序章 第5話 黒い雨と○×△□ (1)




────この世界には神様はきっといない。

けれど、もしも居るとしたらどんなに彼は残酷なのだろう。


恨むことも、憎むことも、羨むことも、妬むことも、嘆くことも、憤ることも、さざめくことも、微笑むことも、喜ぶことも、愛することも。


そのすべてを私たちに諦めさせた彼の顔をいつか見る日は訪れるだろうか。




×××


ッザァーーー──────────



激しい雨滴が何もかもを無造作に一方的に打ちつける

黒にも近い鉛色の絨毯じゅうたんはまるで惑星ほしを独り占めするかのようにどこまでも

空を厚く覆っていた。


次第に雨足はより強くなる。

その勢いからは、一切の妥協が感じられず

大地の恵みと呼ぶにはあまりに乱暴だ。


ここは、とある研究施設の一角。

ぼうと呼ばれる透明なひつぎのような楕円形の容器が二百あまり配置された無機質な空間

容器の中には、異なる人種、性別、体格、能力の多種多様な人間が格納され

半透明な青色の培養液で満たされている。


空間内は厳重に管理されている。

それはたとえば、隅々に設置された異様な数の監視用カメラに始まり

空間内で起こった出来事、異変を感じ取る高感度センシングシステムや

ありとあらゆる環境を再現する拡張現実投影装置オーグメントリアルなど多岐に渡る。


そんな空間の中央から見て正面にある壁面のに何があるのか

房の中で静かに眠る者たちの大多数はそれを知ることはない。

この者たちが知っているのは、これから先に起こるであろう終焉のみだった。


×××


「はぁっ………はぁっ………」


長時間に渡り、降り続く雨は未だにやまずにいた。

暗雲は衰えを知らないといった様子で、無慈悲に太陽を隠し通そうとしている。

ここは施設からそう遠くない位置にある山道。

痛みすら感じるほどの雨粒の中を、目まぐるしい速度で駆ける一人の少女がいた。


「みんな………ごめんっ………」


息を切らしながら発する【みんな】に向けた小さな懺悔の言葉は

すぐに天の号哭ごうこくによって掻き消される。

それでもなお今は一刻でも早くあの場から逃げなければならなかった。

否、逃げずにはいられなかった。


しばらくの時間、からになりそうな力を必死に振り絞り進んでいくと

背の高い大木に囲まれた、こじんまりとした山小屋が視界に入る。

雑多な材木で作られた簡素な山小屋だったため、立地によってはこの豪雨により冠水しそうなものだったが、運よく被害を免れていた。


少しだけでいい。再度走るためには体力を取り戻す必要があった。

不躾ぶしつけであることを承知の上で休息のため中へ入ることにした。

外からの様相では、とても人が住んでいるような外観ではなかったので

無言で扉を開く───

建付けの悪さからか老朽化からか、ギギギッとぎこちない木のきしむ音が響いた。


『おや、珍しいものだ。こんな時間に客が来るとは。』


中から女性とも男性ともとれる中性的な声が聞こえてきた。

声の主は私を見るなり心配そうな顔をしていたように思う。


×××


薄ぼんやりとした橙色。瓦斯灯がすとうの明かりが優しく室内を照らす。

中央からやや右寄りに置かれた長テーブルは、四人が無理なく

座って食事ができるほど奥行きがあった。

その他にも基本的な生活に必要なものは一通り揃っている。

外観との印象とは打って変わって居住スペースとして申し分ない機能性を伺わせた。


「すみません…迷惑を承知で──」


『いいから、はやく入んなさい。そんな恰好では風邪を引いてしまう』


非礼を詫びてから、休ませてもらう旨の交渉を申し出ようとすると途中で遮られてしまった。

よほど今の姿が不憫ふびんに映ったのだろう、ひとまず目先の難を逃れた。


『寒かっただろう。とりあえず身体を拭いてこれを着なさい。』


そう言って、彼女は乾いたハンドタオルと私にとって少しサイズの大きい下着、深緑色モスグリーンのパーカーと黒いチノパンを手渡してきた。

私は撥水性もまるでない水の浸透しきったボロ布を洗い場で絞ってから

水分を拭き取り、渡されたものに着替えた。


お礼をしようと彼女の方へ目をやると、小屋の主はこちらの事情など構わずにあれやこれやと、ぼやきながらもてなしの支度を始めた。

断る理由も特にはなかったが、こちらとしては長居するほど滞在する余裕はなかった。


×××


あの場所から脱走して約3時間が経過していた。

現在時刻は………西暦2820年11月6日 午後10時25分。


アメリカ合衆国の西部、旧ネバダ州。

かつて臨界前核実験場が存在した位置には、より大規模な、核技術の発展とは異なる目的の実験を行う施設が合衆国新政権指導のもと建設された。


ここは、太陽系第3惑星とも呼ばれる天体。

豊富な資源を蓄え、多様な生物が生存できる恵まれた惑星だった。

だが、それも何百年も昔のことである。


ここ数百年の間にこの星は、重大な環境汚染や資源の枯渇問題などを中心とする

惑星全体レベルでの課題がいくつも取り沙汰されており、緩やかに滅びを迎えようとしていた。


星の危機に今こそ世界が結束をみせる時だと、国境の垣根を越えて各国の代表者を集めた主要国会議などを通じ解決案を随時検討している最中、力を持つ国々は水面下で、ある競争に、残り少ない貴重な資源を投入し事を推し進めていた。


『私の名前はテスラ。テスラ=イーライ。今は欧州連合組織直轄の総合秘密情報局を母体とする下部組織の諜報活動員。といっても、あなたには分からないわよね。』


テスラと名乗る彼女は、ハッキリとした口調でそう話した。

欧州連合…ということは、ヨーロッパから遠路はるばるこんな辺鄙へんぴな土地にやって来た…ということか。


『あなた。その、首筋にあるバーコードと識別ナンバーは……』


さすがは大きい組織の諜報員スパイ。ただで民間人を救うほどの善良なはずはない。

恐らくは最重要機密トップシークレットである施設の調査を依頼されてここまでやってきたのだ。

国防総省ペンタゴンは、特に機密性の保持優先率の高い研究施設を強力な箝口令かんこうれい

制空権、および広範囲に光学的な迷彩を敷いて漏洩ろうえいを防いでいる。


ただ、長距離に渡る悪路の中で複数の検問を突破し、地続きで来る諜報員がいようとは最新のユビキタスでも予見できないだろう。

それほどに無謀な行為であった。


「あぁ…これですか。よく気が付きましたね、さすがはスパイ。」


『施設内から逃げ出した者の方からこちらにやってくるなんて、この大荒れの天気スコールに感謝するべきかしら。』


「よくお調べになってるみたいですが…あいにく私は何も話せません。」

「国家の存亡に関わる重大な情報ですから。もちろん感謝はしていますよ、ですがそれとこれとは規格スケールが違いすぎる。」


そう私が伝えると、彼女は遠くを見据えるかのような深い眼をした。

明らかに先ほどとは空気が一変し、彼女の次の発言に注目されられる。


『私は…よく知っている。』


固唾を呑んで待機した、その末に沈黙を破ったのはたったの一言。

しかしその短い言葉には、私にしか感じることのできない

確かなる説得力があった。

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