Episode 36.「幕は下りて」
『……に告ぐ、周囲の封鎖と、怪我人の――』
私の意識が次に覚醒したのは、辺りに響くけたたましいサイレンの音によってだった。
冷たい。アスファルトの上に寝転がってしまっていたのか。体のあちこちが酷く痛んで、ほんの指一本を動かすのに、総身の死力を振り絞らなければいけないほどだった。
「――っ!」
無理矢理に上体を起こそうとして、突然走った頭痛に縫い留められる。
まるで、頭蓋骨に楔を打たれたかのような痛みだ。それに、ぼうっとしてしまって、上手く思考がまとまらない。
ソーヤを止めるために、大きな力を使いすぎたのかもしれない。私の脳味噌は、限界を超えてしまったのだろうか。
しかし、たとえ脳が茹だってしまっていても、私にはやらないといけないことがあった。
「そ……、や」
私は、彼の名を呼ぶ。
どこか、近くにいるはずだ。それに、吹き飛ばされてしまったサクラだって。決して軽い怪我では済まなかったはずだ。
二人の姿を確認するまで、それまではくたばってもいられない。脳を直に刻まれるような痛みに耐えながら、私は粘性の高い液体のように緩やかに、立ち上がろうとする。
不意に、そんな私の体が、誰かに抱き起こされる。容態など一切気に留めてくれない、無遠慮な手つき。しかし、怒りを抱くよりも早く、その主は声をかけてきた。
「シオン、シオン、聞こえるかい」
落ち着いたアルト。聞き覚えのある響きに目を向けてみれば、そこには見知った顔があった。
艶のない黒髪。飾り気のない白衣。管理者――フウリンが、腕の中の私を見つめていた。
なんで、とか、どうしてここに、とか。たくさんの言葉が一瞬で湧き上がってくる。けれど、どれも形にならない。
戸惑いと疑問は、曖昧なままで安心に塗り潰された。脱力の中で、私と彼女の視線がかち合った。
「よくやったね、事態は収束した。風紀委員連合による救助隊も到着し、【ARC】による周囲の復元作業も始まっているよ」
「……う、く」
返事をしようとした。けれど、私は呻くことしかできなかった。
「ふむ、安心したまえ。サクラは無事だ。君も深手ではあるが、すぐに搬送すれば助かるだろう。今から、病院に連れて行くからな」
「ち……、が、わ……」
違う、私はいいから、ソーヤを。
あの後、彼は、どうなってしまったのか。
そして一体、彼の身に何が起こったのか。
「う、うぅ……」
問いかけたいのに、上手く言葉が出てこない。喉の奥から絞り出そうとするが、私の口から漏れ出るのは、声にもならない呻きのようなものばかりだ。
それでも、彼女には伝わったらしい。目を伏せ、静かに首を振った。
「……シオン、よく聞きなさい。あの子はもう、とっくの昔に死んでいるんだ。君も、知っているだろう」
「う……、あ……」
そんなこと。
そんなことは言われなくてもわかっている。
私は誰よりも近くで、彼が命を落とすのを見ていたのだ。焼け焦げてゆく匂いも、鼻先に感じていた。
ソーヤは、確かに一度、死んでいるのだ。
でも、彼は戻ってきてくれたじゃないか。私たちの前で喋って、笑って。そして温もりだって、感じられたじゃないか――。
「違う、違うんだよ、シオン。わかってくれ、あれはソーヤじゃない」
ソーヤじゃない?
なにそれ。
どこからどう見ても、あれはソーヤだった。笑う顔も、穏やかな視線も、生温いほどに優しい性格も、何もかもが、私の知る彼と相違ない。
だから、私の頭は、彼女が何を言っているのか理解できなかった。あるいは、理解しようとしなかったのかもしれない。飲み込んでしまったが最後、私はその現実を受け入れるしかないのだから。
故に、私は頭の端を漂っていた――そして、常に浮かんでいた可能性から、目を背け続けてきたのだ。
しかし、彼女にはそんな薄弱な躊躇などない。管理者、フウリン・カンパニュラは、どこか硝子の表面を思わせる怜悧さをもって、私に告げるのだった。
「……もう、わかっているだろう。君と、数日を過ごした、あの純白の彼――」
たっぷり、一秒。躊躇したわけではなくて、ほんの息継ぎの時間だったのだろう。
「――あれは、レプリカントだ」
心に、ヒビが入る音がした。
カレンから聞いた時は、何かの勘違いだろうと、自分を誤魔化していた。
結論を先延ばしにして、痛みに備えたつもりでいた。
わかっていて。覚悟もしていて、そのつもりでいたというのに、いざはっきりと言われてしまえば、こんなにも胸が痛い。
「そ……れぷり……と……?」
「ああ、そうさ。彼は創造の力によって形作られた存在、かつてここにいた誰か――ソーヤ・フォルガットの残響だ」
そこまで話すと、彼女は私をその場に寝かせ、ゆっくりと立ち上がる。立ち去ろうとしていることが、気配でわかった。
詳しく話が聞きたかった。ソーヤのレプリカント。でも、彼は生前と何も変わらなかったのだ。私の知るレプリカントとは、明らかに異なる存在だった。
けれど、今の私にはその背を掴むこともできない。ただ、遠くから足音が近付いてくるのを、黙って聞いていることしかできないのだ。
「おい、こっちだ医療班、この子を頼む。第一から第三班は避難誘導と、被害状況の確認に移れ。私は、これから――」
フウリンの声が、遠く霞んでゆく。
いよいよ微睡みに落ちるのか、意識を保てなくなった自分が、底まで直滑降してゆくのがわかった。
「――ソーヤ・フォルガットを連行する」
落ちてゆきながら、私はぼんやりと思う。熱暴走を起こした脳味噌が眠りにつく前の最後の思考は、たったひとつの言葉と思いでしかなかった。
――このままいっそ、目覚めなければいいのに、と。
そう思いながら、私は落ちていった。
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