17. やさおとこのおしごと
「余裕だね、アル。アリスは休みなく船員一人一人にまで指示を与えているのに」
アリスの船ばかりでは飽きるので、アルの船にも乗ってみた。かれもあきんどだから相当忙しいと思いきや、意外なことにほとんど動いていなかった。ぼくと同じように羅針儀のそばで、たるに腰掛けてお茶を飲んでいる。
かれもアリスと同じように指示を出すが、それはほぼ船長にのみ向けられていた。下っ端への指示は、船長に任せている。だから右に左に働くのは、船長のほうだ。
「僕の仕事は船長の管理ですよ。組織では指揮系が大事です。途中の指揮官を通り越して上が末端に指図しては、混乱するでしょう」
もちろん臨機応変にやりますがと付け加えつつ、すっと滑らかにお茶のカップを口に運ぶ。音も立てずに中のものを啜り、
「一姫様もいかがです?」
「うん。――でもアリスは上に立つ者は下の仕事をもやれなきゃいけないと言っていたよ」
給仕からカップを受け取って言うと、アルはにこりと笑った。
「そのとおりです。でもそれは下にいるうちに学ぶべきで、上に立ってから学ぶことじゃないです。僕は元服の――十四のころから働いてますけど、そのころは下として働いてました。店主の息子ですからいずれ上に行くことは決まってましたけど、初めは下として、下の仕事を学びました。そして上にきた今は、上の仕事を学び、また実践してます」
「それが船長の管理と、こうしてお茶を飲むことかい?」
「休みも仕事だと言うならそう、――いや、その通りです。適度に休むのも仕事ですから」
「アリスはその辺分かっていなさそうだけどね」
「彼女はまあ、……お馬鹿ですから」
アルがふっと笑って言った。
「そこがいいところでもあるんですけどね」
その意見にはぼくも同意しよう。だが、いまはそんなことを訊きたいのじゃない。
「そういえば、アル。きみは働かなくても食っていけるが、なぜこうやって仕事をする? アリスと結婚したいからかい?」
「いいえ」
意外なことに、即答で返ってきた。
「それじゃ結婚したくもないのにあの賭けを受けたのかい? たしかきみが負けたら、きみが持っている香辛料ギルドの親方株を、全部彼女の親父さんに譲り渡す条件だろう?」
「結婚はしますよ。アリスのことは好きですし。でも、それが目的ならふつうに求婚してますよ。賭けを受けたのはただ、あの店と関係を深めたかったからです」
「関係を深める?」
アルは頷いた。あの店はあれでも東州一の大店ですからねと、言葉を継いだ。
「だから結婚のことは口実みたいなもので、これは純粋にあきないですよ。僕はあきんどですからね、旨味のない賭けはしません。それは彼女の親父さんも一緒じゃないですか?」
「え?」
「親父さんにとって、彼女が僕と結ばれて損することは何もありません。両家の関係が親密になって、助かるだけです。なのにあえてあんな条件を出すのは、ついでに株も貰えれば願ったり叶ったりだからじゃないですか?」
なるほど、負けて損する物はなし。もし勝ちを得たなら、それは丸儲けだ。転んでもただじゃ起きない、いや、転ばない方策を練れるだけ練る、いかにもあきんどらしい話だ。ぼくはこの賭けにそこまで設定したつもりはなかったから、少なからず感心した。
「なるほど、さすがだね。しかしだとすればどうしてそうまでしてあきないする? そこまでやらなくても、きみの店はもう充分に大きいだろうに。生きるためかい?」
「冗談じゃないですよ。好き好んで誰が生きるために仕事なんかしますか。そんなのは仕事しないと生きられない人のすることです」
「じゃあ何だい、きみがしている仕事は、趣味みたいなものかい?」
「趣味でやることでもないです。僕には目標がありますからね、それを、成し遂げたい」
「目標……それは、どんな?」
「世界一」
これも短く、即答で返ってきた。
ぼくは、黙ってしまった。アルも、アリスと同じなのだろうか。
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