外道魔術師と剣闘士
「誰が異常で誰が外道か」
外道魔術師の空飛ぶ研究施設には、七人のホムンクルスと一人の少女がいる。
それは今も変わらない。
しかし少女の知る黒髪のホムンクルスは都にて一人の男性の下へ嫁ぎ、ホムンクルスの数は六人になるはずだったのだが、未だ七人のままだ。
彼女の代わりとなったホムンクルスは、まさに言葉通り黒髪の代わりだった。
容姿も言葉遣いも立ち居振る舞いも何もかもが一緒で、違和感なんてどこにもない。
ないはずなのに、オレンジはどこか払拭できない気持ち悪さを感じて仕方なかった。
そこにいる黒髪はちゃんとオレンジのことも知っていて、いつもと同じ態度で接してくれるのに、しかしオレンジにはどこか彼女が他人のように思えてしまって、どう接していいのかがわからなかった。
青髪を含めたホムンクルスが、いつものように彼女と接しているのもまた理解が難しい。
あまりにも皆が普通でいるものだから自分がおかしいのかとすら思ったが、そのことを博士に白状すると、意外な答えが返って来た。
「そう感じるのなら、おまえは普通ということサ。どれだけ本人に似て、同じ存在が目の間にいたとしても、それを本人として見ることなど難しいことさネ。簡単に受け入れてしまえるのなら、それは元々その人物に対して興味が薄いか、感覚が異常かという話だヨ」
「でも、青髪さん達が異常だとは思えません」
「周囲からしてみれば、異常サ。そう見えることだろう。しかしそれは、あれらがそういう環境にいたからこそダ。あれらにとっては普通でも、周囲から見れば異常に見える。世界について何も知らないおまえが、我々周囲から見れば異常に見えるように、人とは周囲の環境が育てていくものなのだヨ」
「つまり青髪さん達にとって、ホムンクルスの入れ替わりは普通のこと、ということですか?」
オレンジの体から抜け出た血と同じ量の龍族の血が、オレンジの体に輸血されていく。
博士はわずかに黒い龍の血が、オレンジの体へと管を通じて流れていく様に落としていた視線を、「そうだ」と机の上の資料へと向き変えた。
「無論、あの七人に関してはほぼ入れ替えなど不可能な個体ばかりだ。赤髪が初代精霊王の遺伝子から作ったホムンクルスというのは話したネ。他のホムンクルスもまた、とある実験過程の中で生まれた偶発的産物や唯一製造に成功した個体ばかり」
「あれもホムンクルスと人間を同じ肉体成長速度にするための実験に使っていた個体だったが、もう実験の意味はなくなった。奴が最後に発した毒は、完全に解毒するしか生かす方法がなかったからネェ……ホムンクルスに毒袋を仕込む方法は、もう使えないことがわかった。その時点で、奴はもう用済みだったのだヨ」
「故に自由を与えただけのこと。奴らもそれを理解して、代わりの個体にいつも通り接している。ここではそれが普通ダ。だから奴らは異常だとすら思わないのサ。だから安心しナ、オレンジ。おまえの価値観はまだ、標準と言える。もっとも、おまえもこの環境に慣れてしまえば、周囲から異常だと言われるのだろうけどネェ」
オレンジは、それ以上追究できなかった。
オレンジの価値観が一般的な感覚に相当するものならば、それがどれだけその人と似ていて、同じ動きをして同じ言葉を語ろうとも、人はそれをその人そのものと受け入れることはできないということになる。
だとすれば、博士の研究は決して一般的に理解されることはなく、結局は常識から逸脱した人の領分を超えたものとして受け入れられることはないはずだ。
しかしオレンジはこれまでに、何人ものホムンクルスが花嫁としてそれを求めた人達の下へ嫁いでいくのを見届けてきた。
そして求めていた人達の全員が、常識から逸脱しているとは思えない。
変わった人物はいなかったとは言わないし、変わった人ばかりとも言わないけれど、しかしそれでも代わりでも、花嫁を欲すると言うことはやはり常識を逸脱した人の、外道と同じ発想を持った人だと言うことなのだろうか。
ならば何故、博士だけが外道と呼ばれるのだろうか。
もしも博士の考え方をそう呼ぶのなら、博士と同じ思考したすべての人が外道ではないのか。異常ではないのか。
人の考え方から逸脱しているという意味合いなら皆同じではないのか。
少なくとも、博士が世界中から外道などと呼ばれるような人にはオレンジには見えない。
だって博士は、一介の鍛冶屋のためにホムンクルスを作った。図書館の司書と記憶喪失の恩師を再会させた。黒髪のホムンクルスに名を与え、花嫁として送り出した。
記憶喪失の自分を助け、実験体という名目で今も側においてくれている。
世界から災禍と呼ばれ、恐れられる怪物に花嫁を与えるために尽力している。
友の約束を護るためとはいえ、ここまでできる人など他には知らない。
奴隷を解放した聖女も、同族を護るため戦い続ける精霊族も獣人族も、博士を超えて優しいことはなかった。
それなのに何故博士は外道と呼ばれて、世界中がそれを認めているのか。
何故博士以外の人々がそう呼ばれないのか。
作ることに問題があって、利用することに問題がないというのか。
だとすれば真に異常なのは一体誰で、真の外道は一体誰なのか。
博士に、そんなことは訊けなかった。
「オレンジ殿、輸血は済んだだろうか。少し小腹が空いてしまってな、何かあるか?」
その人は黒髪と同じ声音と口調、立ち居振る舞いで話しかけてくる。
彼女のオリジナルであるクオンと違い、毒を発する器官は入ってないため触れても問題はないと言うが、オレンジが近付きがたいと思っていることに、毒の有無は関係なかった。
その人そのものと言っても過言ではないのに、どこか感じて仕方ない胸の中の気持ち悪さの正体を、オレンジは表現する術を知らない。
言葉でも態度でも、どう接していいのかわからない。
彼女が黒髪と同じ記憶を持っているのなら、会話に困ることもないというのに、彼女とまだ会って間もない頃のように言葉を選ぼうとしてしまう。
「はい、作り置きしておいたキッシュがあります。食べますか?」
「すまぬ、いただくにござる」
彼女と同じ笑顔で笑って、先に食堂へと歩いていく。
オレンジが見てきたその背中は今目の前にあるというのに、今頃オレンジが知っているその背中を見ているのは、彼女の夫となった青年だろう。
自分の鋭い目つきにコンプレックスがあった彼女の笑顔は、今頃青年に向けられていることだろう。
やはり拭いきれない違和感がある。
自分の知っている、自分と同じ時間を過ごした彼女は最愛の人の下へいるはずなのに、それと同じ姿をした別人がそこにいるというのは。
そしてそれを皆が、彼女として扱っていることが。
オレンジにはわからない。
誰が異常で誰が外道か。
記憶喪失で、自分の存在すらわからない自分こそ異常なのだろうか。
それを計る物差しが、オレンジにはない。
「あ、オレンジ! 僕もキッシュ、食べていい?」
「私もお腹空いたぁ。なんか作って頂戴」
「私は飲み物が欲しい。案ずるな、私には干し肉があるでな」
「姉様、銀髪少佐及び金髪姉様、妹の紫髪共々帰還しました」
いつの間にか、全員が集結していた。
青髪と黒髪は並んでキッシュを食べて、赤髪は緑髪から干し肉を奪おうとしていて、銀髪と紫髪は茶を啜り、金髪は相変わらず甲冑を脱ぐこともなくただ姉妹の様子を眺めていた。
こうしてみれば、いつもと変わらぬホムンクルス達の日常だ。
そこにはなんの違和感もなく、ぎこちなさも何もない。
こうして彼女達が何事もなく、そこにいる黒髪のホムンクルスをいままで共に生きてきたクオンの名が与えられた彼女と同じ扱いで受け入れていることに、まったく違和感を感じさせないのは、今の自分が異常なのだろうか。
わからない。
「オレンジも一緒に食べよ! 三時のおやつ!」
「そうよ、あんたも来なさい。そこで突っ立ってると、私達で全部食べちゃうわよ」
何故、彼女達はそんなにも変わらないままでいられるのだろうか。
自分の中に渦巻くこの違和感を、彼女達は抱いていないのか。
何故だろう。
自分の記憶がなかったときより、不安を感じる。
自分だけが感じている違和感を、誰も共有できないというこの孤独感が、どこか恐ろしい。
「おまえ達、うるさいヨ。研究がはかどらないじゃあないかネ」
「あ、博士! 博士もキッシュ食べる?」
「いらないヨ、黙って食べてナ」
博士が食堂に顔を出すとは珍しい。
珈琲は先ほど持って行ったし、食事の時間もまだなはずだが。
「おまえ達に話がある。今後の方針についてダ。まず、かの国の豚王子の嫁を作る仕事だがネェ、あれは受けないことにした。だから我々はかの国には向かわず、次に受ける予定だった仕事の方に移ル」
「次ってぇぇぇ、え? どこだっけ?」
「あんた、頭大丈夫? あんたはいつも外道と一緒に仕事の依頼人と会ってるんでしょうが」
「次、は、例の国……依頼人は、剣闘士の男」
金髪が静かに答える。
青髪は一人で「あぁ!」と思い出した様子で、手を叩いて納得したポーズを見せた。
だがそこで、オレンジはまた聞き慣れない言葉が出て首を傾げる。
様子を見た緑髪が、捕捉してくれた。
「剣闘士とは、古代より続く見世物である剣闘を行なう者達で、読んで字の如く、相手と戦う様を人々に見せることを生業とする。元は単なる処刑だったのだが、当時の王が処刑人相手に戦ってみろと罪人に武器を持たせ、戦わせた様子を見世物にしたところからだそうだ」
「まぁ今では、刃のついてない剣で戦わせる本当の見世物に成り下がったがネ。しかしこれを考えた王は、よく人間を理解してるヨ、まったく」
と続けた博士はなんだか機嫌が悪そうだった。
今の話の流れで何か嫌なことを思い出したようだが、その内容までは見当がつかない。
ただここに来るまでは特に表情に変化もなかったし、機嫌も普通そうに見えたからそう思っただけなので、最初から機嫌が悪かったのかもしれないが、少なくともオレンジにはそう見えた。
「さて、そういうわけで仕事と行こうか。ただし今回は、少々厄介な手順を踏む必要がある。オレンジ、今回はおまえにも働いてもらうヨ」
数日後、オレンジは闘技場にいた。
そこで見た光景に、オレンジは数日前から抱いていた疑問を改めて思い始める。
刃がついていないとはいえ、人が切られる様を見て観客が湧いている。
人が殴られ、血を吐いて倒れる瞬間を見て興奮して立ち上がる。
怖いものを見たと顔を覆う手の指と指の隙間から、その怖いものを見続けている人がいる。
一体誰が異常で、誰が外道か。
それともこの世界は皆が異常で、皆が外道なのか。
だとすれば、果たして世界中の誰もが外道と呼ぶあの人は、本当に外道なのか。
そもそも外道とは、異常とはなんだ。
人が倒れ、血を吐く様を見て喜ぶ観客。
人外の種族が人間を凌駕する力で殺しかねない力で暴れる姿を見て、興奮する観客。
それらに性別、年齢、種族、その他一切の隔たりはなく、差もない。
――おまえの価値観はまだ、標準と言える
自分の価値観が標準だと、彼らと一緒だというのなら、自分もまたこの戦いに対して興奮しなければならないのだろうか。
それが普通で、常識で、標準なのだろうか。
それとも自分が、異常なのだろうか。
その答えを得る術を、オレンジは知らない。
自問自答を繰り返したところで意味はなく、ましてや誰に訊いても自分が欲しい答えが返って来るとも思えない。
何せ周囲の誰もかれもが、異常で異質な存在に見えて、仕方なかったからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます