第90話

「うわぁ、広いのです」

一番早く丘の上へ駆けあがったギルリルが嬉しそうな声を上げた。

ギルリルの肩に手を置いて眺めると、今立っている丘の頂上部分の草地を除き、足許から遠方に至るまで、大森林というより樹海という表現が合っているのではないかと思うくらいぎっしりと樹木が生い茂っている。

「広さは見渡す限り、縦深は50キロといったところか」

「50キロですか?」

「ああ、森を抜けて南部の境界まで歩いて2日と言っていただろ」

「はいです」

「エルフと違って人間は森の中を走って移動したりしないから、普通は6行程歩いて宿営を準備する。つまり1日に移動する距離は24キロが標準だ」

ちなみに1行程とは50分で4キロを歩いて10分間休憩をすることを言う。

6行程しか歩かないのは、火種を持ち運ばない旅人にとって、宿営に必須となる火起こしが2・3時間はかかる重労働であるからだ。焚火なしに見知らぬ土地に宿営する無謀な者はいない。

「はいです」

「だから2日だと単純計算で48キロ、1行程伸ばしても52キロで、まあ、50キロくらいと概算できるんだよ」

「うわぁ、勉強になるです」

「まあ、それはいいとして、アリス」

「はい、お父様」

背後から少し艶を帯びた声がした。

「お前たちはここで離脱する獣人たちを援護するわけだが、敵に目端の効く奴がいたら、道路上の獣人よりもまずはこの丘を奪取だっしゅしようとするだろう」

「はい」

「この丘に取り付かせないように罠や障害物を十分に仕掛けろ。そしてそれらには必ず監視を置いて、獣人がかからないようにすることと、敵がかかった場合には魔法の火力で敵を覆滅ふくめつせよ」

「わかりました」

「それぞれの展望点でいかに長く敵を翻弄ほんろうできるかが、この作戦の要となる。だが必要以上に損害を出す事はない。敵が近接きんせつしたなら次の展望点まで一気に転移せよ」

「はい」

近接とは白兵戦の距離まで迫られることを言う。

アリス達は槍を使えるが、魔法の方が攻撃力が高い。

ここかしこに点在する丘は森林内の見通しこそ悪いものの、魔法なり遠距離射撃が可能な武器さえあれば道路を直接抑えられる位置にある。他に著名な目標がない以上、敵が保持すれば攻撃の足掛かりとなり得る。

敵が損害無視の人海戦術を採る可能性も視野に入れるべきだろう。

「よし、俺付きのアリス以外は作業にかかれ」

「はい、お父様」

大勢のアリス達は、まずは地形の細部を確認するため、丘の前面へ下りて行った。

「タマちゃんの方、大丈夫かなぁ」

ギルリルが少し不安げに呟いた。

無尽蔵な魔力量からして6万程度の獣人を作ったところでタマ本人に影響はないだろう。

ギルリルが心配しているのはおそらく集結地において計画通り反乱がおきるかどうかということだ。

起こってしまえばタマは首脳陣を連れて南部の国境に転移し、兵達は副官が率いて森林内の一本道を南下する。

反乱を聞き付けて討伐隊がやって来たならば、当面は獣人の仕事となる。

「大丈夫だよ」

俺はギルリルの頭に手を置いて髪の毛を梳くように撫でた。

計画は悲観的に緻密に作るべきだが、実行にあたっては楽観的に大胆に行うべきだ。

「さてと、あとはアリス達に任せて、俺達も南下するぞ」

「はいです」

俺の何も問題がないという表情を見て、ギルリルはすぐに楽しそうな表情に戻り、腰を落として脚を高く上げるというエルフスタイルの走り方で丘を一気に駆け下りて行った。

「いい女だよなぁ」

「はい?」

同意を求められたと思ったのか、アリスが意味をつかめずきょとんとした顔になっている。

「いや、俺の中でギルリルを再認識したというつぶやきだ」

「そうでしたか」

独り言だと言えばそれ以上突っ込んでくるアリスではない。

「ところでアリス」

「はい」

「俺はお前たちが意識を共有できることは知っているが、獣人たちとはどうだ?」

「できません」

「ここでの連携はどうやるつもりなんだ?」

「私たち魔物が獣人と連携するなどあり得ません」

「ああ、お前たちは集団戦を得意とするが、獣人は単独行動が基本だからか?」

「それもありますが、獣人はプログラムされた行動と闘争・生存の本能によって動きますから、私たちと調整攻撃するような知能は持ち合わせていないのです」

「そうか」

「でも、お父様、ご心配なく」

「ん?」

「私たちは個人を顔でなく生体魔力で識別します。この森の中にいる6万の獣人の生体魔力は全てつかんでいますから、彼らがうかがい知らないところで勝手に私たちの援護がなされることになるでしょう」

「なるほど、危なくなると勝手に魔法が降ってくるイメージだな」

「はい」

ここまで特性を把握しているのなら、下手に干渉せずにアリス達に任せた方が良いだろう。

あくまで敵の前進の遅滞を目標としているのであって、敵兵の数を無理してまで減らす必要はない。

「よし、任せたぞ、と他のアリス達に伝えておいてくれ」

「はい、お父様」


道路上に待たせていた馬車に乗り込むと、馬車はゆっくりと動き始めた。

「ギルリルは元気だな」

「はいです。エルフですから」

「森の人か」

「森の精霊と言ってほしいです」

「はは、悪かったよ、次期精霊王」

「きゃふっ」

ギルリルは精霊王と呼ばれることが嬉しいようだ。

「ところで、この戦い、最後まで見るですか?」

「いや、タマの状況を確認したら帝国に戻るぞ」

「はいです」

「ん? いやに素直だな」

「わかりますですよ。この大森林に国を作ろうとしているでしょ」

「鋭いな。ぶっちゃけそのための下準備を始めようと思ってな」

まあ、壮太を公爵としてこの大陸にエルフの国を作らせると公言しているので、結び付けるのはそれほど難しくはないだろう。

「何にせよ体力勝負になるだろうから、今のうちに少しでも寝ておけ」

「はいです」

ギルリルは素直に横になった。

俺は近くにあった毛布をつかみ、ギルリルにそっと掛けた。

ずっと俺のために休む暇のなかったギルリルに束の間でも甘露な夢が訪れるように祈って。








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