来たるべき大麻と母乳のない世界

疎達川るい

前編


 西暦202X年。

 それまで蓋をされ、暗がりに置かれていた大麻草に光があたった。


 大麻草の有害性を見直そう、というムーブメントが起こっていたのだ。 

 大麻に関する科学的な検証が進むに連れ、これまでの大麻に対する規制が不当であったと認識されていく。

 そして先進諸国を中心に、大麻に対する締め付けは緩和されつつある。

 医療大麻のみならず、嗜好品も緩和されつつある世の中だった。


 このことは、大麻草に対し慎重な姿勢を見せていた日本国にも影響を及ぼし、大麻無害論者と有害論者が、データを根拠に持論をぶつけ合う。

 大麻草に対する世論も紛糾していた。


「母乳は大麻と同じ幻覚作用があり、子供の発育に悪影響!!」


 時を同じくして、国会でそんなことを言い出した上院議員がいた。

 そんな彼の発言を、みな最初は一笑に付した。


 それでも彼はフリップなどを用い、たどだどしく説明する。


「このように大麻成分のカンナビノイドは母乳中にも含まれるんですよ!これは科学的にも明らかな事実です!」

「でも、量的に影響はないでしょう?」


 みんな最初は取るに足らない主張だと思っていた。

 極論を言って世間の注目を集めるための、しょうもない演出だと。


「じゃあ影響がなければ赤ちゃんに酩酊作用のあるものを与えていいんですか!?」

「そうじゃないけど、母乳は人間本来の生態で……」

「赤ちゃんに大麻を与えてもいいと!?」

「そんな話はしてないでしょう」

「いいですか?大麻がダメ、というなら母乳も禁止すべきなんですよ!!」


 白痴みたいな主張を繰り返す議員。

 もう付き合いきれん……

 国会をあきらめムードが支配する。

 

「だからですね!部分的に母乳を粉ミルクに置き換える法整備をですね!」


 時の与党は単独過半数を超える政党で、イケイケムードの中、母乳を制限する法が賛成多数で可決された。

 そして乳児を抱える親に、粉ミルクの購入が義務付けられることとなった。

 これにより、法律で母乳による子育てに制限がかかったのだ。


「よくわからないけど、負担が増えるのはちょっとね……」

「おっぱい出ない時は粉ミルクがいいし、ラクになるかなぁ?」

「少しでも危険性があるなら、仕方ない部分もありますね」

「形だけ粉ミルクを買うだけでしょ?大したことないじゃん」


 テレビの街頭インタビューは、そう人々の意見を伝える。


 最初はみんな高をくくっていた。

 粉ミルクを与えなければいけないとして、たかだか数回に一回。全部が全部、粉ミルクになるわけじゃない。

 検診のときに粉ミルク代を計上されるけど、一ヶ月あたり数百円の負担が増えるだけ。生活にはなんら支障がない。

 このご時世に出産する世帯は、それなりの収入があるはず。たかが数百円くらい……

 だからみんな、関係ない、と。


 母乳制限法が制定されてから、製薬会社は粉ミルクの大量発注を受け、大幅に事業拡大。株価が暴騰し、連続ストップ高。

 同時に、その製薬会社と懇《ねんご》ろな連中により、金にものを言わせたロビー活動が始まった。


 この件で大儲けした連中から資金提供を受けた御用学者や大学教授らが、粉ミルクの有効性について論じ始める。

 粉ミルクのポジティブなニュースが、テレビや新聞を賑わせたのもこの頃。


『子供の脳機能の発達のため、カンナビノイドを含む母乳は与えるな!』

『乳児へ与えるのは、極力悪影響がないものを!』

『体重が大人の1/10しか無いのだから、麻薬成分ゼロに!』

『粉ミルクを使い、バランスのいい授乳を!』

『粉ミルクの量を増やして発達障害を予防!』


 思いつく限りの煽り。

 学術論文には大したペナルティがない。だから臨床データを捏造し放題。

 学位を取り消されてもいいような学者を鉄砲玉にして、適当な論文を発表させまくった。

 それをエビデンスに、粉ミルクを売りまくったのだ。


 それだけじゃない。

 粉ミルクの消費量と利益を共にする連中は、同時に母乳に対するネガキャン工作を始めた。


『母乳派は左翼』

『母乳派は異常者』

『母乳派は国力を低下させるテロリスト』

『母乳派は外国のスパイ』

『母乳派は外国に粉ミルクを売り渡す売国奴』


 ネット上で、まことしやかにささやかれる噂。


 それらがSNSを通じ、会社、学校、井戸端会議……などを通して広がっていき、文化人がテレビや著作の中で発言するようになる。

 それらの言論が定説となる頃には、『母乳派は悪である』という話が、いつしか『母乳自体が悪である』というイメージへすり替わっていった。

 

 こうして5年もしないうちに、母乳は完全に社会から排斥されるものへ変化していたのだ。

 それを行ったのは他でもない日本国民たち。

 母乳は、自らの手によって脈を断たれたのだ。





 母乳を失った世の中は荒れ放題。

 いや母乳そものではなく、母乳を与えることを含む〝 自由 〟が奪われたことが問題だった

 

 他者を攻撃する大義名分を得た人間たちは、大いに調子に乗った。

 「子供と国を守るため」と、母乳派を攻撃しはじめたのだ。

 街中で母乳を与えようとする母親を突き飛ばしたり、授乳室が焼き討ちされるなどの事態が日常茶飯事となった。


「お前、なんだその乳は!さてはお前、日本人じゃないな!?」


 巨乳を持った女性は『カンナビノイドにより赤子を堕落させる存在』として扱われる。

 堕落にいざなう悪魔であったり、国力を落とす反日勢力のスパイであったり……

 日本人の乳房にとって、受難の時代が訪れた。

  

「親の愛がそんなに危険なものでしょうか?」


 そんな世相を嘆き、キリスト教カトリックが中心となり、人権を重んじるリベラル派団体たちが母乳迫害に対する声明を出した。

 だが、宗教関係者だけにスポットを当てた報道により、『母乳派は宗教』 というイメージ操作が横行。世論が母乳に猛反発する口実を与えることに。

 反大麻、反母乳勢力のイメージ工作の前に、抗議行動は逆効果に終わった。

 結果として迫害に油を注ぐことに。


 しかし子を思う母の気持ちだろうか……そんな世の中に逆らうように、地下に潜った母親たちによる自然授乳が行われ続けていた。


 それら母乳派を迫害するのは、公権力と一体化することに快感を覚える“体制寄りのならず者”たち。

 『母乳は麻薬』と示唆する法律の後ろ盾を得た彼らの増長は、とどまるところを知らない。

 そして有志による過激な母乳狩りが行われるように。

 母親のみならず、家族や子供にまで被害が及ぶようになった。


 そんな攻撃性を顕にした連中から逃れるように、新生児を持つ母親をターゲットにした〝 授乳旅行 〟が流行する。

 若年層の貧困化……何十年も続く出生数減少……そんな過酷な政情にもかかわらず、苦労して産み落とした我が子ほど愛おしいものはない。

 その子供を安全に育てたい。

 なにより、愛し子へ授乳させたい。

 その一心で、子供を抱えた母親が外国大使館に詰めかける授乳難民、授乳亡命が多発。


「母乳中の酩酊成分の危険性には、なんら根拠がありません」

「今回のバックでは与党議員が特定企業に利益誘導している」

「政府は根拠のない母乳弾圧を煽っている」

「アホらしい話だが、これらはすべて真実である」


 そんな状況を鑑み、迫害された母乳授乳派……通称ボイン派が国連でスピーチを敢行した。

 スピーチは良心を持つ記者たちにより拡散され、世界の人たちの胸を打った。


 それを受けて、とうとう人道支援が介入した。

 母乳に関するWHO(世界保健機構)の査察を拒否し続ける日本政府に対しての、抗議の意味を込めて。

 そして日本各地に支援のための拠点が築かれ、母親のための基地となる。


 これに良い顔をしないのは、日本の〝 反大麻・反母乳派 〟たち。

 「自由に母乳を与えましょう!」と主張する彼らの姿は、反母乳派にとって大麻を擁護し、人々を堕落に誘う麻薬カルテルのように映ったのだろう。

 「母乳は危険」という自説を強化するため、とうとう「日本人の母乳は酩酊成分が多い」「ヘロインより危険」という言説まで聞こえる様になった。

 

 人道支援の基地の前には連日、義憤に駆られた反母乳派が詰めかけ、

 とうとうキャンプが襲撃される事態に。


 異様な事態。

 『人間のありのままの愛情を注いだだけで襲撃される』

 その異様な現象に、世界は恐れおののいた。

 

 世界各国から抗議の声が上がる。

 これに対し日本政府の見解は白々しいものだった。


「たしかに我が国は母乳の危険性を懸念してはいるが、今回の犯行に我々は関与していない。つまり日本国に責任はない」

「我が国は自由の国だから、一部の国民が勝手にやったこと」


 とシラを切り通した。


 政府のこの非論理的な見解に世界は大いに失望。

 反動として、母乳解禁の声は大いに高まることとなる。




……………

 つづく

……………

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