Phase4 「別れの痛みも手放して」

Episode 37.「それでも朝は来る」

 まず目を開けたときに、感じたのは熱だった。


 頬を焼くような、ジリジリと焦がす熱さに、思わず私は身を捩り、そして、痛みが追いかけてきた。


「――っ!」


 鈍く、骨の奥まで響くような。どうやら、体のあちこちを酷く打ち付けたらしい。問題無く動くので、骨は折れていないだろうが、それでも、筋肉は痛みに萎縮してしまっている。


 鼻先には、何かが焼けるような焦げ臭さが香っていた。自然と口呼吸に変えたせいか、一気に喉が渇いていく。

 一体、どうしてこんなことになってしまっているのか、記憶の糸を手繰る。私は、そう。彼と一緒に、南地区に行こうとバスに乗って――。


「――っ、そうだ、ソーヤっ!」


 あらゆる痛苦が、頭から抜け落ちた。私は、首を巡らせて、彼を探す。


 足元には、モケット地のシートが見えた。つまり、ここはバスの座席で間違いないのだろう。ならば、先程まで隣にいたはずの彼は、今どこに――。



 ――そこまで考えて、気が付いてしまう。



 自分の周りを、真っ白な壁のようなものが囲んでいた。継ぎ目一つないそれが"造源"によって形作られたものだということは、ひと目でわかった。


 まさか、身の危険を感じた自分が、咄嗟に"創造"した?


 そんなわけがない。そんなことができるほど、私は【ARC】能力に習熟していなかったし、そもそも、当時、良くて二級程度だった私が作れる壁の強度など、大したものではない。


 答え合わせをするように、はらはらと"造源"が解けていく。それと同時に、直感した。


 この先には――私が見たくないものがある。


 私が見てはいけなくて、私が見なければいけないものがある。


 暗転する前の、最後の記憶。かき混ぜられたバスの中で、私に手を伸ばす、ソーヤの姿――。


「――い、いや……」


 ――そして、彼はそのままの姿勢のまま、そこにいた。


 ただ一つ、違っていたことがあるとすれば。



 彼の身体は、漏れ出した燃料による炎で、黒焦げになるまで焼かれていたことだ――。





「いやあああああああああああ!!!」





 自らの悲鳴が、私を悪夢から引き上げた。


 心臓が痛いほどに高鳴る。加速した血が、血管をこれでもかと引き裂いて、呼吸は浅く、頭の奥を締め付ける。


 寝不足の時、目の奥に感じるようなガンガンとした痛みが、繰り返し私の意識を揺らす。


 視線を上げれば、無機質な壁と天井が目に入った。飾り気のない、潔癖すぎるほどに真っ白なここは、私の暮らす女子寮ではない。


 風紀委員会館、医療棟――最初に私と話した風紀委員は、この場所のことを、そう呼んでいた。


 あの後、病院に運ばれた私は治療を受けた後、寝ている間に、ここに移送されていた。


 "コスモ・エクスプローラ"での一件について、私は重要参考人という位置付けになっているらしく、代わる代わる色々な人が来ては、私に話を聞いていった。


 ――【全身鎧】と、どうして戦ったのか。

 ――"セントラル・モール"の件に引き続き、どうして現場に居合わせたのか。

 ――一緒にいたレプリカントとは、どこで出会ったのか。


 私はその全てに、黙秘を返した。どれ一つとして、答えられる内容が無かったからだ。


 そうして、もう、あれから幾日が経っただろうか。とっくに、日付を数えるのはやめてしまった。


 寝て、起きて、尋問に付き合って、ご飯を食べて、また寝て――たったそれだけしかやることがない、無味乾燥なサイクルは、私という人間を漂白するのに十分だ。


 サクラはどうなったのか。

 ソーヤはどうなったのか。

 そして、【全身鎧】はどうなったのか。


 何一つとして、風紀委員たちは話してくれなかった。無事なのかどうかすら、ましてや、会わせてなどくれるはずもない。


 だから、私にできることは、ここで無意味に息を吸って、吐いて、また吸って。飲み下すのに痛みを伴う悪夢を、たまに咀嚼する。


 そんなことしか許されない、無価値な肉の塊になっていた。


 ふと、窓の外に目をやる。時計を見ずとも、まだ深夜なのだろうということは分かる程度に、部屋の中は暗い。


 レースカーテンのみが引かれた窓枠の向こうから、月明かりが差し込んでいた。何もかもが作り物のはずなのに、その月光にはどこか、優しさを感じさせる。


 そう、もう、ここにはいなくなってしまった、誰かのような優しさを。


「……ソーヤぁ」


 うわごとのように、その名を口にする。


 つい何日か前までは、触れられる所にいたはずなのに。もう、二度と会えないと思っていた背中を、取り戻したはずなのに。


 そう、考えれば考えるほど、視界が歪む。


 会いたい。もう一度、何度でも。それが叶わないのなら、取り上げられてしまうのなら、どうして――。


「――それはね、彼がもう、どこにもいない、いてはいけない存在だからさ」


 不意に聞こえてきた声に、思わず肩が跳ねる。


 見れば、入り口の辺りに誰かが立っていた。輪郭ははっきりとしないが、声で判別することができる。



「……フウリン? いつ、入ってきたの?」


「つい、さっきさ。研究の合間に顔を見ておこうと思ってね。まさか、起きているとは思わなかったが」


「ずっと、会いに来てくれなかったね。取り調べも、知らない風紀委員ばっかりだった」


「忙しかったんだ。先の一件の後始末は、並の労力ではなかったし、事情聴取くらいなら、風紀委員でも問題無くできるだろうと考えた」



 もっとも、事は上手く運んでいないようだが――と、ため息を一つ。


「……ねえ、フウリン。ソーヤとサクラは、どうなったの?」


 私の問いかけに、フウリンは一瞬だけ迷うようにして、視線を彷徨わせた。


 そして、何かを飲み込むように、喉を震わせてから。



「……サクラは、命に別状はなかったよ。今はまだ、入院中だ」


「そう、それなら……!」


「面会は、謝絶となっている。片目が弾け飛ぶ大怪我に加えて、【ARC】で脳も酷使していた。しばらくは、絶対安静だ」



 彼女の言葉に、私は思わず絶句した。

 片目が、弾け飛ぶ……? そんな大怪我を、彼女が負ったなんて、信じられない。



「残念だが、本当のことだよ。あの子は、君を助けるために戦い、そして、傷ついたんだ」


「……私の、ために?」


「ああ、そうだ。君が選んだのは、そういう道だ。だから、私はあの時、忠告したんだよ――」



 私が、ソーヤを"コスモ・エクスプローラ"に連れていかなければ。

 私が、【全身鎧】と戦おうとしなければ。

 私が、ソーヤのことを、もっとよく見張っていれば。


 そうすれば、サクラが傷付くことはなかった。あんなに喧嘩をしていても、仲違いをしていても、私のことを助けに来てくれる、最高の友人に、大きな傷を負わせることはなかったのだ。


「……わた、わたし、が」


 そんなの、もう。

 私が彼女を傷付けたも、同然じゃないか――。


「……なあ、シオン。私からも一つ、聞いていいかい?」


 今にも目元から雫が零れ落ちそうなのを堪えながら、私は彼女を見据えた。未だ、シルエットは半分ほど暗がりの中に隠れていて、その表情はよく見えない。


 返答を待つことなく、彼女は口を開く。



「どうして、君はあの日、"コスモ・エクスプローラ"にいたんだ? 私は、大人しくしているように言ったよな?」


「……それは」



 答えることが、できなかった。


 負い目が、口を塞いでいた。口を開くことで、自分の過ちを認めてしまうような、そんな気がしたから。


「……答えられないなら、当ててやろうか。君は、ソーヤのために動いたんだろう。一体、どういった思考回路かはわからんが、君が無茶をするときは、決まって誰かのためだ」


 それが、図星ということにしてもよかった。


 実際に、ソーヤのことを思って動いた結果なのは間違いない。彼がこの街で、再び自由に暮らしていけるようにと――。


「――違うよ、フウリン」都合のいい言い訳は、飲み込んだ。

「私は私のために動いたんだ。私が、あいつとずっと一緒にいるために」


 ――そう、何もかも、私のエゴだった。


 ソーヤを帰さずに済む方法を見つけようとして、そのために、危ない橋を渡ろうとして、沢山のものを巻き込んだ。


 それが、今の私にはわかっているから、だからこんなに、心が痛いんだ。



「……ふむ、飲み込む覚悟はしたわけか。もっとも、遅すぎる程度には遅すぎたがね」


「もっと早く気付けてたら、何か変わったかな……?」


「いや、きっと君は、どうあれここに至っていただろう。思い込んだら猪突猛進、そういうやつだ」



 そう、真っ直ぐ、真っ直ぐに私は、ここまでやってきた。


 けれど、最終的に何も残らない。大切な人も、友人も、本当に手放したくなかったものは、全部手からこぼれていく――。



「――まあ、だが、まずは一つ、安心したまえ」


「……安心?」



 意味もわからずに反芻する。この状況のどこが、現状のどの部分を摘めば、そんな言葉が出てくるのだろうか。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、フウリンは似合わない笑顔を浮かべつつ、それを口にする。


「ああ――ソーヤは、近いうちに戻ってくる」


 

 

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