第48話.これが耳を疑うということなのですか……?

「ほ、本当の本当に日比谷とおる先生なんですか?」



 太陽が地上に降りたとうとすることで夕日が生まれる頃合い。窓から流れ込む日の光がより熱く感じるのはそのせいなのか。ただ、確かなのは文芸部部室の室内をオレンジ色に染め上げていることだ。


「何回その質問するのかしら、たとえあなた出雲流だとしても、そろそろ限界というか呆れてくる頃なのだけれど……」


「すみませんすみません!!もう何も言いません!ごめんなさいっ」


「い、いえ何も言わないと話すことも出来ないのだけれど」


「あ、ああ!!」



 お気に入りの俳優が目の前に現れて叫ぶ女子高生なら、よくある話だ。テレビで一般人にドッキリとして仕掛けているのをよく目の当たりにする。


 だが、彼女にとってのその俳優とやらは恐らくこの小説家であるのだろう。プロサッカー選手、プロ野球選手というように、彼女、水無月桜も一人の「プロ小説家」であるのだ。


 憧れの思いを持つのも変ではない。



「この時、私って何を言えば……先生を笑わせたりとかした方がいいんでしょうか?」


「そんな部下が上司を接待するような生生しいことなんてしなくていいわよ……」


「じゃ、じゃあ。作品について語ってもいいんでしょうか……い、いやその話は本人の前でするのは失礼な気もするし……」



 取り乱した読者の前ということもあってか、共にリズムを取り崩す作家水無月桜。



「い、今は新聞記事の話をしているのだけれど」


「そうですよねそうですよね!!すみませんっ、こんな不甲斐ない私で申し訳ございません!」



 必死に頭を上下に振る神無月、いやここでは出雲流との方が適しているのか。



「偉くお偉いさんになったもんだな」



 ぼそりと呟いた俺の言葉に瞬時に反応したのは神無月であるわけなく、やはり水無月だけだった。電流が走りそうな眼つきでこちらを睨みつけてから言った。


 今思えば、これが彼女が発言するトリガーとなったのだろう。自分が引き起こした、招いた罪とは。これこそ自責の念というやつか……



「神無月さん。ちょっといいかしら?」


「今ですか?もちろん私なら構いませんが」



 と言うなり水無月は神無月に近づくと耳元で小さく囁いた。何を言っているのか全くと言っていいほど聞こえないほどの声の小ささだったが、さっきの眼つきだけである程度予想は出来た。


 その予想とは。無論、言うまでもない俺が「曲谷孔」ではないこと、早苗月亮という仮の小説家であり出雲流が推している数少ない作品を生み出す人物の一人。



 ゆえに、驚嘆し、信じられないと言いたげの表情をするはずだ。そうでないとほんの少し前に見せた水無月が「日比谷とおる」という事実を知った時の驚きは嘘ということになる。


 一般的に考えても日々毎日追い続けた「プロ」と「自称プロ」がこの場にいるのだから、目が飛び出すとまではいかないが、それぐらい信じがたい光景を目にした表情をするだろう。



 頷きながら水無月の話を静かに聞き続ける神無月。さすがにオーバーリアクションを控えているのか叫ぶようなことはせず、ただ「はい」と返事をしながら聞き終えたようだ。



「あ、そうなんですか」



 どういうことだァ!!



 俺が未だ本業として作家ではないからか?まあそりゃ、こんな兼業しまくりの?手を出せるところは出し尽くすような神の手、ゴットハンドみたいなものは持っていないけどさ。


 それはそれで別次元ではないか?俺は俺で、一応ネット小説では読まれている方なんですが…………



「……それだけなのかしら?神無月さん」



 どうやら水無月の方も呆気にとられているのか、再び質問する。



「まあ、言わなくても分かると思うんですけど……一応驚きはしてます」


「でも、そこまで仰天するようなことじゃないっていうか。授業で知った内容が塾で前々から教えられたものと同じであまり好奇心をそそらないのと同じというような、そんな感じです」


「つまり、あの男のことよりも私が小説家であったことの方がインパクトが大きかったのかしら?」



 水無月の言葉の意図を汲み取るまで数秒かかったが、神無月はすぐに横に顔を振った。



「そうじゃないんです。要約すると『驚き』はしなかったということだけ」



 「分かります?」と水無月に応答を求めても反応がないので続けざまに言った。



「だから、知ってたんです」


「いやそれはおかしいな。正確に言うとそうじゃないかなって予想を立てていた、かな」



 一人で自問自答するように神無月は独り言をぶつぶつと言っている。


 対して水無月は神無月の話す内容を大方、計るところ7割方理解したようでその顔には納得がいくものとそうでないものが混じっていた。



「だって、可笑しいじゃないですか。教室内に小さなパソコンみたいなものを持ってくるやいなやカチャカチャ、キーボードを叩いてる音がするんですもん」


「それでパソコンの画面を眺めたというわけね」


「はい……他人のパソコンを覗くのはあまりよくないことだとは思っていたんですが、どうしても知りたくて」


「どうしても?そんなに躊躇していたのにどうしてそこまで知りたくなったのかしら」


「知識欲…………ですね!」



 口角がほんの少し吊り上がっている、なるほど嘘だな。



「よく言われるじゃないですか。研究者とか未知のことを知りたいから仕事をするみたいなものと同じですよ」


「では、深い意味はないってことなのね?」



 「はい」と瞬時に答えると、水無月はその空返事に対しあまり納得がいかないような表情で流した。



「でも、やっぱりこの部屋に今まで読んできた作品の原作者様がいるとなると……信じられないです」


「すみません!!やっぱり爆発してもいいですか!?いいですよね!」



 現時点のこの状況を思い出したように顔を赤くし、ようやく有り得ないと感じとったらしい。ま、それが本来のリアクションだ。


 そもそも普段から一緒に過ごしている生徒なんかが小説家であるということこそがめったにない話だ。

しかも俺が小説を書き初めて間もない頃からの読者、もしかしたら一番目の読者なのかもしれない。


 そんな人物が、関わった人々がこの場に集結しているのだ。信じられない話と捉えられてもおかしくはない。



「…………ね」



 俺だって憧れの、言うならば小説を書くようになったきっかけの人物が目の前にいたら腰が抜けるだろう。


 その点、あいつ神無月が作画の道へ走り出したことと繋がる。結局クリエイターの根は同じ場所から生えているのかもしれない。



「……ねえ」



 だから置かれている状況から自分のことが恥ずかしくて「爆発したくなる」のも分かる。よく分かる。うんうん。



「ねええ!!聞きなさいっ曲谷!」



 突然聞こえた叫び声、いや突然ではなかったようだ。


 水無月は何度も俺に助けを促し発していたが、それを俺がただ聞き流していたのだ。聞き流す、よりも聞こえなかった、声が届かなかったとの方が適しているか。



「どうしたんだ?って何してんだ!?」



 思考していた自分だけの空間から現実に引き戻されると同時に広がった光景は、



「なんで窓から飛び出そうとしてるんだよ!」



 神無月が四階であるこの部室の窓から身を投げ出そうとしていたのだ。上半身がもろに出て、やっとのことで水無月が下半身を抑え込んでいる感じだ。



「もう今死んでもいいぐらいです!というかもうここから飛び降りますっ」



 自意識をようやく取り戻し恥ずかしさが溜まりに溜まったあとにおと訪れたように慌てふためく神無月。自分でも何をしているのか分かっていなのだろう。


 もしギャグアニメである冗談をこれでもかというほど強調したら、きっとこの読者と同じようなシチュエーションになるのか。そうなると俳優やらスポーツ選手なんて人々は大層生きることに気苦労することだ。


 なんて俺がこの状況で考えるべきではないような想像をしていると、案の定水無月はヘルプを求めてきた。



「なにぼーーっとしてんのよ!!いいからこの頭のおかしい人の体を引っ張ることを手伝いなさいっ」


「分かった、じゃあそのままキープしててくれ。いまそっちに…………」



 ちょうど水無月が救助要請をし、俺がそれに応答し助けに向かおうと動き出した瞬間。



「あ」


「あ」



 神無月の下半身は抱きかかえていた水無月の腕からすっと離れ、窓から姿を消してしまった。

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