこを何とか! 本当何でもしますので!」

「何でもと言われても……」

「もし、よろしければ。私が良くしてもらってるサロンのご婦人方にもジルさんの本宣伝しておきますよ!」

「それは、ちょっと心惹かれるけど……。えー、王命ですよ?」

「王命なんですけど、ここは私の命を助けると思って……!」


 今回の件で人生で初めて日記を書くこととなったアルディス。

 観察日記と日記は別であり、日記は他人に見せると黒歴史になる。と、今回のことで深く理解したのだった。 

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