「おまえの正体なんて、おまえ以外の誰も興味ない」

 人間、亜種に限らず、知恵ある生物が一度は通過する思春期。

 幼体から成体へと体が成長を遂げていくに伴って、心までもが成長しようとする時期が、一般的にそう呼ばれる。

 自立のための反抗期はない者も多少存在するものの、思春期はそれこそ決定された通過儀礼。

 それこそ、自分自身では解決するどころか回答することさえ出来ない問いを投げかけ、延々と考え続けて、大人の真似事をし続ける何とも不思議な時間。

 宇宙はなんで出来たの、とか。人間はなんで生まれたの、とか。そもそも自分達の存在意義って、とか。そんな、誰も答えられないようなことを、さも答えがあるかのように考える、そう言葉にすれば恥ずかしくも感じるものの、しかし誰も恥と思わない不思議な期間。

 何せ、誰にも当然に訪れることだから、恥に思う必要がない。

 そして、その恥とも思われないし思わない期間で、その人の骨格――基、人格が形成される。個性、と言ってもいい物が形作られる。

 善人も悪人も、被害者も加害者も、健全者も障害者も、守護者も破壊者も、全種族全知的生命体が、某月某日某土地において生まれ落ち、名前を与えて貰った誰か――を確固たる者へと固定するための期間だ。

 だからホムンクルスというのは、唯一の例外と言っていいのかもしれない。

 皆が悶々と過ごしながら、四苦八苦してようやく形成出来る個性という代物を、自分以外の他人から与えられている存在なのだから。

 だから気持ち悪いと思われることも、少なくはない。

 それこそと前以て断っておくが、分娩だろうと帝王切開だろうと、とにかく母胎から目も半開きの猿に近い顔の赤子が「おぎゃあ」と生まれてくるはずが、それこそすでに整った顔立ちで目をしっかりと見開いて「ありがとう、ドクター。文字通り赤子のように扱ってくれよ」なんて言ってくるようなものである。

 例え「目に入れても痛くない」と豪語さえしてしまえるかもしれない可愛い我が子でも、産まれた瞬間に流暢な言葉を操り、自分達を観察するような目で見てきたら気持ちが悪いし気味が悪し、人によっては殺してしまうかもしれない。

 要は何が言いたいかというと、個性を持った人間がそのようにホイホイと簡単に生まれることは、人間の道徳から外れる、ということだ。

 それがわかっていながら、或いはそういう理屈または屁理屈を言うような個性を形成しながら、わざわざ道を踏み外した者がいる。踏み外したまま、戻ってこない者がいる。

 麻薬のような依存症があるわけでもなく、万引きのような精神的弊害すらもなく、理屈と屁理屈を巧みに使って、あたかも異常であるかのように装いながら、普通に人の道を逸れて、外れて歩く男がいる。

 アヴァロン・シュタイン。

 年齢、出生、その他一切の経歴が不明の謎の男。

 世界政府が直接称号を与えた五人の魔術師の一人であり、世界最凶の外道。

 命、個性、人格――それらを含めた知的生命の一切を否定し、己のことわりを肯定し、事実、外道の道筋を体現した男。

 その結果、彼が得た物はない。

 地位も名誉も仮初。称号など、彼を制御するため政府が括りつけようとして、役目を果たすことなく砕け散った鎖の残骸。

 ならば外道を進み続けた先、彼が得るものは何か――友との約束を果たしたという自己満足。存分に研究が出来る権限と環境。単純に、金銭。

 大抵の人達が挙げる例としては、こんなところか。

 要は大抵の人が彼のことを理解していないし、そもそも理解しようとさえしていないということだ。彼のことを理解している人なら、彼がまず何かしらの利益を求めて動かない人間だと言うことを知っている。

 友との約束など、果たせるかどうかもわからない。

 研究できる許可を得られても、それはただしやすくなっただけであり、いくら環境が整ったとしても、得たい結果が得られる保証など得られない。

 そして金にこそ、保証などない。金という存在が消え去ることはないだろうが、いつどこでその価値観が壊れるかなんてわからない。

 それこそ物の価値など時代、国、人によって変わるもの。時代も国も、人という不安定な存在が構成している以上、物の価値に安定などあるまい。

 そんな不安定なものを欲する男ではない。

 では一体、何が欲しかったのか。知りたい、などと思うものはいまい。

 人の道を外れた男の欲しいものなど、知ったところで何になる。知ったところでそこで終わり。時間の浪費でしかない。

 人生、生きている間を無駄にしたくないと思うなら、生きる時間の大半を浪費せず、消費すべきだ。無駄な時間を過ごさないことだ。

 他人に対して興味を持つことを無駄とは言わないが、しかし一人の人間に対して固執し、執着し、興味の全てを向けることこそ無駄だし、そんな人間は実際にいない。

 人は本来、他人に興味など持たない生き物なのだから。


  *  *  *  *  *


「――つまりおまえは、私と同種の人間の手によって放たれた実験動物ダ」

「ちょ、博士!」

 二週間もの間、音信不通、行方知れずだった男がようやく帰ってきてまずしたことは、怪我の手当てではなく、自身が何者かわかっていない少女へ、真相を告げることだった。

 あらぬ方向にぐちゃぐちゃに折れ曲がり、掻き混ぜられた片腕。

 瞼を抉り取られ、閉じることが出来なくなった片目。

 側腹部に大きな傷があるらしく、大量の血が白衣に染み出ていた。

 見るからに、明らかに、もはや隠す余地もなく、致死の大怪我を負っているにも係わらず、淡々と事実のみを告げる博士の姿から、オレンジは目が離せない。

 それこそ自分の怪我になど興味も示さず、そもそも存在しないかのように無視し、淡々と事実を告げる博士の言葉を聞き逃してはなるまいと、オレンジは白紙化された脳を全力で回転させて、一切飾られることなく事実のみを告げて来る一言一句を受け止めようとしていた。

「おそらくは【魔導】の魔術師、クトゥル・イヌヌ・エイボンの血縁に当たるのだロウ。そこまでの確認は取れなかったガ……」

「は、博士! まさかあの人とやり合ってきたの?! 相手は世界最強だ――って!」

 青髪の頭に拳骨が落ちる。

 殴った腕もズタズタだったというのに、痛みが伝わってくる鈍い音は健在だった。

「あんな小娘に、私が負けると思ってんじゃあないヨ」

 マスクを外し、初めて大きく口を開ける。

 マスクの上に何か吐き出したかと思えば、開き切った金色の瞳孔に、赤色の死んだ虹彩を持った目玉。青髪は思わず悲鳴を上げて飛び退き、金髪も短い悲鳴を上げて、緑髪は咄嗟に紫髪の目を塞いだ。

「奴は今頃、虫の息で苦しんでるだろうネェ。腕、脚、鼻孔を片方ずつ潰されて、目玉に至っては、ここにあル」

 もし本当なら、一矢報いたどころの話ではない。

 同じ世界屈指といえど、世界最強の称号を貰い受けた魔術師の半神を奪うなどと、政府が知れば、黙っていないだろう案件だ。

 それこそ称号は剥奪。全国指名手配も免れない。

 だというのに、博士は嬉々として笑っていた。周囲のホムンクルスらが驚き、気持ち悪いと嗚咽さえ漏らす中、無垢かつ無知故に動じることさえ出来ない少女の瞳を、目蓋のない目がジッと覗き込む。

「さて、オレンジ。これで、私のおまえに対する用事はなくなった。龍の血による変化も変貌も最初だけ。定期的血の交換も、これ以上やったところで、もはや無意味だロウ」


「――出て行きナ」


 周囲が騒然となり欠けて、沈黙が保たれる。

 博士は一瞥さえ向けておらず、意識の一欠けらも向けてない。

 むしろ博士とオレンジが互いに見つめ合い、視線だけで会話しているかのように沈黙していることで、自分達の介入は一切許されていないことを悟らざるを得なかった。

「おまえが魔女の一族だろうと怪物だろうと凡人だろうと、私には一切関係ない。何より、おまえの正体など、おまえ以外の誰も興味のなかったことだヨ。ただ自分自身のこともわからぬおまえが憐れ過ぎて、周囲が同情したに過ぎナイ。そしてその同情の結果、私の研究が邪魔されるようなことになれば、私はおまえを殺ス。そうなれば、おまえも私も損しかないだろう? だから、そのまえに出て行きナ」

「で、でも博士! 今の今まで僕らで振り回しておいて、そんなの――!」

「青……そもそもおまえが連れ帰って来たんだろう。おまえはこいつを被験体としてここに置くことを提案し、私は受諾した。そして結果は得タ。なら、もうこいつに用はナイ。何より、連れ帰ってからただ同情していただけのおまえには、口を挟む権利などないヨ」

 でも、と言おうとして、青髪は言えなかった。

 その先の言葉が、何もなかったからだ。反論すれば更なる正論に返され、次の自分が何も言えなくなること、博士の怒りを買う未来が見えてしまったからだ。

 それこそ、博士の言う同情が呼ぶ悲劇。我儘を通そうと意固地になれば、今ここで、博士はオレンジを殺してしまう。

 他の皆も同じ理由から口を挟めず、もどかしさと悔しさとで歯を食いしばる気持ちで立ち尽くす。

 だが一人、立ち尽くしていた膝を折り、座り込むと頭を深々と下げて、土下座した。

 他の誰でもなく――オレンジが、博士に対して土下座する。

に聞きました。この姿勢は、とある国にて、最上級のを表す、と最上級の、を表すときに、する、と……だから、今まで、お世話、に、なりまし、た。とても、幸せ、でした」

 先代の黒髪のホムンクルスが、どういう経緯でオレンジに土下座の意味合いを教えることになったのかは知らないが、とにかく教え方が下手だったなと思った。

 土下座が表すのは幸福ではなく降伏であり、謝意と言っても感謝ではなく、謝罪の意味合いの方が多いことも、ちゃんと教えるべきだった。

 だが結果的に、今の彼女の気持ちを伝わる姿勢として成立していることを、果たして皮肉と言うべきなのか。

 結論は、誰にも出せない。

 少なくとも今、外道と呼ばれる男に対し、地面に頭をこすり付けるようにして感謝を示す、少女以外には。

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