閑話2:寝室で話すふたり

 結婚式後の宴会から解放されたヨハンとアカネは、さっと入浴を済ませ、寝台に倒れこんだ。

 今日からアカネもこの家の住人だ。

 リリアナは、今夜はアカネの実家に泊まっている。


「疲れたな……」

「思った以上にね……」


 式では、巫女に件の小石にまつわる話を暴露された。その後の宴会で、ヨハンもアカネも村人たちから散々からかわれた。

 ふたりが今伸びている寝台は、先日運び入れた大きなものだ。

 姿勢を直そうとして、枕の近くに「あるもの、を見つけたアカネは思わず吹き出した。



『巫女様からのお祝いの品だよ。寝室にって言われたからここに置くね』



 リリアナの書き置きとともにあったのは、いつか見た香炉だった。


「これって……あれだよね」

「むしろあれ以外の何があるんだよ! この日に! 巫女様からので!」


 アカネは頭を抱える。

 竜に乗って飛び去った巫女のことを気にしていたというのに、こんな置き土産が待ち構えていたとは。


「……使う?」

「アタシに聞くな!」


 香炉を指さしながら聞いてきたヨハンの背中を平手でどつく。

 今日から夫となったこの男のせいで、アカネはここ数ヶ月、何度赤面したかわからない。赤い髪のアカネが赤くなったら、全身真っ赤だというのに。

 灯りが手燭のろうそくだけで良かったと、アカネはそっと息を吐く。


「まあ、妊婦の身体に良くないものあるからなあ、こういうの。巫女様ならわかっていそうだけど」


 ヨハンは香炉に近づいて蓋を開けた。ろうそくの灯りで、中身の香料の種類をたしかめている。


「大丈夫だ、これ安眠香だよ」

「安眠香?」

「そう。花の香りで、気を落ち着けて良く眠れる作用があるんだ」


 ヨハンは手のひらにいくつか香料を乗せて、それをアカネの鼻先まで持ってくる。

 ヨハンの言った通り、花をかたどった香料からは微かな花の香りがした。


「これくらい弱いのなら妊婦にも問題ないよ。今日は疲れるだろうからって、気を利かせてくれたんじゃないかな」

「そうか……まあ、そうだよな」


 ときどきとんでもない冗談を言ったりもするが、巫女は基本的に優しい性格だとアカネは思っている。


「巫女様といえばさ。なーんか、他人に思えないんだよな、アタシ」


 アカネは身体を起こし寝台に腰かける。


「巫女様が?」


 ヨハンも隣に来た。


「ああ。遠慮がいらないっていうか、気の置けない感じがするっていうか。ほら、何年か前にいただろ。生贄に行った、アタシたちに近い関係の……誰か。そいつを思い出すんだよな」


 覚えてると言えるか微妙だけどなと、アカネは付け足した。


「僕たちに近いような、生贄に行った子か……」

「お前にはねーの? そういうの」

「うーん……。たしかに美人だし、村にいたとしたら生贄に選ばれててもおかしくないかな。小石の話を知っていたし、僕から見ても、まるきり他人……て感じはしなかったかもしれない」


 結婚初夜に、嫁の前で他の女を誉めるとは何事だと思ったが、これは話を振ったアカネが悪い。

 ヨハンは口にした言葉と同じように曖昧な表情をしながら、香炉と手燭を傾け、香料に火を点ける。

 花の香りが、ゆっくりと寝室に広がっていく。


「恐れ多き紅き竜。……の巫女が、僕たちと親しかった誰かかもしれない、かあ。なんだかピンとこないね」

「まあな。しかも『お母さん』て。『我が娘』って」


 去り際の、巫女と竜のやりとりを思い出す。

 紅き竜の巫女にして、竜の娘。

 娘ならば、山頂付近で見た親しげなやり取りも納得だ。

 知らなかったとはいえ、大変な存在とそれなりに親しくさせてもらっていたものだ。


「うちの村じゃあんまり聞かねーけどさ、巫女様をよく思ってないやつらっているんだろ? 竜に近いからって」


 巫女の出現により、麓のどの村も生贄を差し出す必要はなくなったし、最後の生贄たちは帰ってきた。

 ただし、それ以前の生贄たちは当然ながら戻らない。それが、竜を敵視する理由のひとつとして存在する。

 しかし、誰が生贄だったのかというと。

 不思議なことに、村人たちは誰のことも思い出せないのだ。

 ゆえに、竜は生贄の記憶まで喰らうと言われていた。


「うん……。いまでも竜に挑む輩がいるそうだし、往診のときも噂を聞いたことがあるよ」


 ヨハンは寝台から降り、布団を捲った。そしてアカネを手招きし、寝台をぽんぽんと叩く。

 そろそろ寝ろということらしい。安眠香の香りの作用もあり、アカネも瞼が重くなってきたところだ。

 自分の手燭の火を消し、素直に移動する。

 寝台に横になると、ヨハンが布団をかけてくれた。そしてヨハンも寝台の反対側に回り、布団に潜り込む。


「これから巫女様たちは、大変なことになるかもな」

「そうかもしれない。親子っていうのを理由にして、巫女様が敵意を向けられることも……あるのかも」

「……」


 自然と眉間にしわが寄る。

 いくら竜に近いからといって、それとこれとは別問題だとアカネは思う。


 巫女は定期的に村々を回り、山で採れる薬草や毛皮、各村の特産品などをあきなう。それによって村人たちは危険をおかして山に出向かなくてもよくなったし、安定して供給される山の幸によって生活が変わったところもあるという。

 それに、巫女のあの人柄だ。流行病はやりやまいの件もあり、おおむね、巫女は好意的に迎えられている。

 それでも、過激派はいなくならないのだ。


「……難しいのな」

「そうだね。でも、すぐにどうこうできる問題じゃないから……。今日のところはもう休もう? お祝いごととはいっても、疲れたし」


 ヨハンがそっとアカネの前髪を撫でる。


「……そうだな、もう寝るか」


 アカネはその手をそっと握ってから、枕を直す。

 かさりと、何かが手に触れた。


「どうした?」

「いや、何かある。ちょっと照らしてくれ」


 ヨハンが手燭で照らす中、アカネは枕の下からそれを探り出した。

 それは、膨らんだ小さな包みだった。

 表に『巫女様からもうひとつだって』というリリアナの筆跡を見つけて、いぶかりながら包みを開ける。

 中に入っていた一筆箋を取り出したアカネは、寝室に入って来たときのように吹き出した。



『こちらもちゃんと用意してあります。お幸せに』



 香料の包みが同封されていた。

 これはどう考えても、あれだ。

 巫女の『本命の』贈り物だ。


「あー……」


 それを覗き込んだヨハンが、苦笑を浮かべる。


「……眠いの、我慢する?」

「しねーよ!」


 やけくそ気味の叫びは隣の家のリリアナたちにまで届き、目を覚まさせるほどだったと翌朝聞かされた。


 例の香料は、とりあえず香炉そばの小物入れに突っ込んでおいた。

 贈り物だからと捨てるのも気が引けて、しばらくは見かけるたびに生温い気持ちになるのだが。ある日うっかり火を点けてしまうまではそのままなのだった。

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