優しき六本腕のゴリラ
険しい山に囲まれているだけで、周りの敷地には割と普通に生命の息吹が感じられる城。
その中の一室には、ソファに座ったまま額に手を当てて悩む男と、それを挟んで激しい口論を繰り広げる首無し鎧男とすっとんサキュバスがいた。
デュラハンのウォードが馬から降りてソファーに腰かけたまま、ミニサキュバスのファリスを指差しながら笑う。
「ぶふっ、勝手に部下連れていってまで喧嘩売ったのに惨敗とかださぷー」
ファリスはこれを立ったまま、腰に手を当ててのふくれっ面で迎え撃つ。
「あんなの倒せるわけないじゃない。こっちは炎竜を手なずけたのよ? 第一、あんただって負けてるでしょうが」
「俺は本気じゃなかったんですぅー」
「はいはい、じゃあどうして本気を出さなかったのよ」
魔王は二人のやり取りを、牛乳を飲みながら静かに見守っている。
ウォードは自分の胸元をぺしぺしと叩きながら言った。
「出さなかったんじゃなくて出せなかったんだよ。この鎧がな、俺から溢れ出る強大な力を抑えてんの」
「は? 意味わかんない。そもそもどうして抑える必要があんのよ」
「そうしておかないと俺の暗黒の力が世界を滅ぼすからだよ」
「はあ?」
ファリスは呆れ顔で肩をすくめてため息をつくと、魔王の横に腰かけ、腕を絡めて猫なで声で語りかける。
「何言ってんだか。世界を滅ぼすなんてこと、魔王様にしか出来るわけないのに。ねえ魔王様?」
問われて、魔王は牛乳の入ったカップを持ったままファリスを一瞥してからぼそりと呟いた。
「そうだな……」
「あら、その横顔も素敵ね」
魔王としては単に「こいつらうるせえな……早く自分の部屋に戻れよ……」と思って憂鬱になっているだけなのだが、ファリスはそんな陰りのある表情がお気に召したようだ。
その様子を見たウォードがやれやれ、と肩をすくめてから口を開く。
「ったく魔王様は対応に困ってんだよ。お前みたいなやつ、さっさと魔界に帰っちまえ」
「何よ魔界って。そんなものどこにあるのよ」
まさかそう言われるとは思ってもいなかったのだろう。
ウォードは一瞬固まった後、どうしても信じられないといった様子で尋ねた。
「えっ……ないの? 人間たちの神話の中とかに出てくるじゃん。魔のものたちが住む世界、みたいな感じでさ。俺らの親とかってそこから出てきたりとかしたんじゃないの?」
「私は聞いたことないけど。ていうか、なんであんた人間の迷い言なんかに詳しいのよ」
「まじかよ。次に人間と戦闘して必殺技みたいなの使う時に、魔界より出でし我の力……見るがいい! とか言ってみようと思ってたのに。やる気なくしたから帰るわ。じゃ魔王様、お疲れっす」
本当にやる気をなくしたらしく、ウォードはそう言ってしゅたっと片手をあげるとチェンバレンと共にさっさと魔王の部屋を去っていった。
扉を開けて出て行く首無し鎧の背中を見送った後、邪魔者がいなくなってしたり顔のファリスはこれからが本番とばかりに魔王に身体を寄せる。
「やっと邪魔者がいなくなったわね。さあ魔王様、これからあたしと……」
「Zzz」
だがそんなファリスの視線の先で魔王は眠りにおちていた。
姿勢よく背筋を伸ばして座ったまま鼻ちょうちんをつけてしまっている。
少しつまらなそうに唇を尖らせるファリスだが、すぐ笑顔になってこれはこれでと、その寝顔を静かに眺めるのであった。
一方で魔王の部屋から出たウォードがチェンバレンと共に廊下を歩いていると、見知った顔と遭遇したらしく挨拶をした。
チェンバレンも懐いている相手なのか、鳴き声を挨拶の代わりとする。
「よう、ムガルじゃん」
「ブルヒヒヒン」
「あ、ウォードさんこんにちは。チェンバレン君は今日も元気だね」
黒い体毛を身に纏う二足歩行のゴリラだが、腕が六本もある。
筋骨隆々でいかにもゴリラ然とした強そうな体格をしているにも関わらず、気弱な物腰がそれらの印象を全て覆してしまっていた。
チェンバレンの頭を微笑みを浮かべながら撫でるその様子は、魔王軍の幹部以前にモンスターであるかどうかすら疑わしい。
そんなムガルを見ながらウォードが口を開く。
「あ、そうだ。お前さ、ちょっと勇者と精霊の妨害に行ってこいよ」
まさか自分が指名を受けるとは思っていなかったのか、ムガルと呼ばれたゴリラは心底不思議だといった表情で自分を指差した。
「えっ僕がですか? そんな、ウォードさんでも勝てなかったそうじゃないですか……む、無理ですよ」
「いやーほら、ものは試しっていうかさ。どうせ今は誰も行く予定がないし行くだけいってみ」
「はあ……」
「大丈夫だって、俺もファリスも命まではとられなかったから」
「だといいんですけど。怖いなぁ」
ムガルと呼ばれた少なくとも外見だけはめちゃめちゃ強そうなゴリラは、俯いて不安そうな表情を隠しきれない様子だ。
ウォードは少し呆れたような、部下に軽い説教をするような声音で言った。
「ったくお前はいつも弱気だよなー。幹部なんだしもっとこう、いっちょ精霊のやつしめてきますよぉ! ぐらいいっときゃいいんだよ」
「いやぁ、僕にそんな実力なんて」
「うん。まあ、その強そうな見た目だけで幹部に選ばれたんだもんな。知ってる。パワードゴリラって俺たちデュラハンみたいに絶対数の少ない種族だから余計に目立つしな」
「そうなんですよね……」
「ま。とにかく。偵察とかは俺の方で出しとくからよろしくな、気が向いたら俺も手伝いに行くから」
「は、はい」
そう言って片手をあげると、ウォードはチェンバレンと共にゆっくりとその場を後にした。
去りゆくそれらの背中を眺めながらムガルは一つため息をついてからぼやく。
「はあ。生きて帰ってこれるといいなぁ……」
そして六本あるうちの一本の腕でぽりぽりと頭をかきながら、再び廊下を歩きだして自室を目指す。
到着し扉を開けて中に入ると、ぼんやりとした照明と無音の空間がムガルを迎え入れた。
ムガルは部屋の中へ入ると長物の前まで行き、その上にあるパワードゴリラの彫像らしき手のひらサイズの置物を両手でそっと持ち上げる。
らしき、というのは腕が八本もあるからだ。ムガルより二本も多い。
(僕もゴッドマウンテン様みたいになれたらなぁ……)
ゴッドマウンテン。それは何代か前の魔王の腹心、あるいは右腕、あるいは第一の部下として知られるパワードゴリラ族一の英雄の名。
かつての勇者相手に激しい戦いを繰り広げ、あと一歩のところまで追いつめたという逸話を残していた。
次にムガルはゴッドマウンテンの彫像をそっと長物の上に戻すと、跪き瞑目して祈りを捧げ始めた。
ウォードが知っていたように、ムガルもどこかしらから人間の宗教の慣習を知って真似しているのだろう。
「ゴッドマウンテン様……どうか僕が生きて帰ってこられるように、見守っていてください」
言い終えたところで扉の音がノックされる。
立ち上がりそちらを振り向いて返事をすると、扉がそっと開けられてゴブリンが入ってきた。
ゴブリンはムガルの立ち位置とそばにあるものを見て、戸惑いながら口を開く。
「あっ、申し訳ありません。祈りを捧げておられましたか」
「いえ、大丈夫ですよ。何かありましたか?」
「先程ムガル様が出陣なされると噂を聞いて参ったのですが」
「本当です。ウォードさんに頼まれまして」
「何と、そうですか……」
心配なのか、ゴブリンは俯いて喋らなくなってしまった。
ムガルは安心させようと微笑みを口元に湛えて言う。
「大丈夫です、ウォードさんもファリスさんも命まではとられていませんから。すぐに戻ってきますと、僕の家族にも伝えておいてください」
「ムガル様……くうっ、か、かしこまりました」
部下らしきゴブリンは顔をくしゃっと歪めた瞬間に、詰まるような声でそういってから部屋を去っていった。泣いていたのだろう。
ムガルはそんなゴブリンの背中を見送ると出陣の準備を始めるのであった。
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