第1話.プロローグ
To:ヒカリレーベル文庫担当編集者様
件名:「いもいもワンダーランド」序章冒頭
本文:
密林地帯を思い出させるような身に染みる熱さと湿気。一日は24時間という単位は少なくとも俺のいた世界と変わらないし、朝には日が地平線から登り、夜には落ちる。ただ四季が無いということだけが俺にとって違和感だった。一年中日々毎日最高気温が更新されそうなくらい地獄のような暑さではないが、一年間の中で四分の一だけが灼熱だった前世が羨ましくなる。だってここならば夏休みが一年間も続くのかもしれなかったのだから。
「おーーーーい、カトレアーー」
向こうの方から声を挙げて手を振ってきたのは
以下省略
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To:早苗月亮様
件名:改稿版
本文:
省略(以下クライマックス)
太陽の日差しの下で照り付ける灼熱のような嵐に俺は一人虚空を見つめている。虚空ではない、一人の少女を見ていたのだ。
「もう……私は
「そ、それでも俺は……俺はっ!!」
拳を握りこんでも掌から何も生まれてこない、なんて情けないのだろうか。
血が繋がっていないとしても、それでも……愛する家族を守れない自分の愚かさが何て自分らしいとこの上なく感じてしまうのだろう。
無慈悲に無意味に無造作にも自分の無力さに気付いた俺はただ涙を流すだけだった。
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現在、夏休み3日目。
「っだああああーーーー」
深く背もたれにもたれかかった男は集中力を一気に霧散させるようなだらしない声を漏らす。
季節外れの半袖Tシャツに半ズボン。気温がどうだからこれを着なくてはならないという縛りこそ嫌う彼は己のモットーである「ぼっち上等」という文字がプリントされたTシャツを着ている。
手元に置いたお気に入りのマグカップに注いだコーヒーを口に含む。勿論砂糖、ミルクは抜きのブラックだ。
「ったくよ。なーにが『展開が見えすぎ、もっと読者に期待感を持たせろ』っだあ。こちとらネタ切れだって話だ」
愚痴を部屋の隅から隅まで辺りに溢しまくるのは彼のお得意ごと。
「次は何だ……な、『物語の展開はまるで子供の読書感想文。言葉遣いや表現は稚拙で幼児が書いたよう』だ?」
「良いところなし、ダメ出しばっかかよ……鬼教官みたいだな」
言葉で頭を叩かれているような感覚に近く、ずたぼろに引き裂かれる布のように心も荒んでしまったのか生きた心地がしない。
駄目な部分を駄目だときっぱり言ってくれるのは貴重な意見で素晴らしいもの…………なのだが今の彼にとってはそれは不十分なのだ。
人がモチベーションを維持するためには褒めたたえられることが重要なように、悪い点と同時に良い点も彼には必須要項。
だからこそ叩かれすぎた人間はその反動でつい悪口を吐いてしまうものだ。伸ばせば伸ばすほど弾性エネルギーが増加するゴムのように。
「そんなにあんたに言われる筋合いはねえっての」
画面の下部を映すためにマウスでスクロールするが、動かそうとした人差し指がいきなり硬直する。それはまさしく焦りが募った瞬間なのだろう。
『鬼のようでうるさいと感じていますね』
そんな一言が画面中央部で固まったように動かなくなる。それはさしずめ自分の指の仕業なのに誰かの指図があったような停止動作。ほらほら俺の手を固定している掌が見えるじゃないか、いや嘘だが。
俺は背筋を伸ばして体の姿勢を持ち直し、頭をこれまでかと言わんばかりに回す。
「悪魔かよ……」
高校にいてもいなくても変わらないこの編集者の態度に、俺は悪魔のようだと喩える。小説家の性だ。
そして、俺ーー
それはまた憂鬱な日々から解放された運命の日から始まったのだ。
俺はウェブ上で小説を投稿するいわゆる底辺作家という端くれだ。一時の気まぐれで小説を書いてみたが、俺はそれを何処にも投稿する場所がなかった時にたまたまこのウェブ投稿という場を知っただけだ。
「あーーあー、これで何日目ってんだよ」
一日のアクセス数を一時間ごとに確認しては変わらない5の値。しかもそれは投稿してすぐの値なのだ。
「新しい読者は来ないのかって話だよ。皆さん、俺の物語にゃ興味すら湧かないってことなのか」
「ん?ちょっと待てよ、新しい読者は来ても読み続けないってことか?」
いきなり現実を思い知らされ「うおおお」と叫びながら頭を抱えベッドで転がり続けていると、すぐ横に置いてある机の角に頭をぶつける。
「っいってえ……何なんだよ」
なんだか冴えない日、普段と何ひとつ変わらない日常だと悲嘆していると、
ピコン。
というパソコンの通知音が部屋中に響いた。コミュ障を極める自称ぼっちの俺にはネット上のコミュニティすら形成していないので、自分宛のアドレスが何なのか、誰なのか異常に興味が湧くのも致し方が無かった。
『早苗月 亮様。この度は突然のご連絡をしてしまったこと、お許しください。』
無言。
どういうことかと言えばそういうことだ。そんな代名詞に代名詞を重ねたようなNot、NotでYesになるような特異的な化学変化が起こることが無く、単に予想が外れただけのことである。
つまりは「こんにちは!僕も小説を書いてウェブ上に投稿しています」なんて友を作るような相談、広告に似た話でもなく「私、こんなの書いているのですが……」なんて
言ってみれば後者の方がラブコメの波動を感じられてそっちの方がいいのだが。
洗練された文字の羅列は俺が生みだした創作物が汚点の塊のように見えてしまった。送り主はさぞおしとやかな人物できっと何年もこの世を過ごしてきた博識ある人物なのだろう。
「はいはい。んで要件は何ですかね?」
小言を挟みながら件名から本文へと読み進めていく。
『この度我が社で貴方様の作品を刊行させていただきたい所存でございます。その点につきましては……』
「うおおおおおええええええ」
あり得ないこと、信じられないことが起きたとき人は呆気に取られると言うが俺はそんなこともなく口が開きっぱなしになることもなく、叫んでいた。
「え?え?俺にどうしろって?」
『その点につきましては著作権等を取り扱いますので、なるべくお早めにご返事してくださると嬉しい限りでございます。ご連絡はこちらの番号に……』
俺はペンが乱雑に入れられたコップからボールペンを抜き出し、ちょうど机に置いてあった卒業を祝うコメントが載っている学級新聞の裏に番号を書き込む。
「これだな、よしよしオーケーオーケー」
布団に投げ出した新品同様のスマートフォンに番号を打ち込み呼び出しをする。
早く、早く。
『もしもし、ヒカリレーベル文庫東京支部です。ご用件は……』
何でしょうか。という以前から答える俺は相当焦っていたというか気分が高揚していたのだろう。
「はい、
だが、戻ってきた返事は意外と冷静沈着で、
『ははあ……どちら様でしょうか?』
そういえば、投稿サイトというかネット上には本名は掲載していなんだっけか。
「すみません。早苗月です。そちらの担当様はいらっしゃいますでしょうか?」
電話口の方も漸く理解したようでがやっとのことで事が進んだ。
そんなこんなで編集者ともこうやって連絡がつき、編集が始まったのだが……
「もう何回目だあああ」
実質10回は連絡を取り合っているがそのうち編集を促す内容は9回。他1回は何かといえば初回の挨拶のみ。「よろしくお願いいたします」なんて綺麗な言葉遣いだったのは裏腹で裏を返せばそこにあったのはドSな文脈と蔑むような文字ばかりだ。
「ったくだったらお前が少しは書いてみろってんだよ」
マウスを下へと動かし、新たな受信トレイから新着メールを開封する。
『件名:改稿版』
もう嫌な気でならない。
本文を開いてみれば、あらなんとパンドラの箱のように自分の小説が改編され、文のまとまりはおろか語彙力も上昇している。
「まあ、これなら参考までにはするがな」
語彙が少ないと感じている俺としては尊敬という言葉しか出てこない。がしかし……
「ちいいよっとまてえええいい」
文章の最後には小説の結末が描かれるのは極めて一般的である。だがその結末に異論を唱えたい俺は言葉を濁さずに言わせてもらう。
「これは俺の作品じゃねええええ」
物語のキーパーソンである
「こんのやろう……俺は断固として変えるわけがない」
そうやって今日も続いている編集者との抗争。明日という日が一般人には祝いの日にもかかわらず俺は一歩大人の道へと歩み始めているのを心のどこか誇張している。
〆切という〆が幾つも書かれて埋まっているカレンダーには一つだけ、小さな文字で書かれた日。それは明日の出来事で。
「もう入学式かよ」
仮底辺作家かつ学生でもある俺はもうすぐ高校という謎の舞台に立とうとしていた。
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