4.いらっしゃいませ、ミセス准将
心優も遅れまいと、トレイにおもてなしのお茶を乗せ、隣接している『本部隊長室』へと運ぶ。
心優も緊張する。女王様にはお会いしたことはあるが、いつ会っても緊張する。
彼女は『女王』と呼ばれるに、あまりにも相応しい女性。
「失礼いたします」
ティーカップを乗せたトレイを持ち、心優は長沼准将室に入室する。
『空部大隊本部、隊長室』、ここの主は四十代で准将になられた『長沼准将』。
城戸中佐と心優の『大ボス』ということになる。
広い准将室のゆったりとした応接ソファーには、制服姿の長沼准将と、噂のミセス准将が既に向き合って談笑していた。
お茶の到着に気がついた長沼准将が、心優に微笑む。
「ご苦労様」
長沼准将も、元パイロットだった。
城戸中佐が彼の下で秘書官として重宝されているのも、『お互いに早々にコックピットを引退し、事務官へと徹底した転換に成功した元パイロット同士』だからだった。
元パイロットと言えば、男共の平常心を掻き乱すこちらの女性も……。
「こんにちは、園田さん。お元気そうね」
涼やかな微笑みの、栗毛の女性。御園(みぞの)葉月准将。
皆が『ミセス准将』と呼ぶその人がそこにいる。
彼女も元パイロット。女性ながら、その才能と技術は確かだったと当時を知るパイロットは口を揃える。
しとやかな栗毛は、彼女がクウォーターだから。ガラス玉のように透き通った茶色の瞳。そしてツンと通った鼻筋に、白い肌。日本人の顔立ちではなかった。
なによりも、そこにいるだけで優雅さが香り立つ。
「いらっしゃいませ、御園准将。お紅茶です」
「いつもありがとう。こちらのロイヤルミルクティーは、とっても美味しいから、いつも楽しみ」
彼女のお気に入りの銘柄で煎れたアールグレイのミルクティーを目の前においた。
ティーカップは、ロイヤルコペンハーゲンのフローラダニカ。
こんな茶器、本当ならば税金でまかなわれている軍隊の接客用品としてあってはならないものだった。あるとしたら『隊員自らの持参』。このティーカップは、城戸中佐が揃えたもの、だった。
ここで『おかしい』と心優も気がついた。拒絶反応をしている女性に、彼自身から『自腹を切って揃えた』のだから。
紅茶好きの彼女が、度々、長沼准将を訪ねてくる。秘書官として最高のおもてなしを――。そんな心構えで自腹を切ったと言われればそれまで。だけれど、だからって……如何にも女王様のお好み狙い打ちのものを、中佐殿自ら揃えるなんて、『いつもの態度と矛盾している』と心優でも思う。
彼女の長い指が、愛らしい小花が描かれているカップを持とうとしている。そこにスミレのような絵があるせいか、彼女の指先から可憐な匂いが漂ったような気になるほどに、品の良い仕草。
「いつ見ても素敵なカップね。私の祖母もフローラダニカの大ファンで沢山集めていたの。懐かしい」
こんなしっとりと上品なマダムが、元パイロット? 誰が想像できるだろうか。それほどに彼女の優雅さはそこにいる誰もを釘付けにして圧倒させる。
それを私たちの大ボスがこれまた、うっとりと満足そうに眺めているのもいつものこと。いい歳の地位がある中年男性がこうした隙を見せる。彼女はそんな空気をつくってしまう。
周りの人々をその優美さで虜にしてしまうのも、彼女の持って生まれた『血』だった。
亡き祖母は、スペインの元貴族の血筋。祖父も父親も母親も、叔父も従兄も従姉の夫も、彼女の亡き姉も、そして彼女の夫も。一族の皆がこの軍隊に携わってきた『資産家軍人一家の育ち』でもある。軍の中には心優のような二世隊員も多少はいるが、彼女のような三世隊員は珍しく、いわゆる『軍隊のサラブレッド』でもあった。
彼女自身も、十代の頃からアメリカ本部の訓練校生として叩き上げられ、やがてパイロットの道を選び、男達の中で空の限界に身を投じ挑んできた女性パイロットの先駆者でもあった。
彼女が『女王』と呼ばれるのは、女性ながらにパイロットをやりこなしたからではない。女身で准将という女性初の将軍職に就任できたのも、数々の功績があるからだった。
その功績も語れば長くなる。最年少で大佐にもなったお方。ミセス准将と呼ばれる前は、『大佐嬢』とも呼ばれていたとか。それに至るまでの『伝説のような功績』を聞くと、心優は彼女は女性ではなかったと言いたくなる。とてもじゃないけれど、同じ女性として、真似ができないことばかり耳にしてきた。
なのに彼女は持って生まれた優雅さをまとい、女王の品格にふさわしく、美しく品良く静かにそこにいる。
彼女に憧れはあれど、彼女の傍に行くと、何故かひんやりとした冷気もかんじることがあり、会えばいつも心優は緊張している。
戦闘機が飛び立つ甲板に立つと、彼女は女に見えなくなる。そこにいるのは無感情な指揮官。空部隊の男達はそういう。
陸勤務ばかりしてきた心優は、まだそんなミセス准将を見たことがない。空母艦の甲板上の訓練など、ただの事務官が踏み入れられない世界だった。
「君が突然、俺を訪ねてくるのはいつものことだけれど。その度に、ちょっとだけお願いという顔をして、実際はとんでもないお願いばかりだからなあ」
「失礼ですわね。こちらだって、お願いをする時はそれ相応の『痛手を負う覚悟』で申し出ているではありませんか」
「痛手? そちらが痛手を負うほどの、でっかいリスクのあるお願いはお断りだよ。葉月ちゃん」
「それほどの手土産を持ってこなければ、こちらのお話も聞いてくださらないではないですか。長沼さんったら。お土産だって、いつも喜んで受け取ってくださっているではありませんか」
「お土産によるよ。ありきたりなお土産ならお断りだ」
「まあ。やっぱりお土産がいるのね。もう、今度のお土産も困ってしまいますわ」
『あはは』、『うふふ』と楽しげに笑っているお二人だけれど、この時点で既にお二人の腹の探り合いが始まっている。
心優も聞き慣れてきたが、最初の頃は『なんという穏やかな言い争いか』と、奇妙な空気に眉をひそめたものだった。闘争心剥き出しで言い合うのが如何に若輩者であることか、若い心優は思い知らされるシーンだった。
言ってみれば、普段はニコニコしてなにを考えているかわからない長沼准将が『狸』なら、冷めた目つきでやんわりと微笑むだけのクールなミセス准将は『狐』。お二人は同世代の元パイロット同士で、共に任務に就き、同じ空母に乗り込み、同じ釜の飯を食した同志。同じ地位に就き、志は同じでも、大きな責務を背負い守るために互いが持っている手駒を見合って牽制し合っている。
大抵は『台風お嬢様』と言われてきたミセスが『思わぬ提案』を持ってきて、堅実で保守的である長沼准将が仰天する。だけれど、彼女の的確な提案にいつのまにか男の准将が飲まれ、『困る、困る』と言いながら、彼女が持ってきた『大きな手土産』に負けて聞き入れてしまう。その後に、大ボスの長沼准将は必ずこう言う。『ハラハラするけれど、彼女の提案は正解だった。助かった』と。そして最後にこれも必ず――『彼女が男だったら末恐ろしい』と言い残す。
結局、軍人一家の末娘で、跡継ぎお嬢様であるサラブレッドのミセスが周りを巻き込んで一人勝ち。
それを疎ましく思っている男もいれば、魅せられる男も多い。もちろん女性達も同様に。心優も、心の底から彼女に魅せられている一人だった。
「城戸君もお元気そうね。ますます活躍されていること、小笠原でもよく聞きます。現役パイロットの気持ちが汲み取れる隊員が管理本部にいることは、パイロット達にとっては大きな後ろ盾、心強い味方です」
長沼准将が座るソファーの後ろに控えて佇んでいた中佐殿に声がかかった。心優はドキリとする。そして大ボスの長沼准将も、表情を固めたのがわかる。
訳ありの二人が、いま視線を交わす。この何とも言えない凍った空気――。
「ありがとうございます。短い現役でしたが、少しでもお役に立てられるようにと思っております」
ミセスに負けない冷めた眼差しで、城戸中佐がそつない返答をする。
「ふふ。頼もしいこと。嬉しいわね。お願いしますね」
栗毛の彼女が、そこは優しく笑って柔らかな仕草で紅茶を飲んだ。
そんなパイロット軍団の女王様に声をかけられたら、お目にとまった空の男なら喜ぶところだろうに。なのに城戸中佐はすぐに視線を逸らし、もうミセスなど見ようともしない。
見ていられないのは、そんな城戸中佐の方がロボットのようにカッチリと固まった佇まいになり、いつもの飄々とした彼ではなくなること。
それはミセス准将もわかっているようで……。彼女までもが、そこで寂しそうに目を伏せてしまうのだった。
そこでシンとしてしまうのもいつものこと。この空気が漂うと、長沼准将まで居たたまれないとばかりに落ち着きをなくしてしまう。
絆がありそうで、でもぎくしゃくしている元パイロットの中佐殿とミセス准将。
この二人の間になにかあったと思わずにいられない心優だった。
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