君とのレガート
芳武順
Prelude
俺は自分が嫌いだ。中性的な顔立ちで、背が低く、声も高い。女の子扱いされることが多かった。そのせいで俺は、今まで苦しい生活を味わうことになった。だから自分が嫌いだ。
そして、こんなことを気にしているところが一番嫌いだ。
目的地に向かって歩いている俺は、たびたび足を止めて、普段持ち歩いているカメラのシャッターを切る。撮った写真は、瞬時に液晶画面に表示される。出来がよければにやつき、悪ければ口を結んで小さく頭を傾ける。
俺はどこかへ向かう時、目的地の最寄りから一つ二つ離れた駅で下車し、いい被写体がないか探しながら目的地へと歩みを進めることがある。それを、撮影散歩と呼んでいる。
周りを見渡しながら歩いていると、ズボンのポケットに入れた携帯が音を出しながら小刻みに震えた。メールの着信だ。差出人は、俺と同じ場所に行く予定の友達。
『何やってんだよ!もう着いてるぞ!』
腕時計を見た。しまった!集合時間をすでに回っている。
『今向かってる!』
それだけ返し、足を一歩踏み出した。だが、すぐに止まってしまう。視界に入るマンションとマンションを架けるように、虹が輝いていた。俺は迷わず、それをファインダーに捉える。
目的地は『
事前に知らされていた病室へと向かう。四人部屋の入り口には、友達の他に二人の名前が書かれたプレートがある。その二人は入り口側で、友達は入って右奥のベッドだ。
他の人がいるのなら、あまり騒げないなと思った俺は、迷惑にならないようゆっくり奥へと進む。
パーテーションの役割を担う白いカーテンから、ベッドを覗き込む。すぐにお見舞いの友達の一人がこちらに気づく。
「おい
根室は語尾を上げて小首を傾げた。
「なんで制服着てるの?」
もう一人の見舞い客の
「いや、なんとなく」
俺は真顔でそう答えた。
「ま、いいや。座れよ」
根室の声と同時に、彼と対面して座っている福岡が、隣の丸椅子の座面をポンポンと叩いた。その促しに従い、俺は腰を下ろす。
「しっかし
根室の言葉に、福岡は頷いた。
今日は5月の中旬。俺たち四人は、先月高校に入学したばかりの、ピッカピカの1年生なのだ。
人にもよるが、5月はまだ人間関係がうまく構築されていない人も多いだろう。そんな人にとっては、この時期の入院は非常に痛い。だが、すでにクラス内で一定の立ち位置を得ている人もいる。そんな人は、退院すればすぐ輪の中に戻ることができる。ベッドの上に座り、苦笑している里緒都は、後者にあたる。
だから俺は、この入院が災難とまでは思っておらず、退院後の彼のクラスでのあり方を特に心配もしていない。まあ心配事は他にあるのだが。
「これ持ってきた」
俺はプリントが挟まったクリアファイルを鞄から取り出し、テーブルの上に置く。
「……何これ?」
根室の怪訝な声が聞こえる。
「授業のプリントとノートの写し。里緒都に渡そうと思って」
「お前さあ、見舞いで勉強かよ」
「重要なことだろ。うちの学校は、期末試験のほうが範囲が広いんだし。細かいとこが響くぞ」
俺はいたって真面目にそう答える。隣の福岡が口を手で押さえ、笑いを堪えているのが横目で見えるが、気にしない。彼は笑い上戸だ。何がおかしいのかいちいち確かめていたら、日が暮れてしまう。
「ありがとう。大いに活用させてもらうよ」
里緒都は笑って答えた。はあーっと大きなため息をついた根室。頭を掻きながら、目はこちらに向けられている。
「まさか、プリントだけじゃないよな?」
「あ、おにぎり買ってきた」
道すがら購入したおにぎりが入ったビニール袋を、テーブルに置く。
「なんでおにぎり?」
「好きだから。みんなで食べようと思って」
「普通は入院している奴の好きなものを持ってくるんじゃない?」
根室は呆れた表情をしている。言っていることは分かるのだが。
「俺、里緒都が好きなもの、弓道しか知らないから。矢を持ってくるわけにはいかないだろ?」
両手で顔を覆っていた福岡が、もうダメだと言わんばかりに、かははは!と声を出して笑い始めた。つられて里緒都も笑う。根室は笑えないらしい。大仰にため息をついて、項垂れた。
「じゃあ、みんなで食べようぜ」
目尻を拭いながら、里緒都が俺に言った。袋に手を突っ込む。隣から覗いてくる福岡。
「なに買ってきたの?」
「鮭、梅、おかか、味噌バターコーン」
順々にテーブルに並べていく。
「最後ラーメンみたいなのなかった?」
「俺は鮭~」
根室の言葉を無視して、里緒都は鮭おにぎりに手を伸ばした。
里緒都に別れを告げて、俺たち三人は病室を出た。廊下の壁に貼られた、院内図が目にとまる。大きな病気やケガをしたことがない俺は、病院とは縁がなかった。なので興味がある。病院の中はどうなっているのか。
「幸、帰らないの?」
福岡の声が聞こえ、顔だけを向ける。
「俺、少し中を見て回るから。二人は先帰っていいよ」
「病院の中を?物好きだな」
根室の言い分はもっともだ。俺は自分でも変わっているところがあると思っている。
「じゃ、学校で」
福岡の言葉と共に、根室が手を振った。俺も振り返し、エレベーターホールへと向かう二人の背中を少しだけ見送り、彼らとは反対方向に向かって歩いた。
壁に飾られている絵画。何を描いているのか分からない。これが芸術というものか。まあ写真の世界もさほど変わらない。どういう写真が評価されるのか、俺にはいまいち分からない。見る人、選ぶ人の好みに他ならないと思う。
芸術の世界は不思議だ。だからその世界で食っていける保証なんて、どこにもないのだ。作者の死後、その人の作品が評価されることも多い。不確かな世界だ。
適当に回っていた俺は、屋上に向かうことにした。この辺は、あまり高い建物がない。だからここからなら、養老山が一望できるかもしれない。
階段を上り、屋上へと出る引き戸を開ける。その隙間から、楽器の音が聞こえてきた。音楽に疎い俺は、これがなんの楽器の音であり、なんの曲なのかは分からない。ただ、笛の音のように思えた。
屋上に出ると、音のする方向へ歩く。音の主はすぐに見つかった。やっぱり笛だ。それを構えているのは女性。俺と同年代だろうか。
女性は養老山に向かい、音を奏でている。肩ぐらいまである黒髪をハーフアップにし、残った髪が風になびいている。背筋をピンと伸ばし、淀みなく演奏する。音楽素人でも分かる。彼女の笛の音は綺麗だ。俺は彼女の音に聞き惚れ、姿に見とれてしまった。そのため、演奏を終えてこちらに気付いた女性が自分のことを見ているということに、気付くのが遅れた。ハッと我に返る。ばつが悪い。俺はモジモジしてしまった。我ながら気持ち悪い感じに。
不思議な顔して見ていた女性は、こんにちは、と挨拶してきた。なので俺も挨拶を返した。
「
なぜ俺の通う高校が分かったのか。あ、制服を着ているんだった。
「あ、はい」
「何年生ですか?」
「あ、一年生です」
「そっか……」
彼女は目を逸らすと、フッと口元を微笑ませた。
「うちも瑞希の一年生」
え?同じ学校の同学年?俺は少し面食らってしまう。
「あなた、お名前は?」
「え?」
「お名前は?」
「あ、
「牛田幸。幸くんか……」
俺は下の名前を、くん付けで呼ばれたことがなかった。新鮮な響きだったからか、俺は思わず目を瞬かせてしまう。
「うちは
「あ、よろしく……」
清果と名乗った彼女は、目線を山の方向に向けて演奏を始めた。
不思議な感覚が、俺の中に生まれた。……あいつに似ている……。
無意識にカメラを構え、シャッターを切った。音に気付いた彼女は、笛から唇を離し、俺を見る。しまった!彼女はあいつじゃない。勝手に撮っていいわけがない。
「あ、ごめん。勝手に撮っちゃって……」
罵倒されるのを覚悟していたが、彼女はまたも俺に微笑みをみせた。
「別にええよ。うちでよかったら、いくらでも」
彼女は笛を咥え、演奏を再開させた。
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